2009年5月16日土曜日

ローマ教皇ベネディクト16世の「ヤドバシェム演説」


ローマ教皇ベネディクト16世の5日に及んだ「平和の巡礼」(イスラエル訪問)が昨日無事終了しました。

この5日間の滞在でエルサレム市民に最も注目された教皇の演説はヤド・バシェム(ホロコースト記念博物館)でのそれでした。カトリック信者やパレスチナ市民にとっては異なる場面での教皇の言葉が今週のニュース記事で取り上げられました。しかしユダヤ人の間では、特にホロコースト生存者たちの間でですが、この教皇がドイツ出身者で、第2次世界大戦中に青年時代を迎え、1944年まで「ヒットラー・ユース・キャンプ」に所属していたという経歴が、教皇自身の口を介してどのような演説になるのかと前日まで騒がれていました。

そのヤドバシェムでの演説はここをお読み下さい。この演説に対して、翌日のイスラエル各新聞社は一面にその内容を取り上げ、評価を下しました。
一例として5月11日付けのイスラエル・ハヨム紙の一面をご覧下さい(下)。


写真左)表の一面、黒面白抜きの見出し(下部):「教皇、謝罪のことばなし!」
写真右)中面、青面白抜きの見出し:「ヤドバシェム:“我々はがっかりした”」

教皇の演説のどの内容に彼等はがっかりしたのでしょうか。

ヤドバシェム委員会の責任者ラビ・メイヤー・ラウ氏(彼自身もポーランド出身のホロコーストの生存者)は次ぎのような点をあげて評価しました。

1)教皇はバチカン教皇庁とカトリック教会を代表する言葉を丁寧に述べたが、教皇個人のホロコーストに対する姿勢や考えを読み取ることが難しかった。
2)ホロコーストを二度と繰り返してはならないとは述べたが、ホロコーストへの言及が曖昧にされた。例えば、犠牲者の数をはっきり「6百万」といわない。ユダヤ人は殺された("were killed")と述べる程度で、虐殺された("were murdered")という明確な表現は避けられた。平和を願ったものの、ホロコーストを引き起こした人間の悪とナチスの存在には触れなかった。
3)前教皇ヨハネ・パウロ二世の2000年のイスラエル訪問時と比較して、今回の教皇は人格的にも個人的にもイスラエル国民へのアピール度が足りなかった。

教皇は今回エルサレム以外にもベツレヘムやナザレというイエス・キリストという人物にゆかりのある場所をも訪れました。そこでは特別な礼拝式が開かれ、教皇は神々しい存在として聖地巡礼者や教皇崇拝者の目に留りました。しかしヤドバシェムでは、教皇といえども1人の人間として神と人の目に留ったようです。そしてヤドバシェムでの演説では、教皇のホロコーストに対する個人的見解が抜けていたためか、(カトリック信者たちから)神のように崇められても“神のことば”ではない、単に“教皇庁のことば”だった、と一般のユダヤ人達には受け止められました。教皇は教皇庁の指図や監視を受けて演説したにすぎない、とすでに結論を出している市民もいました。実際そうだったのかもしれません。そうでなければ訪問後にそれを打ち消すような、よりパーソナルな感想と謝意がイスラエル国民に寄せられることでしょう。

祈り)政界や宗教界のトップらは、教皇のように世界中どこへ行っても熱狂的なサポーター達に囲まれています。1人の人間として立つ機会などあるのでしょうか。そういう彼等1人ひとりが、所属団体の立場や主張や伝統を通すまえに(つまりは政治家や宗教家の和平政策や和平哲学を通すまえに)、1人の人間として神の目に立つことができますように。そして当事者も彼らを取り巻く市民も何をもって誠意ある者、人格ある者とされるのか、そんな事を問い直したり、論じる機会を増していけますように。

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1 コメント:

Hippy Monday☆ さんのコメント...

sunny+K さん、

私もこちらの報道は嫌でした。気持ち的にはわかりますが、特に前法王と比較していた(特にエルサレムポスト)ことが非常に嫌でした。

私はユダヤ教徒でもキリスト教徒でもありませんが、ユダヤ教に大変興味をもってイスラエルに住んでいます。こんな私でも西の壁に行った時の高ぶりを考えると、法王にとってこの聖地訪問は個人的にも非常に嬉しかったものだと思います。だってここはイエスが生まれた聖地ですから。

本当にヘブライ語力がない私にはsunny+K さんのblogから学ぶことがあります。


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