2010年9月12日日曜日

アーカイブ⑥:シャッガールのステンドグラス:ヨセフとベニヤミン

ヨセフ[יוסף]
名前の意味:「(神が)加えた/増やした」(創世記30:22〜24)


「ヨセフは実を結ぶ若木。泉のほとりの実を結ぶ若木。その枝は石垣を超えて伸びる。
弓を射る者たちは彼に敵意を抱き、矢を放ち、追いかけてくる。
しかし、彼の弓はたるむことなく、彼の腕と手は素早く動く。
ヤコブの勇者の御手により、それによって、イスラエルの石となり牧者となった。
どうか、あなたの父の神があなたを助け、全能者によってあなたは祝福を受けるように。
上は天の祝福、下は横たわる淵の祝福、乳房と母の胎の祝福をもって。
あなたの父の祝福は、永遠の山の祝福にまさり、永久の丘の賜物にまさる。
これらの祝福がヨセフの頭の上にあり、兄弟たちから選ばれた者の頭にあるように。」
(創世記49:22〜26)


父ヤコブから最も愛されたヨセフは、兄達から妬みを買い、エジプトへ奴隷として売られていきます。父は彼は死亡したと思い、こうして十数年の月日が流れていきました。悲運の少年ヨセフは、その間、エジプトで苦境を乗り越え、数々の幸運にも恵まれるようになりました。やがてエジプトのパロ(君主)から宰相に任ぜられていきました。この聖書像に照らし、シャガールは「ヨセフの色」を金色としました。金色は、収穫期の麦穂であり、ヨセフの栄光を称える色なのでしょう。又、絵の左上の紫の鳥に高貴なヨセフの生き様を重ね見ました。鳥の頭の冠は、父ヤコブの祝福が彼の頭に注がれることを意味するようです。


絵の頭上に、二つの手に握られたショファール(雄羊の角笛)が描かれています。ヨセフの栄光を称えるかのように、この角笛の音は絵全体に響き渡ります。絵を鑑賞する者の耳にまで響いてきそうです。ユダヤ教の伝統では、角笛の音は、「神の招きの声」であり、真の礼拝への呼びかけです。時には「戦いの時が来た」という警報です。又メシア到来への期待から、霊的な意味での警報でもあります。さて、絵の中のショファールには、当然こうした意味合いが含まれているでしょう。


絵の左下の赤い木もまたヨセフを象徴するものです。ヨセフにはエフライムとマナセという二人の息子がおり、赤い木の二本の太い枝が二人の息子達を指しているといわれています。聖書ではこの息子達は、ヤコブの祝福を受けて、イスラエル12部族の2部族として数えられました。


ベニヤミン[בנימין]
名前の意味:「私の痛みの子」(創世記35:18)もしくは「右側の子」


「ベニヤミンはかみ裂く狼。
朝には獲物に食らいつき、夕には奪ったものを分け合う。」
(創世記49:27)

ベニヤミンは、ヤコブの最後の息子です。ヤコブが愛した妻ラケルは、ベニヤミンを出産して直ぐ亡くなりました。彼の名前には二つの意味があります。ラケルの「痛みの子」であったベニヤミンは、兄弟達から愛されて彼等の「右にいる子」となりました。「右側」は聖書では、力と祝福の形容詞です。シャガールはこの意味を捉えようとしたのでしょうか。絵の中心に11人の兄達を象徴して11個の円を描き、一つ一つの円を、兄達の象徴色で塗りました。ではベニヤミンはどこに描かれているのでしょうか。


シャガールは、絵の左下に赤い目をした狼を描きました。父ヤコブがベニヤミンを「獲物をかみ裂く狼」に例えたように、シャガールも赤い狼で例えました。


赤い狼の背後に、金色に輝くエルサレムが存在します。これはシャガールのエルサレムに対する自信の願望、または祈りなのでしょうか。よく見ると金色の町には城壁が無く、全ての者に開かれた神の都として描かれています。


2010年9月5日日曜日

アーカイブ⑤:シャッガールのステンドグラス:ダン、ガド、アシェル、ナフタリ

ダン[דן]。
名前の意味:「正しく裁いた」(創世記30:5〜6)

「ダンは自分の民を裁く。イスラエルのほかの部族のように。
ダンは、道ばたの蛇、小道のほとりに潜む蝮(マムシ)。
馬のかかとを噛むと、乗り手は仰向けに落ちる。」
(創世記49:16〜17)

「裁き」を意味するのがダンの名前です。冴えた頭の中を描いているのでしょうか。この絵には「裁き」を象徴するものがいくつかあります。まずは中央の燭台ですが、これは裁きの天秤にも見えます。その天秤の右側に赤茶色の動物が、その右手に—右手は聖書では「正義の手」を意味します—剣を持っています。次ぎに蛇です。父からおまえは蛇だと例えられたダンは、この蛇のように裁きの天秤にまとわりつく部族なのでしょうか。絵の右下にいる3頭の馬が—裁きが下ったのか—裁きの剣から目を背けています。

シャガールは、絵の中央右に彼が子供の頃住んだ「白い家」を描きました。彼は幼少期にベラルーシ共和国のヴィテプスク市で過ごしています。ダンと自身を重ねたシャガールもまた、正義を求める男だったのでしょうか。

ガド[גד]。
名前の意味:「幸運な」(創世記30:9〜11)

「ガドは略奪者に襲われる。
しかし、彼は、彼等のかかとを襲う。」
(創世記49:19)

ガドは戦士の部族と呼ばれました。ガド部族はガリラヤの肥沃な土地に住んだゆえに、周辺の異なる民族と幾度も衝突しては戦うという、常に強い防衛力を求められた部族でした。絵全体の、薄暗い緑色は、この部族の運命を物語っているのでしょうか。中央の鳥は盾で身を守り、右側の動物たちは剣を振りかざしています。火を吹く野獣は、戦争のスケールを物語っています。ちなみに、左端の塔は宿敵ペリシテ人の塔と云われています。

この戦争の渦中でけなげに植物が育っている様(左下)は、ガド族—その名が示すように—彼等の運の強さか。戦争とは対面にある命の存続と成長が描かれています。


アシェル[אשר]
名前の意味:「祝福された」「幸せにされた」(創世記30:12〜13)

「アシェルには豊かな食物があり、王の食卓に美味を供える。」(創世記49:20)

ガド族のくすんだ緑とは対象的に、アシェル族の絵はオリーブ色です。オリーブはイスラエルを代表する植物の一つです。オリーブから取れる油は美しい緑色で、香しく、体にも良く、つまり食と健康に、そして生活に(特に燭台の油として)必要不可欠な存在でした。神殿内を照らす七枝の燭台(絵の中央)にも、オリーブ油は欠かせません。オリーブは、イスラエル民族の生活と宗教の両面で「豊かさと喜び」を意味しました。絵のオリーブ色は、その「祝福された」というアシェルの意味に相応しい色です。

絵をご覧下さい。オリープの葉をくわえた鳥(絵の上)は、福音を知らせる「ノア物語の鳩」でしょうか。宙に舞いながら、平和の訪れを告げています。その真下には、王冠を頭にのせて、翼を大きく広げる鳥がいます。この鳥は、まるで自信に満ちた王のように振る舞っています。


ナフタリ[נפתלי]

名前の意味:「私は闘った」「わが戦い」創世記30章7〜8節

「ナフタリは解き放たれた雌鹿。美しい子鹿を産む。」(創世記49:21)

父の言葉にあるように、ナフタリは「鹿のように」小高い丘をかけまわる元気で勇敢な青年へと成長したのでしょう。その肉体的な美しさや強さと、神信仰から来る強さも持ち合わせていたのかもしれません。ハバクク書の記者は、神を信じる者は力を受けて、雌鹿のように高い所を駆け回ることができる(3章19節)とありませすから。こうした力を持つナフタリとその子孫は、名前のごとく「戦う」民へと成長していったはずです。さて、敵に勇敢に立ち向かう聖書像とは異なり、シャガールの鹿は実に優雅です。背景色は、砂漠の色か、夏の色か、まぶしい程に黄色です。この地域にこの色は「厳しさ」を印象づけますが、鹿の頭上には、この厳しさを一変させるような、楽しそうに宙に舞う鳥が一羽描かれています。この鳥は、勝利の喜びを体で表現しているのでしょうか。 

アーカイブ④:シャッガールのステンドグラス:ゼブルンとイサカル

ゼブルン「זבלון」
名前の意味:「一緒に住む」創世記30章20節

「ゼブルンは海辺に住む。そこは舟の出入りする港となり、その境はシドンに及ぶ。」
(創世記49:13)

ゼブルン一族は海辺で共同生活をしました。シャガールは、今まさに地中海におちようとする紅い夕陽を絵の中央に描き、全てをこの夕紅で包みました。夕紅は、父ヤコブの人生最期を映している様にも、また後に残す子供たちへの彼の燃えるような思いを描いている様にもとれます。夕紅の西の空に、舟と海の魚たちとそれらを取り巻く世界が包まれていきます。大きな2匹の魚が空に舞う様は、ゼブルンの繁栄を象徴しているのでしょうか。


イサカル「יששכר」
名前の意味:「報酬」「対価」創世記30章18節

「イサカルは骨太のろば、二つの革袋の間に身を伏せる。
 彼にはその土地が快く、好ましい休息の場となった。
 彼はそこで背をかがめて荷を担い、苦役の奴隷に身を落とす。」
(創世記49:14〜15)



父より「骨太のろば」と例えられたイサカル。ロバは馬と異なり戦争には適さず、農業に適する動物です。ならば、イサカルは平和を求める農夫の部族といます。シャガールはイサカルの色を緑「広大な畑の色」と定めました。この畑で、—父の預言にあるように—イサカルは「休息を得る」のでしょうか。ロバの頭を青く染めたのは、その休息と平和の強調でしょうか。

この絵は、葡萄の枝葉から覗き込むように描かれています。そこから緑の牧場で戯れる動物たちや平和な町を覗くことができます。この絵の中央、ロバの上に、二つの手が在ります。これは、ユダの絵と同様に「祝福の手」ともとれます。しかしこれは同じ母を持つゼブルン(赤い手)とイサカル(緑の手)の兄弟愛の堅さを表現したとのことです。

2010年9月1日水曜日

アーカイブ③:シャガールのステンドグラス:ユダ

ユダ[יהודה]。
名前の意味:「ありがとう」「賛美」
(創世記29章35節)

「ユダよ、あなたは兄弟達に称えられる。あなたの手は敵の首を押さえ、父の子達はあなたを伏し拝む。ユダは獅子の子。私の子よ、あなたは獲物を取って上って来る。彼は雄獅子の様にうずくまり、雌獅子の様に身を伏せる。誰がこれを起こすことができようか。王笏はユダから離れず、統治の杖は足の間から離れない。ついにシロが来て、諸国の民は彼に従う。彼はろばをぶどうの木に、雌ろばの子を良いぶどうの木につなぐ。彼は自分の衣をぶどう酒で、着物をぶどうの汁で洗う。彼の目はぶどう酒によって輝き、歯は乳によって白くなる。」(49:8〜12)

父ヤコブは、葡萄酒で染めた赤い衣で四男ユダを祝福したかったのか。後にユダの部族からは、ダビデやソロモンという王が誕生します。シャガールもワインレッドを基調としてこの絵を手掛け、絵の上に王冠を描きました。その冠の中に「ユダ」という名前をヘブル語で刻んでいます。

開いた手は、祝福の手。神の都エルサレムで、来るべき王を仰ぐ手です。
中央には紅いライオン。シャガールはその目を青く塗りました。ライオンの背後には、光に包まれる「エルサレム」も描きました。こうして「獅子の子ユダ」に相応しく、美しく雄々しく栄えるユダとイスラエルの民を強調しました。

今日、エルサレムが、市のシンボルマークに「ライオン」を選んだのは、この「獅子の子」という父ヤコブの祝福が背景にあるようです。ちなみに、右下に(よく見えませんが‥)シャガールのヘブル語によるサインがあります。シャガールは12枚描いた絵の中、この絵にのみサインをし——それもヘブル語で名を残すことによって——ユダヤ民族の一員としての誇りを見せました。

アーカイブ②:シャガールのステンドグラス:シメオンとレビ

シメオン[שמעון]。
名前の意味:「聞かれた」もしくは「彼(神)は聴く」
(創世記29章33節)

「シメオンとレビは似た兄弟。彼等の剣は暴力の道具。私の魂よ、彼等の謀議に加わるな。私の心よ、彼等の仲間に連なるな。彼等は怒りのままに人を殺し、思うがままに雄牛の足の筋を切った。呪われよ、彼等の怒りは激しく、憤りは甚だしいゆえに。私は彼等をヤコブの間に分け、イスラエルの間に散らす。」(49:5〜7)

2枚目も青を基調としていますが、この青には、薄暗く、暗いイメージが漂います。ここに次男シメオンと三男レビの暗い過去が反映されています。その過去とはこうです。ヤコブ一家はシケムという町に宿営していた時期、彼等の妹ディナが無割礼の男に性的暴行を受けました。この事件をきっかけに、シケム人は責任を感じ、憤るヤコブ一族と和解しようとしました。無割礼の民シケム人はこれを機に割礼をユダヤ人から学ぼうとしたのです。ところが怒りを自制できないシメオンとレビは割礼を受けたばかりのシケム人男子全員を殺害するという行動を起こしたのです。

絵の中央下に円が描かれています。円の中には分けられた世界が描かれています。その上の左右に赤い二つの円、二羽の鳥、そして二頭の動物が描かれています。これはそれぞれ交わることなく反対方向に向って動いています。父ヤコブの呪いを象徴しているのでしょう。


レビ[לוי]。
名前の意味:「結びついた」「つながれた」
(創世記29章34節)

三男レビに対する父の遺言は、兄シメオン同様厳しいものだったはずです。然しレビはイスラエル民族の祭司としての特別な役割を得て、12部族の中に散らされるという運命を背負うことになりました。その運命を象徴する色として、シャガールは金色を選びました。シメオンとは実に対象的な色です。二羽の鳥と二頭の動物も、シメオンの絵とは対象的に、向き合っています。表情もあります。「レビ」という名前の意味からインスピレーションを受けたのか、この絵には二者間が結びつく様が描かれています。ユダヤ人の「結びつき」を更に強調するためか、シャガールは、絵下中央に十戒を、その左右にシャバットに灯すろうそく、その手前に葡萄酒の杯を描き、その頭上にダビデの星を描きました。

アーカイブ①:シャガールのステンドグラス:ルベン

先月、エルサレム市エンカレムのハダサ病院敷地内に在るシナゴーグに行ってきました。このシナゴーグ内に、ユダヤ人画家マルク・シャガール(1887〜1985)が手掛けた有名な「イスラエル12部族のステンドグラス」があります。フランスのランス市で2年半を費やし作成されたと云うこのステンドグラスは、最初パリのルーブル美術館に、その後ニューヨーク近代美術館に展示されました。そして1962年、シャガールの希望通り、エンカレムのこのシナゴーグに設置されました(写真上)。

わざわざここまで見学に来れない方々のために(エルサレムに住んでいても中々来ない場所なので)、これから12枚の絵の一つ一つをここに紹介することにします。

12枚のステンドグラスは、ヤコブの12人の息子たちに託した言葉(創世記49章)から霊感を受けて描かれています。各絵は、息子たちのヘブル語名の意味、父ヤコブのそれぞれへの遺言、そして絵の解説という順で紹介させて頂きます。

最初は、
ルベン[ראובן]
名前の意味:「見よ。子を。」
(創世記29章3節)

「ルベンよ。お前は私の長子、私の勢い、命の力の初穂。気位が高く、力も強い。お前は水のように奔放で、長子の誉れを失う。」

「ルベンは沸き立つ水」と父が表現した様に、この絵は水色を基調としています。シャガールは、天地創造第二日の、未だ手つかずの空と海の色も表現したかったのか。その自然界の荒っぽさとルベンを重ねて見たのか。シャガールは青い世界に鳥や魚を描きました。右下に咲く赤い花は、ルベンの母レアを表したものです。その赤色は、長男ルベンの母に対する愛情の表れだとも云われています。




ブロガー帰国のお知らせ

ブログ「サファイアの空」を読んで下さる皆様、
イスラエルからのニュースは今月を持ちまして終了することになりました。

去る5月から、個人的に大きなプロジェクトを抱えていた私は、それが終了するまで何も手に付かない状態でした。イスラエル・ニュースを楽しみにしていた方々には申し訳ありません。

8月下旬、プロジェクトを終えた私は家族で最後の夏をテルアビブで過ごし、ようやく新年度を迎える心の準備が整ってきました。しかしプロジェクト終了と同時に、来月の日本帰国が本決まりになりました。

という訳で、エルサレムの声をお届けしていましたが、
今月一杯で打ち切りにさせていただきます。

今月の残された数回は、話題性、ニュース性にとらわれず、「私個人のために」記事を足していくことにします。私のアーカイブに興味があれば、開いてみて下さい。

イスラエル新年がもうすぐ始まります。
皆様の上に天来の平安がありますように。
シャローム!

2010年5月22日土曜日

イスラエルのフルーツと聖書

今週はシャブオットがありました。シャブオットに関しては去年記事に取り上げたのでここをご覧下さい→「シャブオットその1」、「シャブオットその2」。ユダヤ教3大祭りの一つのシャブオットは、シナイ山でモーセが神の律法を受けたという聖書的伝承を記念しますが、その宗教祭に加え、農耕祭の要素も含んでいます。聖書は次ぎのように述べています。

申命記8章9〜10節「そこ(イスラエル)は、あなたが十分に食物を食べ、何一つ足りないもののない地。‥‥‥だからあなたが食べて満ち足りたとき、主が賜わった良い地について、あなたの神、主をほめたたえなければならない。」その前の節(同章8節)に神が賜ったとされる7つの産物が列記されています。それらは小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろ、オリーブ、そして蜜(なつめやしの蜜、もしくは蜂蜜)です。

世俗派はもっぱら宗教祭としてより農耕祭としての要素を強調するので、巷ではハーベスト・フェスティバル一色になることもしばしば。

今日はイスラエルを代表するフルーツ、それもタナフ(旧約聖書)にも新約聖書にも紹介されているフルーツとその聖書的特性を紹介します。


■葡萄(ブドウ):旧約時代から「ぶどう狩り」は楽しい村のイベントでした。葡萄を収穫しながら歌い踊るのです。タナフを読むと、この地の民は、収穫祭で神に感謝のうたを唄い、採れた葡萄を神に捧げたとあります。足で葡萄を潰すと赤い汁と皮が取れます。ご存知のように、その汁はワインの材料になります。残った皮は天然酵母として利用し、それでパンを膨らませた。ワイン作りがうまくいけば香しいワインになりますが、その工程で雑菌が入ると、ワインが酢に転じてしまうこともあります(バルサミコ酢のようになるのでしょうか)。新約聖書では、ナザレ人イエスがこの葡萄の木を彼自身の姿に似せたという記事があります。人の足で潰されて滲み出る赤い汁は、死刑台から流れる赤い血潮にも例えられます。その赤い汁は、どの工程を通るかで、香しいワインにも、酸っぱい汁にもなります。そのことを踏まえたイエスは、ぶどうの譬え話を語りました。それは「信じる」という工程を、どうやら聴衆に知らせたかったようです。


■無花果(イチジク):エデンの園から存在したといわれる(創世記3章7節)聖書中最も古い果物がイチジクです。イチジクは生でも乾燥させても食せる栄養価満点の美味しいフルーツです。実の収穫は夏から秋。熟した実は腐りやすく、農夫は頃合いを見て収穫します。収穫の時期が遅くても早すぎてもいけず、その「頃合い」というのが難しいのだそうです。つまり農夫のみが収穫の最善の時を知っているという訳です。イエスは「イチジクの木から、たとえを学びなさい。」(マタイ伝24章32節)と説いています。そのたとえでは「頃合い」を知る農夫が「イスラエルを守る神」で、一方、収穫の実はイスラエルなのだそうです。


ざくろ:イスラエルでは、ざくろはその色と形から最も美しいフルーツと考えられています。ざくろの萼(がく)を空に向けると冠の様に見えることから、エルサレム神殿の至聖所の柱のデザインにざくろが使われました。ペサフ(過越しの祭り)からシャブオットの時期(5旬節)に花をつけ、夏に実を結びます。その実は神に捧げられました。聖書の雅歌(4章3節)には、花嫁の高揚した美しい表情を、ざくろのようだと譬えています。またざくろは、外側の美しい容姿に加え、内側に多くの実ををつけることから、今日のイスラエルでは結婚式のパンフレット等のデザインにざくろが好んで用いられます。美しい花嫁が子宝に(そして天来の祝福に)恵まれますように、という願いを込めるようです。

■タマル(なつめやし):チグリス・ユーフラテス川が流れるメソポタミア地方の代表的な果物といえば、なつめやしです。英名はデ—ツ(デイト)、こちらではタマルと呼びます。なつめやしは荒野に流れるわずかな水分を吸収して実を結びます。蜜のように甘いなつめやしの実は生命(特に祝福された人生や永遠の命)を象徴していると言われ、イスラエルではトゥビ・シュバット(樹木の新年祭:1〜2月頃)やスコット(仮庵の祭り)の際に好んで食用されます。

オリーブ:地中海が原産とされるオリーブ。その花は5月、その実は10月と一般的に言われています。聖書時代、オリーブから取れる油は、香油の一つとして扱われ、最高品質のオリーブオイルは神に捧げられました。古代イスラエル王国では、新しい王の就任式で、その頭にオリーブオイルを垂らして祝福しました。又、その昔、オリーブの枝で笊を造ったり、オリーブ材で家具を造ることもありました。現在もカトリック教会のギフトショップではオリーブ細工を見かけます。これは聖書時代の名残というよりは、どうやらオリーブ圧搾機が起点になっているようです。聖書時代とイエスの時代、オリーブから油をとる工程で欠かせないものが石臼のような圧搾機でした。まるい石臼の中央に収穫した実を入れ、石臼を回しながら実を潰して油を取り出すという、この圧搾機。ヘブル語で「ガッシャムナ」と呼びます。イエスが取り押さえられた場所を「ゲッセマネ」と呼ぶのはこの「ガッシャムナ」を語源としていると言います。取り押さえられた現場に、オリーブ林や製油所があったのでしょうか。それとも、イエスという人物が「神に捧げる聖油となるためにオリーブの実の様に潰された」という民間信仰に起因しているのでしょうか。今日のオリーブ細工には、イエス時代から受け継がれたそのような謂れがあるのかもしれません。イスラエルに来たら、ぜひ聖書時代の圧搾機を探してみてください。



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2010年5月14日金曜日

エルサレムの呼称いろいろ

去る水曜日はユダヤ暦でイッヤル(Iyar、別称ジブ)の月の28日で、ヨム・イェルシャライム(エルサレム・デー:写真)という祝日でした。この祝日は宗教祭ではありません。1967年の六日間戦争(第三次中東戦争)後エルサレムが再統一されたことを憶える記念祭です。エルサレム旧市街 は1948年5月14日のイスラエル建国後間もなく(半日後)はじまった独立戦争(第一次中東戦争)を経て、ヨルダンに占領されてしまいました。新市街を含むエルサレム市は分離壁によっ て東西に分割されてしまいました。六日間戦争でイスラエルが勝利したことに よりそれらの分離壁は崩され、エルサレムは統一されました。建国日からユダヤ教徒が待望した聖域(神殿は崩壊したので現在は嘆きの壁が聖域とされている)での礼拝と祈祷は許されず、待つこと19年が過ぎていきました。

エルサレム・デーはユダヤ教徒ら(特にこの日は宗教的シオニスト達)には、嘆きの壁での礼拝を喜ぶ日です。今年も各地のイェシバーの学生たちがエルサレムに集結して派手にお祝いしました。宗教祭以外認めない超正統派でさえ、(聖書ではなく)国が定めたエルサレム・デーだけは例外的に認めている様ですが、世俗派と肩を並べて輪にになって踊る姿は今年も見られませんでした。「エル サレムは常に我々のものであり、二度と分割されることがあってはならない。」エルサレム・デーの挨拶をネタニヤフ首相が述べました。この演説内容は昨年同様でした。
ユーチューブで見る「エルサレム・デー」:ここをクリック

ナザレ人イエスの預言的ことばによると「異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる」(ルカによる福音書21章24節)ことのようです。その「異邦人の終わりの時」はいつどんな時かは判りませんが、エルサレムは歴史の上では確かに踏み荒らされてきた都でした。
その歴史を踏まえた、イェフダ・アミハイの詩をひとつ紹介しましょう。
訳:村田靖子
————————
この都市(まち)は名前でかくれんぼ。
イェルシャライム
アル=クドゥス
サラム
ジェル
イェル
闇のなかでささやく——イヴス イヴス イヴス。
切なる憧れをひめて泣く——エリア・カピトリーナ  エリア エリア
夜 ひとり 彼女の名を呼ぶ男なら
だれのもとへでもくる。
でも ぼくたちは知っている
だれが だれのところへくるのか。

訳者の注解:エルサレムには数多くの名前がつけられてきた。時代により、支配者により名称を変えられてきたエルサレムは、今も二つの名前を持つ。イェルシャライム(ヘブル語のエルサレム)とアル=クドゥス(アラブ語:聖なる都)。
————————
聖書に667回(タナクのみ。新約聖書811回)登場するエルサレムは、以下のようにも聖書で呼ばれています。

サレム[創世記14章18節]、
シオン[詩篇137篇1節はじめ、聖書に154回登場]、
モリヤ[創世記22章2節]、
アドナイ・イルエ[主は見られる:創世記22章14節]、
アリエル[神のライオン:イザヤ書29章1節]、
ベトゥラ[乙女:哀歌1章16節]、
キリヤ・ネエマナ[忠信な都:イザヤ1章25節]、
ガイ・ヒザヨン[幻の谷:イザヤ22章1節]、
キリヤ・アリザ[喜びの町:イザヤ22章2節]、
キリヤト・ハンナ・ダビド[ダビデが陣を敷いた都:イザヤ29章1節]、
ドゥルシャ[後追いされるもの:イザヤ62章12節]、
ギラ[喜び:イザヤ65章18節]、
ツル・ハミショル[平地の岩:エレミヤ21章13節]、
ネヴェ・ツェデク[正義の住みか:エレミヤ書31章22節]、
キリヤト・メレフ・ラヴ[偉大な王の町:詩篇48篇2節]、
イル・ハ・エロヒーム[神の都:詩篇87篇2節]、
イル・ハ・エメット[真実の町:ゼカリヤ書8章3節]、
イェブス[士師記19章10節]、
キル[町:エゼキエル13章14節]、
オホリバ[女に内在する私の幕屋:エゼキエル23章4節]

ざっと20程挙げてみましたが、こうしたエルサレムの詩的、描写的名称は聖書にまだまだあると言われています。ちなみにクルアーン(イスラム教の聖典)には「エルサレム」の名は一度も出てきません。

参考:Jewish Agency for Israel: Names of Jerusalem







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2010年5月8日土曜日

イスラエルの魔術信仰

アテン教(古代エジプト)、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教など唯一神教を生みだしたこの地域では、多種多様の魔術文書(写真)が残されてきました。それは西アジア(バビロニア)から北アフリカ(エジプト)にかけての地域では太古から魔術信仰が存在したからです。それは現在進行形で、ユダヤ人を含むこの地域の生活の一部となっています。今も、邪視(アインハラー)、ハムサなどの魔除けグッズ、夜の魔女リリス信仰、黒魔術/白魔術などの呪術は、一神教世界の裏側にごく自然に存在しているからです。それを裏付けるかのように今月、エルサレム市のバイブルランド博物館では、現代ユダヤ人に今も影響を与える「魔術」を特集しています。この展示会は「Angels and Demons, Jewish Magic Through The Ages」と題して今月5日から始まりました。興味ある方は必見ですね。


ここで上記の魔術信仰を簡単に説明します。


夜の魔女リリス:ユダヤ教の中世からの伝承では、リリスは「アダムの最初の妻。リリスはアダムを愛したが性生活は満たされずエデンの園を去ってゆく。その後アダムはエバを愛し、これを第二の妻とした。一方でリリスは魔女(妖怪もしくは悪魔)に転じ、現在の妻を妬み、その子供たちに不幸と死をもたらす」存在として広く知られています(写真2:画ジョン・コリア作)。 今日も、魔女リリスは、幸せそうにしている妻達を妬み、夜間、風のようにスゥーと彼女らの部屋に忍び込み、その乳飲み子らを襲って病や死をもたらす存在として恐れられています。そこでリリスの嫌う青緑色(中東ではこの色には魔力があると信じられている)で窓枠を塗ったり、新生児護符を持ったりと迷信に基づく習慣が残っています。


邪視(アイン・ハラー:邪眼):これは、妬みにかられた女(魔女)の眼差しです。この目に睨まれると不吉が起こると信じられいます。邪視が自分に向けられないように、もしくはその魔術的パワーを身につけるためにと、今日では若い女性たちの間でアインハラー・アクセサリーが愛用されています(写真3)。ちなみにイスラエルでは、女が子を身籠ると、その子が生まれるまで(生後8日目まで)名前を隠しておく習慣があります。これはリリスに生まれてくる子の名を呼ばれると、その胎児に異変が生じるという迷信が背景にあるからです。


ハムサ:これは邪視に対抗する中東のお守りです。またハムサは「ハムサ、ハムサ、ツ、ツ、ツ」という不幸を免れるお呪(まじな)いの言葉です。護符としてのハムサは、掌の中央に邪眼を描いたもの(写真4)。大きく開いたその手は邪視を封じるのだそうです。ハムサはアラブ語で「5」を指します。つまり手の指5本で悪霊を祓うわけです。ユダヤ人の一般の家庭では、玄関や窓と向き合う壁にハムサを貼る習慣があります。窓から進入するリリスを追い払うためなのでしょう。ハムサ・グッズ——主にアクセサリーですが——は、イスラエル国内のどのギフトショップにも大抵置かれています。それらのお店では、観光客に「これを持つと幸運が訪れますよ。グッドラックを意味しますから。」なんて薦めています。何も知らずにオシャレだからって買うお客さんもいますが。イスラエルに来たら話題のハムサグッズを探してみてみては?


バイブルランド博物館では紀元4〜7世紀時代のハムサ護符が展示されているようです。私も近々見に行ってみようと思います。


祈り)中東の魔術信仰は歴史的に深く、ヘブライ大学には魔術文書を研究する学者達もいます。しかし聖文書ほど研究は進んでおらず、翻訳過程の文書も数多くあるようです。迷信を解くために学問が一石を投じてくれますように。それにしても一神教の裏側にある魔術的習慣が人を深く迷わせてしまうことがありませんように。イザヤ書8章18節〜22節


参考資料:[5月4日付け:"Sex and the Jewish mystic" by Sapa-DPA通信社]。
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2010年3月20日土曜日

アウシュビッツから65年:ペレス大統領の心痛と心底(結び)

ながらくお待たせしました。ペレス大統領の演説の最後の部分をアップしておきます。今イスラエルは、プリム祭を経てペサフ祭(過ぎ越しの祭り)を迎えようとしています。ユダヤ民族を敵視し死へ追い込もうとする者は、ユダヤ人にとり昔も今も変わらず存在します。なぜ存在するのでしょうか。ペレス大統領の結びの言葉に力が入ります‥‥。
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[peres_1.jpg]大英帝国のパレスチナ統治が満期になる頃、ユダヤ人国家の復興と再建に尽力したデーヴィッド・ベングリオンは、イスラエル国がここに建国されると宣言しました。ところがアラブ諸国は国連の可決した第181条を全面拒否し、イスラエルに奇襲攻撃をしてきました。それはイスラエル独立宣言が読まれたちょうど数時間後の出来事でした。彼等は、ユダヤ人国家の復興を恐れて、我々に侵攻してきたのでした。
この状況下で我々は孤独でした。世界のどの国とも軍事的な連盟を結んでいなかったのですから。しかしこの場所は神が我々ユダヤ人に約束された安住の地であるとの確信に我々が立った時、(WWIIに続く)更なる逆境と向き合えたのです。もし我々がこの(第一次中東)戦争に敗北していたなら我々ユダヤ民族の存続はありえませんでした。
窮地に追い込まても、その過酷な状況下でイスラエル軍( IDF)は勝利しました。勝利を後押ししたのは、我々の歴史に刻まれた正義感とヒロイズム(ユダヤ的英雄観)でした。ホロコーストから生還したばかりなのに、ユダヤ兵士たちは再びこの戦争で戦い、ある者はこの戦争で亡くなっていきました。
非常に小さな国としてスタートしたイスラエル。この民はお互いにまだ癒えない、深い傷と向き合いながら日々を送りました。それにもかかわらずイスラエルは、寄る辺無きホロコースト生存者たちとアラブ諸国で迫害中の難民たちを次々と受け入れたのです。当時、受難民を(公式に)受け入れる国は、我々の国以外世界中どこにも在りませんでした。受難民に開かれた扉はイスラエルのみだったのです。
戦後、我々の傷口から流れる血はなかなか止まりませんでした。するとこの状況を直視し変えようとする政治家が現れました。それは我々の思いも寄らぬところから来た人物で、忘れるわけにはいきません。その人物は(あなた方)新生ドイツ連邦国から現れたのです。
偉大、且つ歴史に残るその人物は二人いました。彼等はそれぞれ自分の側から歩みより、奈落の底に落とされたユダヤ民族に対し、自らの手を差し伸べてくれました。その一人は「ドイツ民主連邦の父」コンラート・アデナウアー首相(写真2)です。もう一人は、イスラエル建国の父であり初代首相となったデイビッド・ベングリオン(写真3)です。
1951年9月27日、連邦議会の壇上でアデナウアー首相は、ナチス政権の対ユダヤ民族の戦争責任は我々ドイツにあると明言しました。彼は続いて、新生ドイツ政府は責任をもってユダヤ人市民へ損害賠償を支払い、イスラエル国に対しては復興援助をすると公約したのです。ドイツ・イスラエル政府間の真っすぐな交渉はこうして始まりました。それ以降、この相互関係を疑う反対勢力は力を発揮していません。
もちろんこの時、石を投げる者(ユダヤ人の反対者)はクネセット(イスラエル国会)にいました。彼等は死の恐怖にさらされたホロコーストの生存者たちでしたから。彼等はベングリオン側に立ちながら石を投げたのです。反発を受けてもベングリオンは、新生ドイツを信頼して受け入れ、ドイツ人と協力し合う関係を築いていきました。彼は、この政府間の決定は「我々の過去にではなく、未来に関わる大きなものだ」と説きました。これを受けてクネセットは彼に同調することにしました。
感謝なことにドイツからの賠償金が、イスラエル国経済の活性化と復興を促進させました。ちょうどこの頃、私は未だ若き青年でした。しかし機会に恵まれてベングリオンの助手として働き、その後は彼の政権下で、私は国防省長官として働きました。私が彼から学んだことがあります。それはイスラエルという国は、親が家庭を築くように国家を築き、親が子を守るように国民を守るという使命を、絶えず果たさねばならない国だという点でした。さて、この点をドイツ政府は理解し、国防のためにとイスラエル国に軍事兵器を準備してくれました。こうしてドイツ・イスラエル間の関係は奇しくも深まっていったのです。
ドイツ人とユダヤ人の友情とは、お互いの記憶からホロコーストを消し去ることではありません。むしろその逆で暗い過去の記憶と向き合う、その過程で友情は築かれていきました。二国間(二民族間)の真っすぐに向き合う関係が、明るい未来を今後も作るのです。これがティックン・オーラム(*)です。(*ユダヤ教のことばで、世界を変えるには先ず自己改造や自己改心が必要だと説く。)
深い峡谷に橋が渡されました。痛みを負い、苦しい過去と向き合いながらも橋は渡されました。この橋の基礎には、確かな倫理観が置かれています。この倫理観から(ホロコースト)記念館が建てられました。我々の不毛の地は耕され、ここは果樹園に変わっていきました。
今日、イスラエル国内の各研究機関は、命を生み出す(または命を守る)研究が盛んです。又イスラエル国防軍は我々の命を守るのに必死です。我々は民主的であるために、つまり命を守るために妥協しないのです。
我々は新生ドイツを信じています。今後も我々ユダヤ人が(反ユダヤ主義勢力に対して)再び孤軍奮闘せぬよう、生まれ変わった(あなた方)ドイツがイスラエルの側に立ち、惜しみない努力をしてくれることを信じています。 あの、相手を蔑み、殺意をむき出しにした独裁者が、次なる独裁者を眠りから覚ますことがないようにと願います。ベングリオンは、今後のドイツは、独裁体制をとったこれまでのドイツとは異なる、と予見しました。その通りでした。感謝の気持ちで一杯です。
ベングリオンと視野を分かったコンラート・アデナウアー氏に続いたのは、ヴィリー・ブラント氏(写真4)です。彼はワルシャワ市のユダヤ人ゲットー跡地で跪いて(謝罪の意を表して)献花しました。彼に続いたドイツ連邦議会と連邦参議院の皆様、加えて、ヘルムート・シュミット氏(写真5)、ヘルムート・コール氏(写真6)。皆様がドイツ人とユダヤ人の友情を育み、深めて下さったのです。続いて多くの教育機関、金融機関、文化会館、そして様々な知識人や文化人が二国間の関係回復と改善のために尽力して下さいました。
ホルスト・ケーラー大統領(写真7)、あなたはエルサレムを訪問した際、クネセットでこう言われました:「ホロコーストの責任をとることは、ドイツの存在証明に関わることです」と。あなたのお言葉を本当に嬉しく思います。
そしてアンゲラ・メルケル首相(写真8)、あなたの誠意と優しさで、あなたはすでにイスラエル国民のハートを掴んでいます。あなたは米国の上下両院で「イスラエルを攻撃することは、ドイツを攻撃することと等しいことだ」と発言されました。この時の言葉を我々は忘れません。
イスラエル建国から約60年がすでに経ちました。その間に、我々はすでに9度も近隣諸国と戦争をしています。2度の和平条約も結びました。一度目はエジプト国と二度目はヨルダン国とです。我々はかつて我々の領土と化したものを、近隣国との和平のために手放してもいます。
こうして我々は小国として留まりました。国内に天然資源もありません。我々に与えられた地は見る所不毛の地だったのです。しかし近代農業の開発と技術向上の末、我々は世界に誇れる、生産性の高い国へと生まれ変わったのです。我々は天然資源の欠乏を補うために、最新の科学技術とテクノロジーの開発に力を注いできましたが、この一点で、小国としては大きな成果をあげました。
ホルスト・ケーラー又イスラエルは、各地を追放された者達で構成されています。世界に散らされたユダヤの民の過半数は今日イスラエルにいます。又我々は民族の言語を復活させました。4千年前の言葉を今によみがえらせて話している民族はユダヤ人以外、世界のどこにも存在しません。この言語はつまり聖書の言葉であり、今日我々が使うヘブル語です。
アンゲラ・メルケルユダヤ史には、二つの大きな河が流れています。一つは、十戒から湧き出るモラルの河です。三千年も前に記された十戒は、時代に合わせて改善させる必要のない、今も欧米諸国の倫理基盤となっている掟です。もう一つは科学の河です。この流れの中では、我々はもつれた糸をほどくように、隠された秘密を解き、DNAの遺伝情報を解読するかのように、人間の目に伏せられてきた情報を解読していくのです。二つの河は我々が生き伸びるために流れています。
イスラエルはユダヤ人の国であり、同時に民主的な国です。150万人のアラブ国民もユダヤ人と同等の権利が保証されて共存しているのですから。我々は信仰や民族性の違いで人を差別すべきでないと肝に銘じているのです。こうして我々は昨今の世界的な金融危機を乗り越え経済成長を遂げています。
イスラエル文化は現代的かつ伝統的です。こういう文化圏での民主政は良い意味でも悪い意味でも威勢がよく、一時たりとも活力が衰えることはありません。どんなに戦争中でも、イスラエルはのらりくらりとはしていられなかったのですから。
イスラエルは数々の戦争に勝利しても、国家存続の危機解消に結びつく勝利とはなりませんでした。我々は土地に執着しているのではありません。我々は他の民族を支配したいとも願っていません。我々は目を閉じて、安らかに眠ることだけを心から願っているのです。我々が渇望するもの、それは他の民族と平和をつくる(平和に共存する)こと、と実に明白です。その点でいえば、イスラエルは「二国家共存の理論」に不支持ではありません。我々は数々の戦争で犠牲を払ってきました。つまり「平和をつくるために」ならばと我々は犠牲を払うことに臆する民ではありませんでした。我々は今日、パレスチナ人たちと平和をつくるためならテロリストを引き渡すことも視野に入れています。彼等パレスチナ人達がそれで独立し、成功し、自分達の手で平和な国を築くことができるなら、それを我々も当然切願します。
我々の近隣国イランの国内で、昨今多くのイラン人が独裁政治と暴力に反対し、抗議活動をしています。彼等イラン人のように、我々もまた狂信的なイラン政権には反対です。彼等がどれ程国連の支持を受けてもです。この政権は、核施設を設け、国内外のテロ活動を活性化させることに躍起になっている、破壊的で恐ろしい政権です。世界中を脅威にさらしかねない政権です。
我々はヨーロッパ(欧州連合)の人々から学びたいのです。彼等はヨーロッパに千年も続いた戦いと辛酸の歴史から学ぼうとしており、それぞれの民族の父祖達が相手に抱いた憎しみを兄弟愛に変えようと務めているからです。
彼等から学べること、それは中東にも同様のものが誕生することです。つまり各民族の父祖たちの間にあった溝や争いを子供たちに継承するのではなく、それらを平和に置き換えるのです。具体的には地域経済の活性化を促す、という新しい共通のチャレンジを持つのです。もしそれができれば、この地域の飢餓、砂漠化、病い、そしてテロを無くしていけるのではないでしょうか。
科学技術を向上させ、生活水準と暮らしの安全を確保することも必要です。そもそも戦いの神ではなく、平和の神という神観は共通しているはずです。あなた方の前に立っている人間(私)は、新しい未来を新しい歴史を作っていけると信じている者です。それもあなた方の力で、我々の力で、です。(この世に存在する)イスラエルへの脅迫は、平和をつくらせる行為でしょうか。私は、「平和」は実現可能だと信じています。今、あなた方の面前にいるこの者は、人間が人間らしく在るために世人を啓蒙し、世を明るくするために尽力を注いだ者達を父祖に持つ者で、それらが証人となっているのですから。
国際ホロコースト記念日は、交わりを持ち、沈思する日です。教育される時、希望する時です。カディッシュ(追悼の祈り)で始まったこの演説をハティクバ(イスラエル国歌)で閉じることにします。
歌詞)
いつでも我々の心の深いところに、
ユダヤ民族のネフェッシュの渇きがある。(*)
そして遠い遠い東の岸へ(**)
シオンへ、我々の目は向いている。
我々の希望は未だ失われていない。—この二千年の希望は。
それは我々がこの土地で自由の民となること。
このシオンの土地、エルサレムにおいて!


最後に、我々の抱いてきた夢を我々が抱き続けることを許して下さい。あなた方が実現させようとしている夢をどうか実現へと向けて下さい。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
※ネフェシュの聖書的原意は、のどの渇き。今日のヘブル語では魂や生命を指します。ユダヤ人の心の深いところにあるネフェシュ(のどの渇き)は、単に水を欲する渇きではなく、聖書の神に向けられた彼等の訴え、叫び、願望、祈りなどを含んだ心の渇きをも意味します。
※※東は聖なる方角です。エルサレムにある神殿の正門(通称、黄金の門)は東側に開かれています。ユダヤ人の間では昔から、メシアが到来した際、この門から神殿に入ると信じられています。メシアが神の神殿に入られた時から、メシアの平和な統治時代が始まるとも信じられています。

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