今週10日(火)と11日(水)イスラエルではプリム祭を祝います。
プリム祭は聖書のエステル記に由来しています。これは紀元前5世紀のペルシャ帝国に存在した反ユダヤ主義者の政治家ハマンが中東全域に居住しているユダヤ人を虐殺しようとした出来事を元にしており、聖書ではユダヤ人モルデカイとその姪でペルシャ王の妃とされたエステルがこの悪人ハマンの策略を阻止して同胞を救ったと語られています。(聖書を開いたことのない方は今週エステル記を読み、まずは「プリム」という言葉の意味を探してみては? 写真はエステル記の巻物。)
ユダヤ人は今も世界中に離散しており、プリム祭の週は、迫害を受けた自らの民族史を振り返りつつ、今日存在するハマンのようなユダヤ人を敵対し危害を加える人間を確認しあいます。今週イスラエル国内の各新聞コラムにおいて、文化面では仮装パーテイーや流行のお菓子が話題になります。一方、政治面では、世界の政治家たちの言動にハマン的な要素がないかを事例をあげて論じていきます。イスラエルのニュースを今週読んで彼等の視点で世界を覗いてみるのも、この時期の過ごし方の一つです。ユダヤ人たちは隠された政治家たちの裏の表情を暴きながら、それらの表情を聖書に照らし、リアルに自分たちの脳裏に刻み込んでいきます。私が感心したのは、ユダヤ人は普通にヒットラーやスターリンの誕生日を覚えていることです。敵のデータをそこまで何故記憶するのでしょうか。それはユダヤ人たちの描かれ方が、世界(日本やアメリカも含む)が記すユダヤ/イスラエル史とは異なるからです。
プリム祭は、酒宴をもうけ皆で仮装して楽しく騒ぎますが、その浮かれた空気にも「我々自らが自分たちの歩みを記憶していかなければ」といった民族的責任感や使命感みたいなものが漂っています。この時期、アルコール飲料の売り上げは一年で最も伸びるようですが、日本の忘年会のように「なにかを忘れるために飲む」のではなくて、彼等は「悪に屈せず生きた証しとして喜び、飲む」ので、さぞかしおいしく飲むのでしょう。
プリム祭で神に唱える代表的な祈りにはこうした祈りがあります。彼等の苦い苦しみの数々を想起せずに、これらの祈りに心を込めることは異邦人には難しいことかもしれません。
Blessed art Thou, Lord our God, Master of the universe, who performed miracles for our fathers in those days at this time. Amen (誉むべきかな、私達の主。天地を創られた主よ。あなたはまさにこの時期、私達の父祖に奇しい業を成して下さいました。)
Blessed art Thou, Lord our God, Master of the universe, who has kept us alive and has sustained us, and brought us to this season. Amen (誉むべきかな、私達の主。天地を創られた主よ。あなたは私達を今日まで生かし、守り、このプリムの喜びの季節を与えて下さいました。)
祈り)ハマン的スピリットは今日も存在します。第2、第3のハマンはユダヤ人の認識では宗教上の観念的存在ではなく、現実的な存在です。新約聖書では、この悪い霊を持つ者が反キリスト者として表現されており、イエス・キリストが再び地上に再臨するまでは、この者はイスラエルを苦しめ、信仰者たちを惑わし続けるとあります。このイスラエルを苦しめる者を見極めることができますように。そしてイスラエルの実際的かつ霊的解放の実現のために、イスラエルの友とされる者(アメリカでも国連でもなく、願わくは世界のクリスチャン)が具体的になんらかの行動を起こしていけますように。
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