2009年4月28日火曜日

戦没者追悼記念日「ヨム・ハジカロン」


今日はイスラエルの独立のために戦い、命を失った兵士達、戦没者たちを追悼する日です。













下記は駐日イスラエル大使館の説明と東京で持たれる式典のアナウンスです。


イスラエル独立記念日(本年度は4月29日)は、毎年ヘブライ暦イヤール月5日に祝われ、イスラエル国の建国を記念するものです。また、独立記念日を祝う前日は、イスラエルの独立と存続のために命を捧げた多くの人々を思い出し、建国のために支払われた代償の大きさを国民全体が思い起こす「戦没者記念日」と定められています。イスラエル本国では、27日夜8時より全国で1分間のサイレンと共に一斉に黙祷を行い、この時間から追悼のためのさまざまな行事が始まります。

東京では、戦没者記念日式典を2009年4月27日(月)にイスラエル大使館に於いて執り行う予定です。詳細についてご関心をお持ちの方は、大使館広報室までメールでお問い合わせください。」


聖書の言葉:

「見よ。彼らの勇士はちまたで叫び、平和の使者たちは激しく泣く。」(イザヤ書33章7節)


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2009年4月24日金曜日

「ハティクバ:希望」






来週火曜日は、同胞のために戦




い、戦死したユダヤ人兵士たち




を偲ぶ戦没者記念日。そして翌




日の水曜日は、イスラエル独立




記念日です



先週のホロコースト記念日から




来る独立記念日にかけて、イス




ラエル国内のあちこちの式典で




必ず流れるのが国歌です。この




国歌は曲調はしんみりとしてい




ますが、数々の迫害を乗り越え




たユダヤ人には希望を与える歌




で、曲名も文字通り「ハティク




バ:希望」となっています。



この「ハティクバ」は国歌とし




て指定される前は、つまりイス






ラエル国家建国(1948年)の半世紀前は、この地への帰還を夢見るユダヤ人




(シオニストたち)の間で歌われていた彼等の愛唱歌でした。日本では学校など




での国歌斉唱は個人個人の歌詞解釈で堂々と歌えなかったり、歌わなかったりも




する様ですが、イスラエルでは、日本がオリンピックやサッカー等のスポーツ・




イベントで国歌を斉唱するように堂々と、それもいつでもいかなる場所でも心か




ら「ハティクバ」を歌います。ユダヤ史と建国後の近代イスラエル史を知る者に




は、心にジーンと来る歌です。



YOUTUBE視聴はここをクリック

以下が「ハティクバ」の私訳です。

ーーーーーーーーー

いつでも我々の心の深いところに、




ユダヤ民族のネフェシュの渇きがある。*




そして遠い遠い東方の岸へ、 **





シオンへ、我々の目は向いている。



我々の希望はまだ失われていないー




この2千年間の希望は。




それは我々がこの土地で自由の民となること。




このシオンの土地、エルサレムにおいて!
ーーーーーーーーー
※ネフェシュの聖書的原意は、のどの渇き。今日のヘブル語では魂や生命を指します。ユダヤ人の心の深いところにあるネフェシュ(のどの渇き)は、単に水を欲する渇きではなく、聖書の神に向けられた彼等の訴え、叫び、願望、祈りなどを含んだ心の渇きをも意味します。

※※東は聖なる方角です。エルサレムにある神殿の正門(通称、黄金の門)は東側に開かれています。ユダヤ人の間では昔から、メシアが到来した際、この門から神殿に入ると信じられています。メシアが神の神殿に入られた時から、メシアの平和な統治時代が始まるとも信じられています。
祈り)「ネフェシュの渇き」は、ユダヤ人以外にも、可視的世界(現実社会)に




限界を感じる者、自己のアイデンティティーを探求する者、非可視的世界(私た




ちの心、精神世界、神との時間や空間など)になんらかの希望や平和を求める者




になら、誰にでもある、共通の渇きなのでは。その一人一人の心身の渇きを潤す




ために、ハティクバ(希望)の水が注がれますように。
聖書の詩篇125篇1〜2節:「主に信頼する人々はシオンの山[神殿の丘。モ




リヤの丘]のようだ。ゆるぐことなく、永久にながらえる。山々[神殿を囲む




山々にはオリーブ山(東側)、天望山(北東側)、今日シオン山と呼ばれる西丘




がある。]を取り囲むように、主は御民[神の言葉を守り信頼する者]を今より




とこしえまでも囲まれる。」
おまけ)エルアル航空のコーマーシャルで流れた現代版国歌(←をクリックする






とYOUTUBEで視聴できます。なかなかいいですよ!)

2009年4月21日火曜日

「ベルリン38」ホロコーストの歌

昨晩から今夜にかけてもたれたホロコースト記念日は、エルサレムに厳かな空気を運びました。ジュネーブでは、現在開催中の第2回ダーバン会議においてイランの大統領がホロコーストを否定したために、エルサレムとはまったく異なる空気に覆われています。さて今日のエルサレム市民は、ホロコーストで亡くなった600万人の同胞を心に留めて黙祷をささげました。ですから、このブログを閲覧して下さる方々も、エルサレムとホロコーストを心に留めて600万人の犠牲者のためにしばし黙祷して頂けるでしょうか。とお願いしても難しいかもしれませんから、こういうホロコーストの曲をご紹介します。YOUTUBEで曲と映像を通してホロコーストを考えるだけでも、人として生かされている理由を思いめぐらす時間がもてるのでは‥‥。



曲のタイトルは「Berlin 38: Next Year In Jerusalem(ベルリン38:来年はエルサレムで会おう)
」です。英語の歌詞にメッセージが込められているので、下記に訳してみました。


YOUTUBE(ここをクリックして視聴)
——————————
Berlin 38: Next Year In Jerusalem [訳:sunny]


当時俺は25歳だった——1935年のベルリンでだ。
そこに俺は小さな店を構えていた。
あの戦争がもう間近に迫っている頃だった。
ちょうどその頃、俺はレベカに出会った。
彼女の笑顔は最高だった。
俺は彼女を愛した。
そして彼女も俺を愛した。
未来は俺たちのためにあった。


そうさ俺たちは結婚して、間もなくヨセフとサラが生まれたんだ。
授かった子供たちを、俺たちは心から愛した。
そう、俺たちの夢は叶った。


だが日ならずして暗雲が立ち込めた。
俺にはその現実が分からなかった。
単純に何も見えていなかった。もっと見えていたらよかったのに。
しかしあの時の俺には見えなかったんだ。


*ダビデの星の下で、俺の心臓がふるえ動く。
 あの星は俺を見ているんだ。
 来年はエルサレムで会おうじゃないか。
「来年こそ」はエルサレムで会おうじゃないか。


真夜中に、俺は町の騒音で目が覚めた。
なにやら外で人が叫(わめ)いている。
奴らは騒々しく階段を駆け上がってきた。そして家の扉を殴り叩いた。
扉を開けたとたん、銃を突きつけてきた。
情け容赦も無かった。
奴らは大声で「直ちに出て来い」と命令した。


家族でスーツケース一つ。それだけだった。


「今すぐ行くぞ!」

俺たちは階段を下りた。
ヨセフがぐずった。間髪入れずに奴らは息子を蹴った。
幼子は倒れた。
息子はまだ三歳だった。
俺は息子の体を起こし、俺の腕に抱いた。


奴らは俺たちを汽車に乗せた。
家畜のように汽車につめ込んだんだ。
レベカは俺の手を固く握って、告げた。

「わたしたちは一緒よ。
 何が何でも一緒よ。」


〜間奏〜


俺はこれからのことをどう語ればいいんだ?
だって俺たちがそこに到着(つ)いたとたん、
奴らはレベカと子供たちを、俺から切り離したんだぜ。


俺たちは皆泣き崩れた。
レベカは俺の目を見詰めた。俺は彼女のあの目を生涯忘れまい。


彼女は叫んだ、
叫び続けた「子供たちはわたしがまもるわ。」って。
そして俺の愛する家族は皆、俺の前から消えた。
消えていなくなったんだ。


*来年はエルサレムで会おうじゃないか。
「来年こそ」はエルサレムで会おうじゃないか。


〜俺たちは決して忘れてはならない。
 忘れることなどできない。
 ダビデの星の栄光のため。
 俺たちは決して忘れてはならない。

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2009年4月19日日曜日

ヒットラーの誕生日、ホロコースト記念日、第2回ダーバン会議

日本の学校や企業で新年度が始まり、新しい風が吹き始めた頃、イスラエルでは宗教暦のお正月やペサフを迎えて春を楽しんでいます。又イスラエル政権は4月から新しくなり、首相もオルメルト氏からネタニヤフ氏に移行し、イスラエルには新しい風が吹き始めました。国内の政治経済においても、草花に笑顔を運ぶ春風が吹くことを願います。しかし明日4月20日の日没から21日だけは、春風が一瞬止まるのかも‥‥。イスラエルではこの日がホロコースト記念日だからです。この日は例年、ラジオの音楽番組は悲しい曲のみを流し、テレビではホロコースト関連の特集が組まれ、一日中シンミリとしています。この日は、日中のメランコリックな音楽やテレビ番組のせいで、鬱になったり、その晩に悪夢を見てうなされる子供たちが毎年いると聞きます。(写真:エルサレムの神殿の城壁にけなげに咲く野花)


今年はスイスのジュネーブで開催される世界会議の内容によりますが、大人にとっても暗い日になりそうです。明日からスイス国ジュネーブ市において4日間にわたり、第二回ダーバン会議[反人種主義・差別撤廃会議: 第一回目は2001年に南アフリカ共和国のダーバン市で開かれたことからこう呼ばれる。]が開催されるからです。

この会議は国連を軸にして、国際社会が人種差別の予防策や教育、被害者保護、救済、補償などを話し合うための会議です。2001年の同会議では世界150カ国から政府、NGO 関係者らが集まりました。この会議は「差別をなくそう」という南アフリカ共和国をはじめとする“世界各地の声”が国連を動かしてようやく形になったものです。しかし第一回会議の内容がこの呼びかけとは裏腹に差別的内容(特にイスラエル国に対して)だったため、当時の米国務長官のコーリン・パウエルが憤怒したことでニュースになりました。あの時は米国代表団とイスラエル代表団が会議の途中で引き揚げるという騒ぎになりましたが、今回は開催前にすでに、イスラエル、カナダ、イタリアがそれぞれボイコットを表明しています。アメリカも土壇場で昨日欠席届けを出しました。さて、この会議のどこに問題点があるのでしょうか。

一つは、議長国がリビア国、副議長国がイラン国であること。これに対しては世界ユダヤ人会議(WJC)のミカエル・シュナイダー書記長は「この会議は、主旨とは反対に人間の基本的人権を軽蔑する国々によって運営されている。」と批判しています。又エルサレム・ポスト紙は同会議への資金援助国に人権問題を軽視する国々を挙げています。同会議は例えば、サウジアラビア国から15万ドル、中国から2万ドル、イランから4万ドル、そしてロシアから60万ドルを受け取っており、同会議における差別に対する定義内容や声明に対して何らかの影響を与えていると考えられています。

もう一つは、同会議は、世界の様々な関連問題を取り上げるべき会議ですが、その主要問題としてパレスチナ問題のみが取り上げられているという点です。また指摘されている点はイスラエル批判を前提とした政治色の濃い内容です。同会議で大きな発言力を持つアラブ諸国は、世界に蔓延してきた反アラブ主義や反イスラム主義はイスラエルとシオニズムの仕業だと主張し、彼等こそ差別的、非人道的存在として認定すべきだと訴えています。(左図:これは今回のダーバン会議で「ダビデの星排除(=イスラエル排斥運動)」を勧める反ユダヤ的ポスターです。)

ちなみに4月20日は同時にアドルフ・ヒットラーの誕生日でもあります。第2回ダーバン会議を意図的にこの日と重ねているかについては議論できません。しかしイスラエル外務省で働くアビブ・ラズ・シェフター氏は背後にそのような意図があるのではと警戒しています。

祈り)明日から始まる第2回ダーバン会議では、人種差別の代表的な例としてホロコーストが覚えられますように。そして世界で最も人種差別の被害を受けた民族が、国際会議の中で「差別的で非人道的だ」というレッテルが貼られてしまうことがありませんように。またこの日がホロコーストを追体験する子供達に失望と恐怖をもたらす日ではなく、明日への希望を約束できる日となりますように。もしくは神自らの御守りを確認できる日となりますように。

風刺画と関連記事)この風刺画は今年3月にニューヨークタイムス紙に掲載されたガザ戦争の風刺画で、パット・オリファント氏[Pat Oliphant] が描きました。オリファント氏の風刺画は現在世界で活躍するイラストレーターの風刺画の中で、最も影響力があると言われています。その彼のガザ戦争の風刺画は、イスラエル国防軍を「頭と心の無いナチス」に、ダビデの星を「モンスター」に見立てており、米国ロサンゼルス市にあるサイモン・ヴィーゼンタール・センター(イスラエル・ロビー団体)から批判され注目を浴びました。
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2009年4月11日土曜日

メシアニック・ハガダーの解釈と非難

ペサフの月見はいかがでしたか? 

今年のペサフは15日まで続きます。

さてこのペサフに欠かせないのが、ペサフ入りした初日の晩餐です。これは世界中のユダヤ人の各家庭で持つ特別な夜の食事会で、食事をしながら家長(主に父親)がその家の女、子供たちに聖書の出エジプトの記述をつたえるというユダヤ人の伝統行事です。
その際、各家庭にばらつきがでないように、ペサフの晩餐にはハガダーという次第があります。これは若干バリエーションがあるようですが基本的には同じで、世界中のユダヤ人が共有し、この次第からユダヤ人の共通の歴史認識を読み取ることができます。

ペサフの晩餐はここ十数年でクリスチャンの間にも広まってきました。広めているのがナザレ人イエスをメシアとして受け入れたユダヤ人たち(自称メシアニック・ジュー)です。彼等はこのハガダーに独自の解釈を取り入れたメシアニック・ハガダーを使用しており、今日正統派ユダヤ教徒からは非難を浴びています。特に、政治力を持つ正統派とのつながりがある「反宣教団体」は今年も大胆な反メシアニック・ジュー運動をこの時期に行いました。[参考:
http://www.haaretz.com/hasen/spages/1074689.html

ところで、そもそもメシアニック・ハガダーのどこに問題点があるのでしょうか。今年問題にされているハガダーは "Passover Family Pack: Everything You Need To Enjoy a Passover Seder Dinner"という題の、米国で販売されているハガダーで、反宣教団体は「このハガダーはイエスを売り込む戦略だ」として非難しています。
そこで反宣教団体が問題にしたハガダーの主要点を抜粋して取り上げてみましょう。

4つのカップに注がれた赤ワイン:ナザレ人イエスの血 *1 
3枚のマッツォ(四角いクラッカー):イスラエルの神、 メシアなるイエス 、神の霊 *2

ハガダーの解釈にまつわるもめ事は、非ユダヤ教徒の目から見ると茶番劇かもしれません。しかしユダヤ教徒にとりキリスト教徒との境界線がこれでなくなるとしたら、ハガダーの解釈一つで今日の民族性維持の危機につながります。
けれどもキリスト教が生まれた2千年前は今日のような境界線があったのでしょうか? 新約聖書にはペサフの記述があり、ナザレ人イエスはこのペサフの時期に「ペサフ時にほふられる小羊の象徴として」死刑にされています。その死刑にされる前夜のペサフの晩餐において彼は種いれぬパンとぶどう酒を指して「わたしを覚えて、これ(ペサフ)を行いなさい」と命じています[第一コリント人への手紙11章23〜25節]。こういう訳でイエスの死後数世紀まではキリスト教の中でペサフは守られていた様です。やがてローマ帝国のキリスト教国教化にともない異教的な要素を含むイースターが入りこみ[http://www.religioustolerance.org/easter1.htm]、過ぎ越し祭などのユダヤ教的伝統はキリスト教内から排除されていきました。
ハガダーはイエスの時代よりさらに後代の産物と考えられていますが、メシアニック・ハガダーの新しい解釈は、ユダヤ教徒にもキリスト教徒にも聖書(タナフと新約聖書)をもう一度読み直す機会をもたらしてくれそうです。

キリスト教がローマ帝国の国教化で変化してしまったこと、十字軍や後の宗教改革時代のキリスト教徒たちの偽善的で反ユダヤ的な言動だけをみると、今日のユダヤ教徒のキリスト教に対する反感や恐怖心は分からないでもありません。けれども、ハガダーの解釈に関してのみ考えるならば、これはメシアニック側のユダヤ教に対する信仰上の歩みよりであって、反宣教団体が政治的に圧力をかけたとしてもメシアニック・ジューから彼等の「新しい解釈と信仰」を切り離すことは難しいでしょう。

祈り:「ですから一人一人が自分を吟味して、そのうえでパン(マッツォ)を食べ、杯(4杯のぶどう酒)を飲みなさい」(第一コリント11章28節)この言葉をペサフの時期に心に留めています。伝統としてペサフを祝っているユダヤ人にとっても、ユダヤ教との関連をまったく知らないキリスト教徒にとっても、非難し合うよりも前に、聖書を読み直す時になりますように。

*1:ペサフの晩餐では4杯ワインを飲みます。 一杯目は、羊の血を通してイスラエル人をエジプト人から選り分けた神の聖別、2杯目は、イスラエル人の解放を拒んだエジプト人への神の裁き、3杯目は、イスラエル人を奴隷から解放させた神の救い(あがない)、そして4杯目は、預言者エリヤへの敬意とメシア待望、そして神への賛美を意味します。ワインは「命の実」と考えられた葡萄を原材料にしており、ペサフの晩餐で用いる赤ワインは小羊の赤い血を象徴します。しかしメシアニック・ジューは、小羊の血に加えて、罪の家からあがなったメシア・イエスの血も象徴されていると主張します。

*2:晩餐のテーブルには、3枚重ねのマッツォが白い麻布に包まれて置いてあります。食事の最中に3枚重ねの真ん中のマッツォは取り出され、二つに割かれます。割かれた片方は布に戻し、もう片方は家長によって隠され、後で家の者たち(主に子供たち)に探してもらいます。この伝統をアフィコマン[afikoman: もともとギリシャ語に由来するこの言葉には”後からやって来るもの”という意味があります]と呼び、長い晩餐の唯一の楽しみです。メシアニック・ジューはこのアフィコマンはナザレ人イエスの姿を表していると主張します。イエスは死刑に処せられ、その亡骸は白い麻布に包まれ、墓穴に3日の間葬られ、その後よみがえったと聖書に記されていますが、その姿をアフィコマンの言葉の意味と伝統に重ねています。

注)前回とりあげた「過ぎ越し」の意味はわかりましたか? 答えは出エジプト記12章12〜14節に記されています。

おまけの写真:
もし現代版出エジプトがあったらこんな感じですかね? 

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2009年4月4日土曜日

4月8日、お月見しませんか?


今週、イスラエルではペサフというお祭りが始まります。このペサフ[別称:過ぎ越しの祭り]は、ユダヤ宗教暦の最初の月(ニサンの月)の満月の夜から始まります。日本のわらべ歌「うーさぎ、うさぎ何見て跳ねる?じゅーご夜お月様見てはーねーる。」は一五夜の満月に唄われた歌です。さてニサンの月の、どの夜が満月かというと、ご存知の通り15日目がその夜で、グレゴリオ暦で言えば今年は来る水曜日の4月8日にあたります。この祭りは3500年もの歴史を持つ古い祭りで、イスラエルの神が定めた祭りです。

聖書の出エジプト記12章1−2節に記されたことばはこうです。


「エジプトの国で、主はモーセとアロンに言われた。
『この月をあなたたちの正月[ニサンの月]とし、年の初めの月としなさい。‥‥』」

この祭りは、エジプトで400年間奴隷にされていたユダヤ人がその地を逃れ(おそらく新王朝時代の第19王朝の頃)、カナンの地に入るための旅を始めたことを記念としています。当時のイスラエル人にとって「解放」や「自由」を意味したこの「出エジプトの旅」では、旅を始めるにあたりイスラエルの神がエジプトの太陽崇拝を続けぬよう、イスラエル人にエジプト式太陽暦を止めさせました。その代わりに月の動きを見ながら旅を続けるようにと太陰暦を定めたのです。

さてペサフは満月の夜から一週間続きます。なぜペサフを「過ぎ越しの祭り」と呼ぶかについては、出エジプト記12章の続きを読まなければ分かりません。この部分はペサフに入り、あらためて書くことにします。

ちなみにキリスト教では、二千年前のこのペサフの時期にナザレ人イエス(彼もまたユダヤ人でした)がエルサレムで裁かれ、死刑とされ、ローマ式に両手両足を磔(はりつけ)にされて殺されています。というわけで、ペサフのこの時期、エルサレム旧市街には世界各地からの熱心なキリスト教徒巡礼者がやって来ます。

今週は月見をしながら、世界で最も古い祭りが今、ユダヤ人の間で始まろうとしていることを心に留めてみて下さい。

祈り)ユダヤ宗教暦は、多神教国家の古代エジプトの汎神論的な宗教観、哲学観に多大な影響を受けたイスラエル人が、もう一度、唯一絶対のイスラエルの神と共に歩むようにと神自らが定めたものです。イスラエルの神がユダヤ人に求めた「唯一絶対な存在者と共に歩む旅」を少しでも理解できますように。

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2009年4月3日金曜日

ガザ戦争の死者数、どちらが客観的?


去る3月26日、IDF(国防軍) の調査によるガザ戦争のパレスチナ死者数が公式発表されました。これによるとパレスチナ人死者数は1166人で、うち武装勢力(主にハマス党員)は709人、民間人男性は157人、女性は49人、子供(16才以下)は89人、そして民間人か戦闘員か不明な者が162人という調査結果でした。

一方、パレスチナ人権団体は、全体の死者数が1417人で、そのうち313人の子供を含む926人が民間人だったと伝えています。[参考:Palestinian Center for Human Rights

イスラエル側の調査団は、ハマス側の報告は、若い党員を子供の数にいれたり、二重に数えて死者数を水増しし誤摩化したと語っています。これを受けてハマス側は、党員でも18才以下なら子供だと言い訳をしました。

もしイスラエル側の調査結果が正しくても、民間人を殺めた責任から逃れることはできません。しかし 多数の民間人の死者を出した IDFの「民間人を守ろうとした姿勢」も忘れてはいけません。

IDFは民間人の死者を出した件について次のように弁明しています。

「我々 IDFは、『キャストリード作戦』がハマス関連施設を攻撃対象にし、ガザ地区の民間人を対象にしていなかったことを強調したい。そのハマス党員と戦った現場(ハマス施設と認知された場所)は非常に複雑だったことに注目してほしい。戦場となったハマス施設は、一般住民の生活の場の中央に位置していた。そこには爆発物が仕掛けられた家屋があったり、党員は学校の校舎に立て篭って[我々に対して]撃ってきたり、民間人を『人間の盾』にした。
  我々 IDFは、一般人を戦闘に巻き込まぬよう最善の配慮をしてきた。空から警告のビラを撒いたり、地元のラジオなどの放送で非難警告を流したり、各家庭には非難、退去するよう何度も電話をかけた。また、警報として銃声を聞かせもし、又各地でのプレス会議でも最大の注意を払うようにと警告をしてきた。」*

偏った国際報道(日本国内の報道も含めて)は、ガザ戦争を「IDFの不意打ち攻撃」、「民間人大量虐殺」、「無差別テロ」といった言葉で形容しました。更にはイスラエル政府(特にIDF)をナチズムに重ねてみたり、イスラエル製品の不買運動をアピールする民間団体やメディアまで現れました。しかし、もし現場にいたIDFのこの証言と調査報告が正しかったら、これらの報道機関や民間団体はこれまでの言論に責任をとってくれるのでしょうか。言論の自由は認めますが、扇動的表現や報道を野放しにしておいてよいのでしょうか。

話はそれますが、ガザ戦争はイスラエルを経済的に失速させています。政府は戦争開始から一週間目の時点で、2億6千5百万ドルの軍事費を使ったと述べていたので[参考:YNETニュース]、停戦まで更に2週間続いた戦争の負担はかなり大きかった様です。イスラエル政府は、こうした犠牲を国民一人一人に払わせてまで、単にパレスチナ民間人を狙うでしょうか。ガザ侵攻は、パレスチナ人への差別運動を高めるイスラエル政府の国策だったとでもいうのでしょうか。


実際、現場にいなかった者は、当然、客観的データをもって裁きを下すでしょう。けれどもこのデータの客観性が低く、または2つ以上の客観的データが食い違う場合、私達はどちらを信じたら良いのでしょうか。

最後に聖書のヨブ記のことばを記しておきます(23章4−5節)。
「私は御前(神の前)に訴えを並べたてて、ことばの限り討論したい。
 私は神が語ることばを知り、私に言われることが何であるかを悟りたい。」
(写真:19世紀のイギリスの画家、ウィリアム・ブレイクの描いたヨブ)

祈り)客観的と思われる人間の情報に様々な主観が入る時に、主観的に読まれやすい聖書をむしろ客観とし、裁きのものさしとしていけますように。もしくは自らの裁きに主観が入り、公平性を欠く時、神の裁きに最終的に委ねることができますように。

[英文]:"The IDF wishes to emphasize that its objective during Operation Cast Lead was to target the Hamas terror organization and not the citizens of the Gaza Strip. It must be stressed that the fighting took place in a complex battlefield, defined by the Hamas terror organization itself. The Hamas terror organization placed the primary fighting scene at the heart of civilian neighborhoods as it booby-trapped homes, fired from schools, and used civilians as human shields.
The IDF took extensive measures in order to prevent harming uninvolved civilians, including the dropping of leaflets, broadcasting warnings in local Palestinian media, and placing numerous phone calls to homes. The procedure of making use of warning shots and the briefing of commanders to take extra precautions in populated areas were also among the measures taken by the IDF."

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ブログ意見集 by Good↑or Bad↓ イスラエル軍のガザ空爆


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