2009年7月31日金曜日

イスラエルの夏=暦はアブの月

去る7月30日はユダヤ暦ではアブの月の9日で、ユダヤ史では神殿崩壊日にあたります。ユダヤ史の記録によると、1942年前のこの日に、ローマ軍により神殿が崩壊しました。一部の理解では、最初の神殿(ソロモンの建てた神殿)もバビロン軍により、紀元前586年の同日に崩壊したと言われています。ユダヤ史上、アブの月の9日は呪われているのでしょうか。神殿崩壊以降もこの日に限りユダヤ人に対して悲しい出来事が重なりました。

例えば、紀元136年の同日、ローマ皇帝ハドリアヌスがユダヤ教を徹底的に弾圧し、皇帝はカナンという聖書の呼び方をパレスチナと改名しました。1025年同日には、ローマ法王ウルバン二世による十字軍が始まりました。これはユダヤ人迫害を前提とした醜い暴力的宣教運動としてユダヤ史に記録されています。又1290年同日は、英国王エドワード一世によってユダヤ人追放が合法化されました。1492年の同日には、スペイン皇帝もユダヤ人追放を決定し、悪名高いスペインのユダヤ人迫害が始まりました。近代では1942年同日、ワルシャワから数十万人のユダヤ人が一挙にトレブリンカ強制収容所に移送されるなど、その後も“アブの9日”関連の悲劇は続きます。
アブの月の9日は聖書に定められた祭日ではありませんが公共施設や学校などは休日になります。この日、宗教的ユダヤ人の間では、神殿崩壊とこれらの悲痛な歴史のゆえに断食し、メシア到来を神にひたすら祈ります。更には一部の宗教熱心なユダヤ人はアブの月の9日をメシアが誕生した日としてお祝いしたり(!)します。それほどまでに神殿を失った悲しみとメシア待望は彼等に重大でした。さて今日超正統派が黒服のみを着るのはどうしてかという質問に、ある人は「(神殿が崩壊して)喪に服しているからだ」と応えました。彼等はいつまで喪に服すのでしょうか。
今年のアブの月、Ynet新聞とゲシェル民間組織Gesher organization)が共同で神殿を再建して欲しいか」というアンケート調査をとりました。すると一般市民の64%(宗教派97%、伝統派91%、世俗派47%)がそれを当然望むと応えました。
エルサレムを分割させようとする声が世界で高まる中、こういうユダヤ人達の声はどこまで世界に届いているのでしょうか。
写真)イスラエル博物館にある大ヘロデ王時代(イエスの時代)の神殿模型。
参考)7月30日付:Ynet紙[Survey: 64% want Temple rebuilt
祈り)アブの9日、この日に限って起きた惨事の多くに、キリスト教徒によるユダヤ人迫害や弾圧がありました。この史実は今もユダヤ人に大きな痛みを残しています。将来、同じ悲劇がアブの月に起こりませんように。又、ユダヤ人の内に秘めた声を世界がもっと理解し、彼等に聞くことができますように。
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2009年7月24日金曜日

ユダヤ世界、スポーツで一つに


去る7月13日、イスラエルで通称“ユダヤ人のオリンピック”として知られるマカビー・スポーツ大会が開催されました。2週間に及ぶこの大会は27日まであと数日続きます。第18回目となる今大会の参加者数は、世界51カ国から集まったユダヤ人選手たちと国内のイスラエル人選手たちを合わせた7千人。ただ今、世界に離散するユダヤ人達は、スポーツを通して、“ハアレツ(イスラエルの地)”で一つになってます!


「これって凄いぜ。みんなユダヤ人なんだ。」驚嘆したのは開会式(場所:ラマットガン・スタジアム)に出たロンドンから来た卓球選手イアン・マブリンさん(Ian Mablin)。


4年に一度開催されるこのマカビー大会。その第一回大会は、イスラエル建国前の1932年にまで遡ります。事の起こりは当時15才だったロシア青年ヨセフ・イェクティエリ氏(写真:Yosef Yekutieli)が1912年にストックホルムで開催されたオリンピックを見て感動し、あのようなスポーツ大会をユダヤ人同士で持ちたい、と夢を描いたところから始ります。イェクティエリ氏その後、約10年をかけて夢の実現へ向けて構想を練、ユダヤ国民基金(JNF)の資金援助を受けて、初のユダヤ人のスポーツイベントの企画に乗り出します。そしてユダヤ人スポーツ大会の第一回開催年は、彼の願いで、バルコクバの乱(132〜135年:ローマ帝国によるユダヤ人蔑視や迫害に対する抵抗運動)からちょうど1800年経つ1932年に定まりました。



写真左は今大会の大会ロゴ。ダビデの星をモチーフにしたロゴに象徴されているのは、ある競技で格闘するふたりの男たち。青はイスラエルを象徴する色。オレンジは命の躍動感を表現した色です。


さて、多くの選手たちは、世界中から若きユダヤ人達が、それもスポーツ選によって結集したことに驚きを隠せません。サッカー選手アーネスト・ストルルさん、33才はドイツのオフェンバッフ市にある500人程のユダヤ人が住む小さなユダヤ人地区から参加しました。今大会のハイライトはとのインタビューに「この地(イスラエル)でプレーすること」と応えた彼は、開会式では鳥肌がたったと言います。彼がそこで目にしたのは、各国のユニフォームを身にまとう、世界からやって来た数千人の同胞たちです。「これは信じられなほど美しい経験だぜ。だって方々の国々から来た、これだけ多くのユダヤ人達と会えるんだからな。」と彼は目をまるくします。


オーストラリア国シドニー市から来た、スカッシュ選手のアービン・ゴードンさん、58才は「このマカビアー大会は、それぞれの居住国を代表しながら世界のユダヤ人たちがスポーツで一つになれる大会さ。そして世界のユダヤ人地区に衛生放送されるんだ。」と自慢げに語ります。「しかし社会的にはありとあらゆる背景を持つユダヤ人達が大会には来る。それでも(大会期間中)シナゴーグに行けば、彼等だって同じ言語(ユダヤ民族の言葉)で祈りを神に捧げるんだからたいしたもんだぜ。」と彼は共通性を説きます。


開会式ではエチオピア系ユダヤ人の女性歌手が国歌「ハティクバ」で“ユダヤ人魂”を歌い上げました動画。国民的スター、シリー・マイモンは「ハイ(イスラエルの民は活きている)」というメッセージ・ソングを歌いました動画光と影のプレゼンテーションでは、イスラエル国誕生の歴史を描きました動画。「これは私達のストーリー。あなた達のストーリー。ここは何もない砂漠から始まった。われわれは木々も建物も希望もないところから出発した。しかし夢を描いた。その夢が現実を生んだ。今、われわれの土地に、われわれはこうして存在している。」というのが演出のストーリーライン。式の終盤ではイスラエル首相のネタニヤフ氏が開会演説をし、次のメッセージを送りました。「この国は、あなた達一人ひとりのものだ。あなた達のホーム(心の故郷)はここにある。競技の後は、アリヤーしなさい。我々は皆、あなた達を待っているからね。」このスポーツイベントには、このように全体に一貫した一つのメッセージが流れており、多くの感動を世界のユダヤ人たちに与えています。


“スポーツが得意”とは決していえないユダヤ人。それでもスポーツで競技し、勝っても負けてもユダヤ人であることを誇りとして、試合後は称え合う。こういう選手たちの姿はこの大会ならではのスポーツマンシップかもしれません。ちなみに格闘技の好きなユダヤ人は、今大会にテコンドー、空手、柔道などを取り入れています。その他、フットサルクリケット、ゴルフなどオリンピックにない種目もあります。更には、あきらかにスポーツではないチェスも大会種目に入っています。チェスは「頭のスポーツ」ということですかね。


祈り)スポーツで多いに汗を流し、ユダヤ魂を見せつけてほしいものです。ヘブル語の「ハイ」という言葉には、生きる、存在する、命を持つ、永続する、生き延びる、命を生み出す、よみがえる、成長する等の意味があります。開会式を見ながら、この「ハイ」というメッセージを今の日本人に届けたくなりました。「死」を見つめる者に、この「ハイ」のメッセージが届きますように。


聖書の言葉:「わたし(神)は、だれが死ぬのも喜ばない。だから(わたしに)立ち返って生きよ。」(エゼキエル書18章32節)


参考)7月14日付:ハアレツ紙[記事:18th Maccabiah opener / 'It's amazing, everyone's Jewish']—ウィキピディア[マカビアー・スポーツ大会—マカビアー・スポーツ大会・オフィシャル・ウェブサイト


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2009年7月18日土曜日

ラビの結婚論ってつまるところはセックスの勧め?

今日取り上げるのは、デビッド・バツゥリ氏( Rabbi David Batzri:写真:ハアレツ紙)というカバラー系の超正統派ラビ(ユダヤ教教師)で、ナハル・シャローム・イェシバ(宗教学校)の校長でもある人物。そして彼の結婚論です。彼はへレディ(超正統派)コミュニティーの“名物先生”で、彼の勧めで結婚したカップルは大勢いるということです。

去る7月9日(木)、エルサレムの嘆きの壁におよそ千人の未婚の女性が集合しました。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。(聖書の言葉)」と言われた神は、彼女たちには大切な“結婚の神様”。その神様に「尊敬できるパートナーを与えて下さい」と祈る集会を、この名物先生が独自の結婚論で導いたのでした。嘆きの壁での祈祷後、これら10代後半〜20代の女性達は名物先生の語る言葉に傾聴しました。その内容は地元のラジオ番組や新聞で紹介されました。以下がその名物先生の結婚論です!


♥長い独身生活に終止符を打ちたいなら、または不妊の女になりたくないなら、すぐに結婚しなさい。避妊具の使用は一切止め、とにかく12人を生むよう努め、子づくりに励みなさい。
♥女たちよ、妊娠を遅らしてはならない。既婚の婦人達よ、子づくりに関してお互いに励まし合いなさい。
♥避妊は、家計収入に影響を与えるということを知りなさい。子を宿すことを人口的に止める者は天来の祝福が止まり、収入も減ります。(つまり子沢山の家庭に対しては減税や国からの援助金があるのだから、恩恵を受けなさい。もしくは恩恵を受けるために子づくりに励みなさい。)
♥子供が3才になっても次の子供を身ごもれない、そういう女は避妊している。その者には「避妊具をつかうな」と教えてあげなさい。
♥子供をおろしてはならない。堕胎を勧める医者の説明を聞いてはならない。私の言う通りに堕胎を断念する母は、その生まれてくる子供が健やかで、義なる子供に育つと知るがよい。
♥40の齢を過ぎても「子づくり」に励みなさい。高齢者の子づくりを危険だと思ってはいけない。
♥結婚できない女は、両親を敬うことに多少問題があった者だ。おそらく父親へより、母親へ敬意を払えなかった者だ。

こういう結婚の勧めはいかがなものですか? 日本のような少子化、高齢化社会にとっては、名物先生のような存在が必要だと思いますか? ここイスラエルでは、名物先生のメッセージは、ウーマンリブを叫ぶ世俗派の女性たちの反発をかっています。ちなみに、イスラエルの一世帯あたりの子供数は3人に対し、へレディーの平均は一世帯6〜7人です。国内の離婚率は3割。この比率に関しては宗教派も世俗派もほぼ同等の様です。育児環境は宗教地区の方が乏しい上に、子沢山のためか、超正統派の親たちの幼児虐待や家庭内暴力が最近メディアに取り上げられています。
参考)7月10日付、Ynet ニュース

祈り)男尊女卑が当たり前の正統派であれ、“女性が強い”世俗派であれ、夫婦が円満で、子供たちが(仮に兄弟が10人いても)満たされているなら、それにこしたことはありません。夫婦円満とイスラエル女性の祝福を祈ります。

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2009年7月15日水曜日

アフガニスタン:去り行くユダヤ人と残されたシナゴーグ

アフガニスタン西部にあるヘラート市には古いシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)があります(写真左)。最近このシナゴーグはリフォームされ様変わりしました。アフガニスタンのユダヤ人地区はここ数十年で地域から見捨てられ荒んだ場所と化していました。しかし一方で、ヘラート市をはじめアフガニスタン国内のシナゴーグは最近改装されるようになりました。これらユダヤ人地区で今何が起きているのでしょうか。今回のストーリーは、アフガニスタン系ユダヤ人が去り、行き場を失ったシナゴーグとユダヤ人共同墓地の「今」に焦点を当ててみることにします。


20世紀初期、アフガニスタン国内にはユダヤ人が4万人いました。その数は第二次世界大戦後5千人に減り、1978年から約10年間にわたるソ連・アフガン戦争で、なんと300人にまで減りました。度重なる試練でアフガン系ユダヤ人は危険にさらされ、亡命する以外に生きる道はありませんでした。20世紀初期、ここヘラート市には280世帯規模のユダヤ人コミュニティーが存在しました。この町のユダヤ人達も1948年のイスラエル建国を機に次から次へとアフガニスタンを離れて行きました。その多くは現在イスラエルや米国に在住しています。


現在国内に残るユダヤ人はただ一人。およそ2500年続いたアフガニスタンのユダヤ人の歴史は終焉を迎えています。その残された孤独なユダヤ人とはゼブルン・シメントーヴ氏
のことZebulon Simentov:写真2枚目ヘラート出身で、現在首都カブールのシナゴーグを管理しながら細々と暮らしています。結婚歴がありますが、彼の妻と一人娘はだいぶ前にイスラエルに帰還しました。家族のためにアリヤーしないのかという質問には「向こうに住む理由などあるか!俺はここでシナゴーグを守るだけだ。」と返すのみです。経済的には米国やイスラエルのアフガン系ユダヤ人の支援を受けつつも「その日暮らし」は続きます。

「今学校施設や地域のコミュニティーセンターとして再利用しているこの建物は、以前シナゴーグだったんですよねぇ。でも(この建物を利用する)子供たちは何も(この地域のユダヤ史を)知らないわ。まだ若すぎて理解できないのよ。」こう語るのはこの建物で学校を開校させた教育者ファテメ・ネザリー氏( Fatemeh Nezary)。



このヘラート・シナゴーグは百年の歴史を持つ石造りの建物です(写真:3枚目)。天井には、草花をモチーフにしたペルシャ文様の装飾が施されていました。しかし建物内の保存状態は悪く、復元させるのは容易ではありません。ほんの数十年前までユダヤ教徒達はここで聖書を読んでいました。しかし今はイスラム教徒の子供たちがコーランを学ぶ場所となっています。内装工事を担当した建築士のレズリー氏(Jolyon Leslie 、南アフリカ出身の非ユダヤ人)は「次世代の子供たちのためにも、ヘラートの住民は、かつてこの地域が多民族が共存する宗教的多様性の高い場所だったって覚えておかないといけないんだがね。それを覚えておくことはとても大切なんだ。」と語ります。


しかし同時に彼は自らの仕事を弁護します。「6万人の人口を抱えるヘラート市の2万人は子供たちだ。こうした歴史的建造物を保存しつつも、我々はそれらを再利用する方法を(例えば学校のために)編み出していかなきゃならないのさ。」彼の仕事は、要するにユダヤ人会堂を博物館として保存し復元させるものではなく、地域のニードに合わせて内装を美化し、新しい用途に合わせて機能させる改装工事です。それでも放置されたままより良いのかもしれません。

現在、ヘラート市内に三カ所あるシナゴーグは新たな施設へと改装されています。それらは地域の小学校やモスク(イスラム教の会堂)のために利用されるということです。


アフガニスタンのユダヤ人コミュニティーの歴史はとても古く、アッシリア帝国やバビロン帝国時代にまで遡ります。紀元前720年にイスラエル王朝[現在のパレスチナ地方北部に位置した、 イスラエル統一王国から分裂したイスラエル10部族により築かれた王朝]はアッシリアに攻め滅ぼされました。また紀元前560年にユダ王朝[現在のパレスチナ地方南部に位置した、イスラエル統一王国の分裂後の残された2部族によって守られた王朝]もバビロンに滅ぼされました。自国を失ったこれらイスラエル12部族の多くはそれぞれ西アジアに強制移住させられました。こうして離散した古代イスラエル人は、今日のイラン、イラク、そしてアフガニスタンに移り住むようになったのです。


話を最近のアフガニスタンへ戻しましょう。ここヘラート市のシナゴーグの敷地内には150年程の歴史を持つユダヤ人共同墓地(写真:4枚目)があります。実体なきユダヤ人コミュニティーの共同墓地を今日管理しているのはいったい誰でしょうか。この地域のユダヤ人達から雇われていた元管理人にアブデラジズ氏( Jalilahmed Abdelaziz 、祖父の時代から共同墓地の管理職を任されていた非ユダヤ人)がいます。彼はこう語ります。「わたしの祖父が墓を守っていた頃は、ユダヤ人達から給料をもらっていたんだよ。でも彼等が少しずついなくなり、最後のユダヤ人家族もロンドンに引っ越していったさ。それから給料はなくなった。」彼の説明ではこのユダヤ人共同墓地には約千世帯分のお墓が在るということです。


アフガニスタンは過去30年間で、度重なる戦争や内戦、イスラム教ゲリラ組織タリバンによる政治により、ユダヤ教徒への弾圧は強くなりました。無報酬の今もアブデラジズ氏は墓を守っていると言いますが、タリバンよりも一般市民のユダヤ教施設や墓地への破壊行為が厄介だと苦言を呈してもいます。

今日、アフガン系ユダヤ人はイスラエルに1万人、米国ニューヨーク市に200家族が暮らしています。殆どが20世紀半ばの亡命者とその子孫です。アフガニスタンに存在したというユダヤ人共同体の痕跡は今後も残されていくのでしょうか。少なくともシメントーヴ氏が存在する限り残されてゆくでしょう。



参考)6月24日付、ロイター通信//6月25日付、ハアレツ紙「Restoration work reveals Afghanistan's Jewish past」//ウィキペディア「アフガニスタンのユダヤ史
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2009年7月11日土曜日

09年夏のアリヤー情勢

イスラエルへのアリヤー(世界に離散するユダヤ人のイスラエル帰還)は2000年以降減り続けています。ところが2009年の夏はどういう訳か前年比で15%増え、北米、フランス、英国、南アフリカ等の地域のおよそ5千人のユダヤ人がアリヤーしてきます。この内約2千人が米国とカナダから、200人がフランスと英国から、130人が南アフリカから、又100人が南米からイスラエルへやってきます。


昨年度イスラエルへ帰還したユダヤ人の数は1万6500人でした。この数は1990年代に旧ソビエト連邦からアリヤーしてきた大勢のロシア系ユダヤ人(写真)以降、最低の数字です。
さて世界に離散しているユダヤ人たちの今年の動きはどうなるか。世界情勢を見ながら、見守りたい動きです。



*アリヤーを聖書的に読む:ユダヤ人の聖書タナフ(キリスト教の旧約聖書に相当するが、各書物の配列は異なる)の最後の書の最後の節、つまり歴代誌II36章23節はアリヤーを促す言葉で綴じられています。「(当時世界を支配していたペルシャ王クロスが中東全域に離散したユダヤ人に告げた言葉)あなたがた、すべて主ヤハウェの民に属する者はだれでも、その神、主ヤハウェがその者と共におられるように。その者は上って行く(原語はアリヤー)ようにせよ。

写真:上から、北米からアリヤーする今日のユダヤ人家族、90年代にアリヤーしたロシア系ユダヤ人たち、イスラエル建国年と翌年アラブ諸国から迫害を受けてアリヤーしたアラブ系ユダヤ人難民(写真はイェーメン系ユダヤ人たち)

祈り)この聖書に記されているアリヤーは宗教祭に都のぼりするユダヤ人を対象にしたのではなく、むしろ他国で不自由を感じていたユダヤ人たちを対象にした言葉です。今日も同じ聖書の言葉が「救いを求めるユダヤ人たち」に語られ、無事にアリヤーできますように。
参考)7月5日付、ハアレツ紙
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2009年7月10日金曜日

ヘロデ大王時代の「石切り場」見つかる


今月6日月曜日、イスラエル考古庁からニュースが入りました。それは約二千年前のヘロデ大王時代のものと思われる「石切り場」をエルサレムで発見したというもの。場所はシュムエル・ハナビ通り(Shmuel HaNavi Street)の地下。この石切り場は約100平方メートルの領域におよび、ヘロデ大王時代の最も大きな石切り場として考えられています。さて、切り出された石はヘロデ時代の神殿改築/増築のために使用された石なのでしょうか。そこで切り出された一枚岩で最も大きな石を測ってみると、その寸法は長さ3m、高さ2m、奥行き2mという大きさとなり、「なげきの壁」や神殿のいしずえとして据えられた石に酷似しているということです。そう分析するのは発掘隊ディレクターのイスラエル人考古学者オフェル・シオン氏(Ofer Sion)。彼の2週間にわたる発掘調査で、石切用の道具や紀元前一世紀時代の貨幣も同現場で見つかりました。要するに紀元前一世紀のエルサレムの建設プロジェクト(特に神殿改築)の規模を知る上で、これらは重要な発見となりました。

この石切り場をこの目で見たいという人達は沢山いるはずです。ところが数週間後にはこの場所は埋められ、アパートが建設される予定ということです。



*ヘロデ大王は、ローマ帝国によりユダヤ地区の政治を任された王で、任期は紀元前37〜4年の33年間だったようです。同王はナザレ人イエス誕生時に「救世主誕生」を恐れてベツレヘム周辺の赤児をことごとく殺害させた悪王として当時最も恐れられ、またエルサレムの神殿改築、湾岸都市カイサリア、要塞都市ヘロディオン(この場所でヘロデ大王の墓も発見されている。)またマサダ要塞などを建設した王として名高い王です。

詳しくはウィキペディアでお読み下さい。

参考)7月6日付、ハアレツ紙


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2009年7月5日日曜日

実は奥が深い、エルサレム駐車場問題


ここひと月の間、私がエルサレム住民として気に留めないようにしていた問題が市内の駐車場問題でした。しかし抗議デモで負傷者はでる、市長は脅迫メールを受ける、世俗派の車へ石は投げられる、土曜日明けの市内ニュースはここ数週間こんな内容ばかりで、注目しないわけにはいかなくなりました。そもそも問題の発端は、エルサレム市長バルカット氏が、世俗派の要望に応え、公共駐車場(とりあえず市役所近辺の一カ所のみという限定で)の土曜運営を許可したことにあります。それに反対したのが超正統派(ヘレディー)たちです。彼等の抗議に説き伏せられ、駐車場の土曜運営は一時見送られました。これに世俗派は憤怒して抗議のデモ。そして土曜運営を再開させたところ、反対派から再び強烈な抗議と暴動が。。私は個人的にこうした抗議合戦は低次元で、すぐに治まると思っていました。


ところがしばらく続きそうな気配がするので、対立し合う世俗派と超正統派のそれぞれの主張を列記してみることにしました。


世俗派

・エルサレム市は、金曜の午後から土曜夜まで市内バスや公共駐車場の全てが運行停止、運営停止になり身動きがとれない。土曜日に家族で出かけるにも自家用車以外の手段はない。市内での自家用車での行動まで制御するつもりなのか。これでは困る。

・「安息日を守れ」と正統派は主張するが、宗教を押し付けるな。聖書のどこに安息日の駐車場運営の禁止が記されているんだ?

・エルサレムはテルアビブやハイファのように宗教を越えて「自由な町」であるべきだ。ここが民主国家イスラエルの都なら、もっと民主的にすべきだ。

・安息日に身動きが取れないなんて、観光客には絶対理解されないだろう。時代遅れだ。

・宗教は強制ではなく信仰だ。ハバクク書(聖書の預言書の一つ)2章4節にも「義人は信仰によって生きる」とあるではないか。正統派の宗教に信仰なんかない。


正統派

・エルサレムはイスラエルの中心だがロンドンやパリとは異なる。民主国家とはいえ同時にここは聖書の民ユダヤ人の国であり、エルサレムはその中心だ。エルサレムが安息日を守らなければ、今後ユダヤ人は安息日を守らなくなるだろう。

・テルアビブ市のように不夜城になり、週日と週末になんら区別のない、ゲイを歓迎する町になっては困る。

・かつてバビロンから帰省したユダヤ人(聖書のエズラ記とネヘミヤ記時代)は世俗化しきっていた。だから指導者ネヘミヤはエルサレムにこれから住むにあたり、帰省した全ての民に安息日を厳守させ、民族性を回復させたのではないか。それがなかったら今日のユダヤ人は存在しない。今のエルサレム市長は逆を行っている。

・安息日を守らない者は死んでいる。律法違反者は地獄へ行ってしまえ!(一部の過激派の訴え)


一般市民からは、土曜運営の公共駐車場を正統派区域から離したらとか、駐車場利用者を非ユダヤ人にのみ許可したらとか幾つかの解決策が提案されていますが、そう簡単にはいかない様です。異邦人の目にはたかが駐車場問題ですが、抗議背景には、エルサレムは律法が守られる都か、民主的自由の都かを論点にしています。究極的には「安息日を守るべきか否か」が論点のようです。論点を絞れたとしても、論じ合うユダヤ人達がそれぞれ攻撃的で相手の話をじっくり聞かないので、双方が納得するのに時間はかかりそうです。


参考記事:6月9日付けハアレツ紙7月2日付けYnet紙7月4日付けエルサレム・ポスト紙  写真)6月19日付けエルサレムポスト紙の生活面の表紙、ハラディー達の抗議行動が暴動化した様子


安息日はなぜ守るべきなのでしょうか? イエスの時代、弟子達(主にガリラヤ出身の世俗派ユダヤ人)とパリサイ派(現在の超正統派の祖)の間にも安息日の解釈を巡り論争がありました。この質問をユダヤ人にしても、彼等の間にまとまった答えがないとしても、それは今回だけではないようです。ただネヘミヤの時代にしてもイエスの時代にしても、駐車場とは無関係でしたが。


祈り)土曜運営がなぜ御法度か、安息日をなぜ守るのか―—このことを街全体で話題にして考えているのは世界中ここエルサレムだけです。これに応えられる方が(いるとしたら聖書中にしか存在しないはずですが)エルサレム住民を正しく平和に導いて下さいますように。


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