2010年1月30日土曜日

カディッシュ:追悼の祈り

あるアメリカ人女性が書いた「千の風になって(和訳)」は、墓前で泣くユダヤ人を慰める歌として日本に紹介されました。これはあくまでその個人の哀悼歌でした。実際ユダヤ人のお葬式や追悼式では、「カディッシュ」と呼ばれるユダヤ教の詩歌(追悼の祈り)を捧げます。去る1月27日のアウシュビッツ解放65年追悼式典でもこのカディッシュが捧げられました。

哀悼の意を表す時にカディッシュを捧げますが、崇高な神にのみ焦点を当てています。この寄る辺なき詩人は、最終的に神に寄り、(世の中の平和とは異なる)天来(そして天上)の平和を願っています。冥界(黄泉)に焦点を当てて「ご冥福を祈る」日本人とは死生観が根本的に違いますね。



以下はその和訳です。原文はアラム語です。

カディッシュ(和訳:sunny+k)



「神の偉大な名が、御自身の思いによって創られたこの世界で大きく崇められ、聖とされますように。願わくは、神の国が我々の生きているうちに、そしてイスラエル全家が存続している間に築かれますように。

神の偉大な名が代々限りなく、永遠に祝されますように。

あなたの聖(きよ)い名が栄光を受けて祝され、誉め称えられ、喜びで迎えられ、崇められますように。神は、(世人の)全ての祝福と賛美と誉れを持ってしてもそれ以上の存在です。その通りです。アーメン! 
平和と命が全ての者と共に、イスラエルと共にありますように。アーメン。

天において平和(シャローム)をつくられる神が、その偉大なシャロームを我々全てに、そして全てのイスラエルに分け与えて下さいますように。アーメン。」


注)カディッシュは聖書のエゼキエル書38章23節をモチーフに祈られています。
「わたし(神)は自らの偉大さと聖とを多くの国々の前に示す。
 そのとき、彼等はわたし(神)が主(救い主)であることを知るようになる。」(新共同訳)

おまけ)実際にユーチュ―ブでカディッシュを視聴してみて下さい。
カディッシュの歌(去年アウシュビッツで捧げられたもの)、聖歌隊のカディッシュラップ版カディッシュ(ラップではホローコーストの悲劇を語っています。カディッシュとラップの語りが絶妙に合致していて、なんだか涙を誘います。私は世俗人なのでこっちが好きです。)
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2010年1月23日土曜日

テルアビブ在住の自称「救世主」ついに逮捕

まずは1月18日付けAFP通信の日本語記事から。
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1月18日 AFP】イスラエル警察は14日までに、女性や子ども数十人を監禁して奴隷化し、性的に虐待していた容疑で宗教グループのリーダーの男を逮捕した。


逮捕されたゴエル・ラツォン(Goel Ratzon)容疑者(59)はイスラエルのテルアビブ市周辺の数か所で、狭いアパートの部屋に少なくとも女性17人、子ども40人の計57人を監禁していたとみられる。警察が家宅捜査に入ったあるアパートでは、「劣悪な状態」の居間に詰め込まれた女性10人と子ども17人が発見された。


ラツォン容疑者はこの数年間、宗教グループのリーダーとして知られていた。このグループに集っていた女性たちは容疑者をあがめ性的交渉をもち、容疑者の子どもたちを育てていたと言われている。警察ではラツォン容疑者が実の娘たちも強姦し、妊娠させたとみている。女性や子どもたちは行動の是非や罰を厳格に定めた「経典」の下に厳しく管理され、監禁されていた。またラツォン容疑者の「身になにかが起きた際」には、自殺するように指導されていた。


長期のおとり捜査の末、容疑者は11日に逮捕された。容疑者の弁護士は裁判所前で記者団に対し、すべての容疑について容疑者は無罪だと述べ、女性たちは自分の意思でとどまっていたと主張した。(c)AFP
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イスラエル当局の報道によると、妻たちの数は32人で、子供の数は89人となっていました。容疑者の娘らも性被害にあい、彼の子(孫?)を宿していることも明らかになっています。ところで妻と子供たちの間には次ぎの様な諸規則があったようです。1、他の男との接触を禁ずる。1、肉、煙草、酒を禁ずる。1、華美に装うな。1、妻達よ、自らの体に「ゴエル」というタットゥーを刻むが良い。そして子達にそのタットゥーをあがめさせよ。1、子達よ、私(ゴエル)を家で迎える時は私の足に接吻せよ。


とまぁリストはさらにある様です。ヘブル語ウィキペディアでは、容疑者の肩書きがポリガミスト(一夫多妻主義者)となってましたが、当然それ以上の人物ですね(怖)。こういうニュースを聞くとこの容疑者の子供たちの将来をどうしても心配してしまいます。麻原彰晃の子供たちも今どうしているのかと気になりますが。

ちなみに「ゴエル」という容疑者の名前は、聖書用語で動詞では「代償を払って買い取る:あながう」、名詞では「親近者(債務を肩代わりする関係にある人)」という意味があります(民数記5章8節、ルツ記3章12節、4章1、6、8節、ヨブ記19章25節など)。


日本語記事では「救世主」と訳されていました。これだとちょっとニュアンスボケかな。何れにせよこの容疑者に買い取られた「妻達」は奴隷ですよね。聖書では買い取られた者は「自由になる」はずなのですが‥。

結果はこうです。自称「ゴエル」は自身のカルト的奇行のゆえに重たい代償を払うことになりました。

参考資料)ヘブル語ウィキピディア:ゴエル・ラツォン
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2010年1月22日金曜日

ハイチ大統領、イスラエルの救援に感謝


ハイチの国旗

イスラエルの国旗昨日木曜日、ハイチ共和国のレネ・プレヴァル(Rene Preval)大統領は一週間前の大地震で被災した国民に対しイスラエル国が迅速に対応し、救命活動をしてくれたことに謝辞を述べました。以下はそのイスラエルによる救命報告です。


ハイチの港町ポルトープランス(Port-au-Prince)にはイスラエルの野外病院(イスラエル国防軍病院)が設置されました。報道では、被災地最寄りの湾へ米国の医院船が到着することになっていましたが間に合わず、最初に人命救助にあたったのはイスラエル野外病院ともう一つの病院の二カ所だけだったということです。しかし片方の規模は小さく、ストレッチャー・ベッドが20台あるだけで、手術施設も完備されていませんでした。結果的にイスラエル医療チームはどの国よりも真っ先に現地入りし、負傷者の治療に当たることになりました。


昨日の報告では、イスラエルの野外病院でこれまで450名の負傷者が適切な医療行為を受けたということです。その内140名はイスラエル人医師達からなんらかの手術を受けてその多数が一命を取り留めました。一例を挙げると、ある20代半ばの妊婦は、妊娠8ヶ月目で震災に遭い、この野外病院に運ばれました。そして難しい分娩を経て無事に出産し、母子は共に救われました。この女性は、この喜びと感謝を記念して生まれた子に「イスラエル」と命名し、今話題を呼んでいます(写真左)。彼女の出産劇は米国のABC放送でも取り上げられ、イスラエル医療チームの質の高さが報道されました。また、その後NY市にあるイスラエル領事館には感謝状が送られました。(ここの領事が、最初に女性を診た米国人スタッフとイスラエル野外病院との仲介に入り、携帯電話で迅速に国際対応してくれたからの様です。詳細記事


さて震災後、ハイチは社会的混乱に陥っています。そこで国連と米国から要請を受けたイスラエルは、今度はイスラエル警察官約100名をハイチへ送り、彼らは被災地の治安維持にあたっているということです。






写真)Noam Barkan他、エルサレムポスト紙


参考)1月22日付けエルサレム・ポスト紙:Judy Siegel & Yaakov Katzの記事/1月19日付けYnet 紙:Noam Barkan氏の記事
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このニュースはアリヤー組を世話する某ウルパンでも取り上げられました。
「イスラエルは自分たちの事しか考えない。他者を顧みない。私達はそんなイメージを持たれやすいの。でもホロコーストを乗り越えたユダヤ人は「あの時は誰も助けてくれなかった」って口を揃えて言うわ。「だから今助けが必要なら真っ先に行かなきゃならない」て駆り立てられるのよ。」イスラエル政府の対応についてこのように語るのは、そこでウルパン教師を勤めるリブカさんです。


イスラエルは四国ほどの小さな国です。このイスラエルは諸外国との外交や山積した国内問題で苦しい立場にあるのに、日本や米国等の諸大国よりも迅速に対応しました。それができた理由はどこにあったのでしょうか? リブカさんの言う通りなのかもしれません。補足するなら、イスラエルという国は今でも、日々緊急対策が強いられ、サバイバル能力が求められる場所です。それらを今回の惨事に役立てることができたということなのでは。マイナスをプラスに持っていけるユダヤ的精神と行動を見たような気がします。


祈り)ハイチの人々のために。生まれたばかりの「イスラエル君」が元気に育ちますように。
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2010年1月16日土曜日

死海写本は誰のもの?

【1 Shevat, 5770】まずは1月11日付けのAPF通信のニュースから。


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【1月12日 AFP】ヨルダン政府が、カナダで展示されていた死海文書Dead Sea Scrolls)について、イスラエルが1967年の6日間戦争(第3次中東戦争)の際に「強奪」したものだとして、国連教育科学文化機関(ユネスコ、UNESCO)に苦情申し立てを行っていたことが分かった。ヨルダン政府関係者が11日、明らかにした。

ヨルダン側は、イスラエルが1967年に東エルサレムを占領した際、当時ヨルダンが管理していたパレスチナ博物館(
Palestinian Museum)から死海文書などの文化財を持ち去ったと主張。死海文書の所有者がヨルダンであることを証明する法的文書を所持しているという。

1949年以降、東エルサレムはヨルダンの統治下にあったが、1967年の6日間戦争でイスラエルが占領。国際社会の承認がないまま、東エルサレム併合を宣言した。その後、ヨルダンとイスラエルは1994年に平和条約を締結している。
(c)AFP 
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これに対しイスラエル外務省代表のイガル・パルマー(Yigal Palmor)は、ヨルダン国の要求は「実に馬鹿げている」と一蹴しました。その理由として、死海写本はユダヤ教の宗教と文化と歴史とに関する文書で、ヨルダンの国民とは全く無関係の文書だからというもの。全くごもっともです。


ヨルダンにとっては、ここ数年の世界各地で開催される死海文書展が目障りなのでしょうか。この文書をどの民族がそもそも保有すべきかは明白だと思うのですが‥。イスラエルが横奪したって?


祈り)もし遺産相続の主張に嫉妬心があるなら、それらが除かれますように。
関連文書)1月13日付けIsraelNationalNews.Com


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2010年1月15日金曜日

世界最古のヘブライ文字を確認、ハイファ大学








そのまま貼付けます。
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【1月8日 AFP】古代イスラエルの王ダビデが巨人ゴリアテと戦ったされる谷で発見された3000年前の陶片に記された文字の解読を行っていたイスラエル・ハイファ大学(University of Haifa)は7日、この文字が世界最古のヘブライ文字であることを確認したと発表した。


陶片は18か月前、エルサレム郊外の「エラの谷」の要塞跡(Elah Fortress)の門のそばで発掘された。表面には、ヘブライ人やペリシテ人が使用した原カナン文字が記された5列の文字列があった(右)。


放射性炭素年代測定法によると、これらの文字は紀元前10世紀ごろのものであり、死海文書より約1000年も古いことになる。


解読を行ったゲルション・ガリル(Gershon Galil)氏によると、これらの文字は奴隷や寡婦、孤児に関連した社会的な声明であり、使用された言葉や概念はヘブライ語とヘブライ社会に特有のものだという。


また、このように初期のヘブライ語が発見されたことで、聖書が書かれた年代が現在の定説を数世紀さかのぼる可能性もあるという。なお、これらの文字は聖書の言葉と似ているが、聖書の文句を流用したのではないことは明らかだという。(c)AFP 
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記事の中にある「聖書が書かれた年代の現在の定説」とは、モーセ五書をはじめ旧約聖書の他の史書を編集したと言われている律法学者エズラの時代です。これを定説にしているのはイスラエル国においてはヘブライ大学の聖書研究者を初めとする文書仮説の支持者たちです(もともとは19世紀のヴェルハウゼン聖書学博士を中心にキリスト教プロテスタント系の学者達が世界に広めた学説でしたが、その後、度重なる聖書学会で混乱を招き、今ではそのプロテスタント系が最もこの学説を批判的に見ていると言われています)。ちなみに文書仮設の支持者はトーラーを記したモーセを非歴史的人物と見なしています。そういう立場に立つユダヤ人学者達がエルサレムには数多くいるので、今回のニュースはハイファ大学の聖書学者からヘブライ大学の聖書学者たちへの挑戦状だと私は読みました。


また今回発見された断片の文字が「ダビデの時代」ということは実に衝撃的です。ダビデという人物に関しても、考古学上その存在を立証できるものは殆どなく、ダビデが築いたイスラエル王国の規模なども含めて聖書考古学者たちの間で、半世紀以上もの間バトルが繰り広げられているからです。


関連文書)1月9日付けエルサレムポスト紙:Shalhevet Zohar の記事
祈り)これで聖書言語がどのように進化し発達したかがより明らかにされますように。
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2010年1月13日水曜日

ガイド要らずの旅行なら、イスラエル通になれ!

お正月から初夏にかけて、日本から多くの観光客がイスラエルへやってきます。観光シーズンが到来しました! イスラエル国内には現役の日本人ガイドさんたちが約20名ほどいると、某ベテランガイドさんから聞いています。日本人観光客の大半は、ツアーを通してイスラエルを訪問するようですが、近年、若者たちの個人旅行も増えてきました。その際は外務省の海外安全ホームページを要チェック!


さて、個人的にはプロのガイドさんに案内してもらった方が安心だと思うのですが、中には小さなお子様を連れてイスラエル旅行をしたい方、ツアー・シーズン以外の旅行を考えている方、またはゆっくり時間をかけてるるぶ(見食べ)したい方々もいるでしょう。そういう方々には必ずしもプロの案内は要らないのかも。それも良し。しかし場所が場所だけに、イスラエル情報は得られるだけ得ておいた方が、旅行は安全で楽しいものになること間違なし。そこでこのブログにも、イスラエルの情報サイトを貼付けておくことにしましょう。ブログ画面の一番下に「サイト情報」をリストしておきますので、必要に応じてご利用下さい。個人ブロガーの「そんなテルアビブ」さんのリンク集はとても充実していてオススメです。観光以外でも、イスラエルの植物、野鳥、昆虫、料理、音楽、又ヘブル語等に関するサイトも貼付けておきます。これで「ガイド要らず」になるかどうかはあなた次第デス。



ユダヤ人の間で「情報は力なり」という言葉を耳にします。イスラエルは中東の一部、「知らないでは生きられない場所」ですからね。情報入手に関しては貪欲に!


もしこのブログのリスト集にないサイトで、あなたの判断で「イスラエル旅行者に勧めたいサイトや情報」があれば、是非コメント欄にサイト情報を貼付けて、閲覧者にお知らせ下さい。イスラエルに住む私のためではなく、同胞の安全と幸せのためによろしく! それではネシアー・トバー(良き旅を)! 


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2010年1月6日水曜日

イスラエルの王様が愛した花シクラメン

【 21 Tevet, 5770】迎春!
皆さま、グレゴリオ暦の新年明けましておめでとうございます。2年前のエルサレムの冬は雪が降る程寒かったのですが、今月はぽかぽかとした日が続いています。数日前に散歩したら、すでに野花が咲き始めていました。そこで今回は春の訪れを最初に告げる花シクラメンを紹介することにしましょう。


冬に日本のフラワーショップに必ず置いてある人気の花は何でしょうか。シクラメンでしょうか? イスラエルでも1〜2月にかけて定番の花といえばこれです。実はシクラメンはイスラエルやトルコを含む地中海沿岸地域が原産なので、こちらでは品種改良される以前の小粒のシクラメンがそこら辺に自生しています(写真)。実に可愛らしい花です。


この花をヘブル語で「ラケフェット」と呼びます。また「ネゼル・シュロモー【ソロモンの冠】」という名誉あるニックネームを持っています。ところで、和名を「豚の饅頭」と聞いて笑ってしまいました。丸パンのようなカタチをした球根をみて植物学者がこの花を「Sow Bread」と命名したところ、日本でも和訳のブタノマンジュウでこの花が当初紹介されていったそうな(ウィキピディア参照)。さて「根っこ」ではなく「花」に着眼して付けられたのが「ネゼル・シュロモー【ソロモンの冠】」という名前。以下はこの名前にまつわるユダヤ的伝承です。

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その昔、ソロモンがイスラエルの王様だった頃、彼は自分の好きな冠のかたちを探し求め、国中の冠職人を宮殿に呼び寄せました。そこで職人たちは、こがねやしろがねをつかい、それぞれの目に麗しいカタチに仕上げて、王様に見せました。ところがそれらの冠は、王様の目にはどれも似たように写りました。王様の浮かない表情を見て冠職人たちは肩をがっくりと落としました。これにつられてため息をついたのが、イスラエル中の平野と山々だったといいます。

しばらくして、大地の花々が花冠にしてはと提案してきました。「わたしは赤い花。わたしを用いた花冠は素敵よ。」「黄色の花のわたしの方が最適だわ」花達はしきりに王様の前で自分達を売り込みました。王様は花達が好きでしたが「私にふさわしいものはなかった」と沈んだ声で花達に告げました。王様はうつむき、ごろごろした大地をぼんやりと眺めるのでした。そんな王様を周囲の者たちは見守りました。


彼等は王様が岩のある一点をじっと見つめているのに気づきました。間もなくして王様は目を見開いたかと思うと、さっと身を岩に寄せました。なにか宝を見つけたかのように。見れば、その岩陰には桃色のシクラメンがちょこんと座ってお辞儀をしているではありませんか。


けなげに咲くその花は王様の目になんとも麗しく写るのでした。王様は喜び「これぞ私の王冠にふさわしい。シクラメンよ、おまえのけなげさを王の品性にひとつ加えさせてくれ。」と声をかけました。


こうして王冠はシクラメンのかたちに象ることになりました。その後、新しい王冠を頭にのせたソロモン王は正しい裁きを下す王として国内に知れ渡り、イスラエルの都エルサレムに荘厳な神殿を建てた王としてその名を国外にまで轟かせるようになりました。それでも王様は高慢になることなく、謙虚で凛としていたといいます。シクラメンのおかげでしょうか。こうして王様は全ての者から愛されて亡くなりました。その時ソロモン王の死を一番悲しんだのがシクラメンだといいます。


数百年後、エルサレム神殿は敵に破壊されてしまいました。そして敵は神殿内の諸々の宝とともにソロモン王の王冠を奪い去っていきました。これを見たシクラメンはこう言ったのでした。
「ソロモン王のような素敵な王様が再び誕生すると良いのに。ああ、わたしはエルサレムに王様を再び迎え、あの王冠をこの目で見るまでは、自らの頭をもたげることはもうありません。」
こうしてこの花は今も下に向いているそうな。この花を見つめていると、なにやら空から声が聞こえてきませんか。「シクラメンよ、おまえは憂えているのかい? いつまで祈っているのかい?」とね。
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参考)この伝承にはいくつかバリエーションがある様です。イスラエル人のヨハイ・コレム氏の草花サイト、と著書「All About Jewish Holidays And Customs」By Morris Epstein(page 45)を参考にしました。

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