来週火曜日は、同胞のために戦
い、戦死したユダヤ人兵士たち
を偲ぶ戦没者記念日。そして翌
日の水曜日は、イスラエル独立
記念日です。
い、戦死したユダヤ人兵士たち
を偲ぶ戦没者記念日。そして翌
日の水曜日は、イスラエル独立
記念日です。
先週のホロコースト記念日から
来る独立記念日にかけて、イス
ラエル国内のあちこちの式典で
必ず流れるのが国歌です。この
国歌は曲調はしんみりとしてい
ますが、数々の迫害を乗り越え
たユダヤ人には希望を与える歌
で、曲名も文字通り「ハティク
バ:希望」となっています。
来る独立記念日にかけて、イス
ラエル国内のあちこちの式典で
必ず流れるのが国歌です。この
国歌は曲調はしんみりとしてい
ますが、数々の迫害を乗り越え
たユダヤ人には希望を与える歌
で、曲名も文字通り「ハティク
バ:希望」となっています。
この「ハティクバ」は国歌とし
て指定される前は、つまりイス
ラエル国家建国(1948年)の半世紀前は、この地への帰還を夢見るユダヤ人
(シオニストたち)の間で歌われていた彼等の愛唱歌でした。日本では学校など
での国歌斉唱は個人個人の歌詞解釈で堂々と歌えなかったり、歌わなかったりも
する様ですが、イスラエルでは、日本がオリンピックやサッカー等のスポーツ・
イベントで国歌を斉唱するように堂々と、それもいつでもいかなる場所でも心か
ら「ハティクバ」を歌います。ユダヤ史と建国後の近代イスラエル史を知る者に
は、心にジーンと来る歌です。
YOUTUBE視聴はここをクリック
以下が「ハティクバ」の私訳です。
ーーーーーーーーー
いつでも我々の心の深いところに、
ユダヤ民族のネフェシュの渇きがある。*
そして遠い遠い東方の岸へ、 **
シオンへ、我々の目は向いている。
我々の希望はまだ失われていないー
この2千年間の希望は。
それは我々がこの土地で自由の民となること。
このシオンの土地、エルサレムにおいて!
ーーーーーーーーー
※ネフェシュの聖書的原意は、のどの渇き。今日のヘブル語では魂や生命を指します。ユダヤ人の心の深いところにあるネフェシュ(のどの渇き)は、単に水を欲する渇きではなく、聖書の神に向けられた彼等の訴え、叫び、願望、祈りなどを含んだ心の渇きをも意味します。※※東は聖なる方角です。エルサレムにある神殿の正門(通称、黄金の門)は東側に開かれています。ユダヤ人の間では昔から、メシアが到来した際、この門から神殿に入ると信じられています。メシアが神の神殿に入られた時から、メシアの平和な統治時代が始まるとも信じられています。
祈り)「ネフェシュの渇き」は、ユダヤ人以外にも、可視的世界(現実社会)に
限界を感じる者、自己のアイデンティティーを探求する者、非可視的世界(私た
ちの心、精神世界、神との時間や空間など)になんらかの希望や平和を求める者
になら、誰にでもある、共通の渇きなのでは。その一人一人の心身の渇きを潤す
ために、ハティクバ(希望)の水が注がれますように。
限界を感じる者、自己のアイデンティティーを探求する者、非可視的世界(私た
ちの心、精神世界、神との時間や空間など)になんらかの希望や平和を求める者
になら、誰にでもある、共通の渇きなのでは。その一人一人の心身の渇きを潤す
ために、ハティクバ(希望)の水が注がれますように。
聖書の詩篇125篇1〜2節:「主に信頼する人々はシオンの山[神殿の丘。モ
リヤの丘]のようだ。ゆるぐことなく、永久にながらえる。山々[神殿を囲む
山々にはオリーブ山(東側)、天望山(北東側)、今日シオン山と呼ばれる西丘
がある。]を取り囲むように、主は御民[神の言葉を守り信頼する者]を今より
とこしえまでも囲まれる。」
リヤの丘]のようだ。ゆるぐことなく、永久にながらえる。山々[神殿を囲む
山々にはオリーブ山(東側)、天望山(北東側)、今日シオン山と呼ばれる西丘
がある。]を取り囲むように、主は御民[神の言葉を守り信頼する者]を今より
とこしえまでも囲まれる。」
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