2010年3月20日土曜日

アウシュビッツから65年:ペレス大統領の心痛と心底(結び)

ながらくお待たせしました。ペレス大統領の演説の最後の部分をアップしておきます。今イスラエルは、プリム祭を経てペサフ祭(過ぎ越しの祭り)を迎えようとしています。ユダヤ民族を敵視し死へ追い込もうとする者は、ユダヤ人にとり昔も今も変わらず存在します。なぜ存在するのでしょうか。ペレス大統領の結びの言葉に力が入ります‥‥。
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[peres_1.jpg]大英帝国のパレスチナ統治が満期になる頃、ユダヤ人国家の復興と再建に尽力したデーヴィッド・ベングリオンは、イスラエル国がここに建国されると宣言しました。ところがアラブ諸国は国連の可決した第181条を全面拒否し、イスラエルに奇襲攻撃をしてきました。それはイスラエル独立宣言が読まれたちょうど数時間後の出来事でした。彼等は、ユダヤ人国家の復興を恐れて、我々に侵攻してきたのでした。
この状況下で我々は孤独でした。世界のどの国とも軍事的な連盟を結んでいなかったのですから。しかしこの場所は神が我々ユダヤ人に約束された安住の地であるとの確信に我々が立った時、(WWIIに続く)更なる逆境と向き合えたのです。もし我々がこの(第一次中東)戦争に敗北していたなら我々ユダヤ民族の存続はありえませんでした。
窮地に追い込まても、その過酷な状況下でイスラエル軍( IDF)は勝利しました。勝利を後押ししたのは、我々の歴史に刻まれた正義感とヒロイズム(ユダヤ的英雄観)でした。ホロコーストから生還したばかりなのに、ユダヤ兵士たちは再びこの戦争で戦い、ある者はこの戦争で亡くなっていきました。
非常に小さな国としてスタートしたイスラエル。この民はお互いにまだ癒えない、深い傷と向き合いながら日々を送りました。それにもかかわらずイスラエルは、寄る辺無きホロコースト生存者たちとアラブ諸国で迫害中の難民たちを次々と受け入れたのです。当時、受難民を(公式に)受け入れる国は、我々の国以外世界中どこにも在りませんでした。受難民に開かれた扉はイスラエルのみだったのです。
戦後、我々の傷口から流れる血はなかなか止まりませんでした。するとこの状況を直視し変えようとする政治家が現れました。それは我々の思いも寄らぬところから来た人物で、忘れるわけにはいきません。その人物は(あなた方)新生ドイツ連邦国から現れたのです。
偉大、且つ歴史に残るその人物は二人いました。彼等はそれぞれ自分の側から歩みより、奈落の底に落とされたユダヤ民族に対し、自らの手を差し伸べてくれました。その一人は「ドイツ民主連邦の父」コンラート・アデナウアー首相(写真2)です。もう一人は、イスラエル建国の父であり初代首相となったデイビッド・ベングリオン(写真3)です。
1951年9月27日、連邦議会の壇上でアデナウアー首相は、ナチス政権の対ユダヤ民族の戦争責任は我々ドイツにあると明言しました。彼は続いて、新生ドイツ政府は責任をもってユダヤ人市民へ損害賠償を支払い、イスラエル国に対しては復興援助をすると公約したのです。ドイツ・イスラエル政府間の真っすぐな交渉はこうして始まりました。それ以降、この相互関係を疑う反対勢力は力を発揮していません。
もちろんこの時、石を投げる者(ユダヤ人の反対者)はクネセット(イスラエル国会)にいました。彼等は死の恐怖にさらされたホロコーストの生存者たちでしたから。彼等はベングリオン側に立ちながら石を投げたのです。反発を受けてもベングリオンは、新生ドイツを信頼して受け入れ、ドイツ人と協力し合う関係を築いていきました。彼は、この政府間の決定は「我々の過去にではなく、未来に関わる大きなものだ」と説きました。これを受けてクネセットは彼に同調することにしました。
感謝なことにドイツからの賠償金が、イスラエル国経済の活性化と復興を促進させました。ちょうどこの頃、私は未だ若き青年でした。しかし機会に恵まれてベングリオンの助手として働き、その後は彼の政権下で、私は国防省長官として働きました。私が彼から学んだことがあります。それはイスラエルという国は、親が家庭を築くように国家を築き、親が子を守るように国民を守るという使命を、絶えず果たさねばならない国だという点でした。さて、この点をドイツ政府は理解し、国防のためにとイスラエル国に軍事兵器を準備してくれました。こうしてドイツ・イスラエル間の関係は奇しくも深まっていったのです。
ドイツ人とユダヤ人の友情とは、お互いの記憶からホロコーストを消し去ることではありません。むしろその逆で暗い過去の記憶と向き合う、その過程で友情は築かれていきました。二国間(二民族間)の真っすぐに向き合う関係が、明るい未来を今後も作るのです。これがティックン・オーラム(*)です。(*ユダヤ教のことばで、世界を変えるには先ず自己改造や自己改心が必要だと説く。)
深い峡谷に橋が渡されました。痛みを負い、苦しい過去と向き合いながらも橋は渡されました。この橋の基礎には、確かな倫理観が置かれています。この倫理観から(ホロコースト)記念館が建てられました。我々の不毛の地は耕され、ここは果樹園に変わっていきました。
今日、イスラエル国内の各研究機関は、命を生み出す(または命を守る)研究が盛んです。又イスラエル国防軍は我々の命を守るのに必死です。我々は民主的であるために、つまり命を守るために妥協しないのです。
我々は新生ドイツを信じています。今後も我々ユダヤ人が(反ユダヤ主義勢力に対して)再び孤軍奮闘せぬよう、生まれ変わった(あなた方)ドイツがイスラエルの側に立ち、惜しみない努力をしてくれることを信じています。 あの、相手を蔑み、殺意をむき出しにした独裁者が、次なる独裁者を眠りから覚ますことがないようにと願います。ベングリオンは、今後のドイツは、独裁体制をとったこれまでのドイツとは異なる、と予見しました。その通りでした。感謝の気持ちで一杯です。
ベングリオンと視野を分かったコンラート・アデナウアー氏に続いたのは、ヴィリー・ブラント氏(写真4)です。彼はワルシャワ市のユダヤ人ゲットー跡地で跪いて(謝罪の意を表して)献花しました。彼に続いたドイツ連邦議会と連邦参議院の皆様、加えて、ヘルムート・シュミット氏(写真5)、ヘルムート・コール氏(写真6)。皆様がドイツ人とユダヤ人の友情を育み、深めて下さったのです。続いて多くの教育機関、金融機関、文化会館、そして様々な知識人や文化人が二国間の関係回復と改善のために尽力して下さいました。
ホルスト・ケーラー大統領(写真7)、あなたはエルサレムを訪問した際、クネセットでこう言われました:「ホロコーストの責任をとることは、ドイツの存在証明に関わることです」と。あなたのお言葉を本当に嬉しく思います。
そしてアンゲラ・メルケル首相(写真8)、あなたの誠意と優しさで、あなたはすでにイスラエル国民のハートを掴んでいます。あなたは米国の上下両院で「イスラエルを攻撃することは、ドイツを攻撃することと等しいことだ」と発言されました。この時の言葉を我々は忘れません。
イスラエル建国から約60年がすでに経ちました。その間に、我々はすでに9度も近隣諸国と戦争をしています。2度の和平条約も結びました。一度目はエジプト国と二度目はヨルダン国とです。我々はかつて我々の領土と化したものを、近隣国との和平のために手放してもいます。
こうして我々は小国として留まりました。国内に天然資源もありません。我々に与えられた地は見る所不毛の地だったのです。しかし近代農業の開発と技術向上の末、我々は世界に誇れる、生産性の高い国へと生まれ変わったのです。我々は天然資源の欠乏を補うために、最新の科学技術とテクノロジーの開発に力を注いできましたが、この一点で、小国としては大きな成果をあげました。
ホルスト・ケーラー又イスラエルは、各地を追放された者達で構成されています。世界に散らされたユダヤの民の過半数は今日イスラエルにいます。又我々は民族の言語を復活させました。4千年前の言葉を今によみがえらせて話している民族はユダヤ人以外、世界のどこにも存在しません。この言語はつまり聖書の言葉であり、今日我々が使うヘブル語です。
アンゲラ・メルケルユダヤ史には、二つの大きな河が流れています。一つは、十戒から湧き出るモラルの河です。三千年も前に記された十戒は、時代に合わせて改善させる必要のない、今も欧米諸国の倫理基盤となっている掟です。もう一つは科学の河です。この流れの中では、我々はもつれた糸をほどくように、隠された秘密を解き、DNAの遺伝情報を解読するかのように、人間の目に伏せられてきた情報を解読していくのです。二つの河は我々が生き伸びるために流れています。
イスラエルはユダヤ人の国であり、同時に民主的な国です。150万人のアラブ国民もユダヤ人と同等の権利が保証されて共存しているのですから。我々は信仰や民族性の違いで人を差別すべきでないと肝に銘じているのです。こうして我々は昨今の世界的な金融危機を乗り越え経済成長を遂げています。
イスラエル文化は現代的かつ伝統的です。こういう文化圏での民主政は良い意味でも悪い意味でも威勢がよく、一時たりとも活力が衰えることはありません。どんなに戦争中でも、イスラエルはのらりくらりとはしていられなかったのですから。
イスラエルは数々の戦争に勝利しても、国家存続の危機解消に結びつく勝利とはなりませんでした。我々は土地に執着しているのではありません。我々は他の民族を支配したいとも願っていません。我々は目を閉じて、安らかに眠ることだけを心から願っているのです。我々が渇望するもの、それは他の民族と平和をつくる(平和に共存する)こと、と実に明白です。その点でいえば、イスラエルは「二国家共存の理論」に不支持ではありません。我々は数々の戦争で犠牲を払ってきました。つまり「平和をつくるために」ならばと我々は犠牲を払うことに臆する民ではありませんでした。我々は今日、パレスチナ人たちと平和をつくるためならテロリストを引き渡すことも視野に入れています。彼等パレスチナ人達がそれで独立し、成功し、自分達の手で平和な国を築くことができるなら、それを我々も当然切願します。
我々の近隣国イランの国内で、昨今多くのイラン人が独裁政治と暴力に反対し、抗議活動をしています。彼等イラン人のように、我々もまた狂信的なイラン政権には反対です。彼等がどれ程国連の支持を受けてもです。この政権は、核施設を設け、国内外のテロ活動を活性化させることに躍起になっている、破壊的で恐ろしい政権です。世界中を脅威にさらしかねない政権です。
我々はヨーロッパ(欧州連合)の人々から学びたいのです。彼等はヨーロッパに千年も続いた戦いと辛酸の歴史から学ぼうとしており、それぞれの民族の父祖達が相手に抱いた憎しみを兄弟愛に変えようと務めているからです。
彼等から学べること、それは中東にも同様のものが誕生することです。つまり各民族の父祖たちの間にあった溝や争いを子供たちに継承するのではなく、それらを平和に置き換えるのです。具体的には地域経済の活性化を促す、という新しい共通のチャレンジを持つのです。もしそれができれば、この地域の飢餓、砂漠化、病い、そしてテロを無くしていけるのではないでしょうか。
科学技術を向上させ、生活水準と暮らしの安全を確保することも必要です。そもそも戦いの神ではなく、平和の神という神観は共通しているはずです。あなた方の前に立っている人間(私)は、新しい未来を新しい歴史を作っていけると信じている者です。それもあなた方の力で、我々の力で、です。(この世に存在する)イスラエルへの脅迫は、平和をつくらせる行為でしょうか。私は、「平和」は実現可能だと信じています。今、あなた方の面前にいるこの者は、人間が人間らしく在るために世人を啓蒙し、世を明るくするために尽力を注いだ者達を父祖に持つ者で、それらが証人となっているのですから。
国際ホロコースト記念日は、交わりを持ち、沈思する日です。教育される時、希望する時です。カディッシュ(追悼の祈り)で始まったこの演説をハティクバ(イスラエル国歌)で閉じることにします。
歌詞)
いつでも我々の心の深いところに、
ユダヤ民族のネフェッシュの渇きがある。(*)
そして遠い遠い東の岸へ(**)
シオンへ、我々の目は向いている。
我々の希望は未だ失われていない。—この二千年の希望は。
それは我々がこの土地で自由の民となること。
このシオンの土地、エルサレムにおいて!


最後に、我々の抱いてきた夢を我々が抱き続けることを許して下さい。あなた方が実現させようとしている夢をどうか実現へと向けて下さい。
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※ネフェシュの聖書的原意は、のどの渇き。今日のヘブル語では魂や生命を指します。ユダヤ人の心の深いところにあるネフェシュ(のどの渇き)は、単に水を欲する渇きではなく、聖書の神に向けられた彼等の訴え、叫び、願望、祈りなどを含んだ心の渇きをも意味します。
※※東は聖なる方角です。エルサレムにある神殿の正門(通称、黄金の門)は東側に開かれています。ユダヤ人の間では昔から、メシアが到来した際、この門から神殿に入ると信じられています。メシアが神の神殿に入られた時から、メシアの平和な統治時代が始まるとも信じられています。

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