2009年7月15日水曜日

アフガニスタン:去り行くユダヤ人と残されたシナゴーグ

アフガニスタン西部にあるヘラート市には古いシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)があります(写真左)。最近このシナゴーグはリフォームされ様変わりしました。アフガニスタンのユダヤ人地区はここ数十年で地域から見捨てられ荒んだ場所と化していました。しかし一方で、ヘラート市をはじめアフガニスタン国内のシナゴーグは最近改装されるようになりました。これらユダヤ人地区で今何が起きているのでしょうか。今回のストーリーは、アフガニスタン系ユダヤ人が去り、行き場を失ったシナゴーグとユダヤ人共同墓地の「今」に焦点を当ててみることにします。


20世紀初期、アフガニスタン国内にはユダヤ人が4万人いました。その数は第二次世界大戦後5千人に減り、1978年から約10年間にわたるソ連・アフガン戦争で、なんと300人にまで減りました。度重なる試練でアフガン系ユダヤ人は危険にさらされ、亡命する以外に生きる道はありませんでした。20世紀初期、ここヘラート市には280世帯規模のユダヤ人コミュニティーが存在しました。この町のユダヤ人達も1948年のイスラエル建国を機に次から次へとアフガニスタンを離れて行きました。その多くは現在イスラエルや米国に在住しています。


現在国内に残るユダヤ人はただ一人。およそ2500年続いたアフガニスタンのユダヤ人の歴史は終焉を迎えています。その残された孤独なユダヤ人とはゼブルン・シメントーヴ氏
のことZebulon Simentov:写真2枚目ヘラート出身で、現在首都カブールのシナゴーグを管理しながら細々と暮らしています。結婚歴がありますが、彼の妻と一人娘はだいぶ前にイスラエルに帰還しました。家族のためにアリヤーしないのかという質問には「向こうに住む理由などあるか!俺はここでシナゴーグを守るだけだ。」と返すのみです。経済的には米国やイスラエルのアフガン系ユダヤ人の支援を受けつつも「その日暮らし」は続きます。

「今学校施設や地域のコミュニティーセンターとして再利用しているこの建物は、以前シナゴーグだったんですよねぇ。でも(この建物を利用する)子供たちは何も(この地域のユダヤ史を)知らないわ。まだ若すぎて理解できないのよ。」こう語るのはこの建物で学校を開校させた教育者ファテメ・ネザリー氏( Fatemeh Nezary)。



このヘラート・シナゴーグは百年の歴史を持つ石造りの建物です(写真:3枚目)。天井には、草花をモチーフにしたペルシャ文様の装飾が施されていました。しかし建物内の保存状態は悪く、復元させるのは容易ではありません。ほんの数十年前までユダヤ教徒達はここで聖書を読んでいました。しかし今はイスラム教徒の子供たちがコーランを学ぶ場所となっています。内装工事を担当した建築士のレズリー氏(Jolyon Leslie 、南アフリカ出身の非ユダヤ人)は「次世代の子供たちのためにも、ヘラートの住民は、かつてこの地域が多民族が共存する宗教的多様性の高い場所だったって覚えておかないといけないんだがね。それを覚えておくことはとても大切なんだ。」と語ります。


しかし同時に彼は自らの仕事を弁護します。「6万人の人口を抱えるヘラート市の2万人は子供たちだ。こうした歴史的建造物を保存しつつも、我々はそれらを再利用する方法を(例えば学校のために)編み出していかなきゃならないのさ。」彼の仕事は、要するにユダヤ人会堂を博物館として保存し復元させるものではなく、地域のニードに合わせて内装を美化し、新しい用途に合わせて機能させる改装工事です。それでも放置されたままより良いのかもしれません。

現在、ヘラート市内に三カ所あるシナゴーグは新たな施設へと改装されています。それらは地域の小学校やモスク(イスラム教の会堂)のために利用されるということです。


アフガニスタンのユダヤ人コミュニティーの歴史はとても古く、アッシリア帝国やバビロン帝国時代にまで遡ります。紀元前720年にイスラエル王朝[現在のパレスチナ地方北部に位置した、 イスラエル統一王国から分裂したイスラエル10部族により築かれた王朝]はアッシリアに攻め滅ぼされました。また紀元前560年にユダ王朝[現在のパレスチナ地方南部に位置した、イスラエル統一王国の分裂後の残された2部族によって守られた王朝]もバビロンに滅ぼされました。自国を失ったこれらイスラエル12部族の多くはそれぞれ西アジアに強制移住させられました。こうして離散した古代イスラエル人は、今日のイラン、イラク、そしてアフガニスタンに移り住むようになったのです。


話を最近のアフガニスタンへ戻しましょう。ここヘラート市のシナゴーグの敷地内には150年程の歴史を持つユダヤ人共同墓地(写真:4枚目)があります。実体なきユダヤ人コミュニティーの共同墓地を今日管理しているのはいったい誰でしょうか。この地域のユダヤ人達から雇われていた元管理人にアブデラジズ氏( Jalilahmed Abdelaziz 、祖父の時代から共同墓地の管理職を任されていた非ユダヤ人)がいます。彼はこう語ります。「わたしの祖父が墓を守っていた頃は、ユダヤ人達から給料をもらっていたんだよ。でも彼等が少しずついなくなり、最後のユダヤ人家族もロンドンに引っ越していったさ。それから給料はなくなった。」彼の説明ではこのユダヤ人共同墓地には約千世帯分のお墓が在るということです。


アフガニスタンは過去30年間で、度重なる戦争や内戦、イスラム教ゲリラ組織タリバンによる政治により、ユダヤ教徒への弾圧は強くなりました。無報酬の今もアブデラジズ氏は墓を守っていると言いますが、タリバンよりも一般市民のユダヤ教施設や墓地への破壊行為が厄介だと苦言を呈してもいます。

今日、アフガン系ユダヤ人はイスラエルに1万人、米国ニューヨーク市に200家族が暮らしています。殆どが20世紀半ばの亡命者とその子孫です。アフガニスタンに存在したというユダヤ人共同体の痕跡は今後も残されていくのでしょうか。少なくともシメントーヴ氏が存在する限り残されてゆくでしょう。



参考)6月24日付、ロイター通信//6月25日付、ハアレツ紙「Restoration work reveals Afghanistan's Jewish past」//ウィキペディア「アフガニスタンのユダヤ史
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2 コメント:

momojp さんのコメント...

ちょっと切ない話ですけど、墓守をしているアラブ人の男性の話は心温まりました。

宗教が云々とか民族が云々とかと言うこと以上に、私たちに人間の歴史として残しておかなければならないものってある。そうしてそう思っている人も世界中に色々な国に存在している。

いつも良いお話ありがとうございます、

sunny+K さんのコメント...

教科書には載らない歴史ってあちこちにあるものですよね。いつもコメントをありがとうございます。


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