2009年1月31日土曜日

何故ハマスはガザ地区の統治権を握ったのか?

09年が明けて最初の月、世界の目はガザとイスラエルに向けられました。そしてイスラエルの一方的停戦を迎えましたが、ガザ地区の政治的問題は明確にされたのでしょうか。


停戦後、国際報道は米国の新大統領に向けられ、イスラエルから遠のいてしまわないようにと願います。それはガザ地域を含む中東情勢とイスラエル側の和平への取り組みは、米国と国連による中東政治の舵取りを度外視しては語れないからです。

今週はガザ地区の統治権をハマスがどのようにして握ったのか、そこに焦点を合わせながら8年前まで遡り、世界政治の動きとパレスチナに与えた影響を考えてみます。

2001年9月11日、ニューヨークやワシントンで航空機4機を使った同時多発テロが起きました。あの米国を襲った同時多発テロは、世界政治におけるイスラム勢力の存在を不動にしました。又、中東世界においては、米国の支配を受けない“アラブ人による自主的政治”を叫ぶグループに火をつけました。世界はイスラム過激派グループを恐れ、これを受けた欧州はアラブ世界とパレスチナ人地区の民主化を叫び始めました。これに押されたブッシュ元大統領は、翌年パレスチナ和平計画『ロードマップ』を構想し、パレスチナ人自治区を05年までに民主化させる計画を発表したのです。03年、米国はこの「ロードマップ」を国連、EU、ロシアと共同発表し、イスラエルにガザ地区を手放すよう当時のイスラエル首相シャロンに圧力をかけました。

シャロン首相はもともとガザ地区のユダヤ人達の入植支持者で、タカ派政治家として知られていました。しかし、よほど欧米諸国からの圧力を受けたのでしょう。彼はロードマップを受託し、05年にイスラエルのガザ地区統治権を放棄し、更にはユダヤ人入植者達を撤退させました。その上この時のストレスでシャロン首相は体を壊し、翌年脳卒中で倒れ、現在は意識不明の状態です。無惨にも世界は彼の存在を忘れ、ガザの現状だけが独り歩きしています。

こうして欧米諸国はガザ地区の民主化を始めました。しかし皮肉にもガザ地区と西岸地区のパレスチナ人は民主化反対勢力(=ハマス)を欧米の民主的方法(=投票)で選んだのです。そもそも全体主義のアラブ世界で選挙をしても、個人個人に反対勢力からの多大な圧力がかかり、正しい人選などできません。ここに個人主義欧米諸国の大きな計算ミスがありました。今日メディアがこの点に触れたがらないのは、欧米諸国の無責任なロードマップとイスラエルが払った代償に対して、裁きを下したくないからでしょう。欧米諸国とイスラエルとどちらが裁かれるべきか、白黒が見えた上で、この部分へのミディアの沈黙は続きます。

そして2005年が訪れ、イスラエルは「ロードマップ」の圧力で土地を手放しました。並行して、同地区内の8500人のユダヤ人住民は強制退去させられたのです。その多数は今も無職で精神的苦痛を煩っています。彼等ユダヤ人がどんなにトラウマで悩んでも、国連からの同情と支援を受けるには至りませんでした。

こうしてガザ地区はハマスの支配化に置かれるようになりました。今日ハマスを追放しようとしても「我々は合法的に統治権を得た。今更口出しするな。」と言えば、欧米諸国はこれに閉口せざるをえません。国連もテロ組織撲滅への強い姿勢を取れるはずもありません。国連は、むしろ根本的な問題を回避したその場しのぎの和平政策だけを切り出し、ガザ統治者とイスラエルからの協力を求めることになります。しかしイスラエルはそれで納得するでしょうか。

さて、欧米諸国が促したように土地はパレスチナ人のものになりました。しかし民主化には至っていません。どこに問題があったのでしょうか。もし土地が問題なら、中東にある二十二のアラブ諸国が、パレスチナ住民のために土地を設け、避難させることもできるはずです。ヨルダン国はパレスチナ人のために建国された国のはずですが大国イランとエジプトの顔色ばかり伺い、何もしません。全アラブ圏を握る中心的存在のイランとエジプトの間には不気味な力関係が常にあり、政治上、アラブ諸国にまとまりはありません。ただパレスチナ人たちをカナンの地にとどめておくという点とイスラエルを責めるという点においてはアラブ勢力は一致するようです。何故それらの点で一致するのか、世界の政治家達は自分たちの中東和平案を通す前にもっと考えるべきです。

5年以降、ガザの民主化後退の原因は経済的問題かの様に取り上げられています。そこでUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業期間)を通して毎年数百万ドルがガザへ送り込まれています。イスラエルも(土地を手放した上で)水と電気を提供し続けています。しかし、空しくもガザ地区のパレスチナ人の生活レベルはより悪化し、ガザ住民はより多額の支援金を世界に要求するようになりました。もしアラブ人が土地を問題にしてきたのなら、ユダヤ人シオニストたちのように開拓精神に満たされ、新しい国づくりに専念したはずです。経済的なものでさえ、必要最低限なものは国連とイスラエルと民間団体が全て備えてきたのですから。

こうした欧米の民主化の努力の背後で、ハマスはガザ地区150万人のパレスチナ人から言動の自由を奪い、 UNRWAからの義援金や支援物資を自らのテロの活動資金に換金して独裁政治を進めました。ちなみに難民の定義はパレスチナ人に対してだけは国際規定とは異なり、自治区に数年滞在しただけで(テロリストでさえ)なぜか難民指定を受けて助成金を授与できるようになっています。また難民の子供たち(2世、3世)も例外的に難民の指定を受けています。この地域では「難民である」というのがむしろ一つのステータスの様になり、それとは裏腹に国連の負担は増えました。一方、同地区から強制退去させられたユダヤ人も難民のはずですが、その対象からは外され国際的援助(主にUNRWAから)は受けられません。

2006年、ハマスはユダヤ人兵士1人(ギラド・シャリット兵)を拉致し、その命と引き換えにイスラエル国内に捕われているテロリスト約1000人を解放してくれと、イスラエル政府を相手どり無謀な交渉を始めています。ロードマップの取決めではパレスチナ側の土地取得に伴い、テロ活動の完全停止が要求されていましたが、世界は第2次レバノン戦争や台頭してきたイランに頭をかかえたまま、この拉致事件を大きく取り上げませんでした。もしハマスが生け捕ったユダヤ人を解放させていれば、今回の国防軍による攻撃はなかったはずです。しかしあれから2年半、ハマスの姿勢はより頑になりテロ活動は激化しました。国防軍は、国民をテロリストから守るために自治区との間に壁を設置してセキュリティーをより強化しましたが、国際的評価にはつながりませんでした。むしろこれを「差別」と批判しました(世界は区別と差別を混同しています。特にイスラエルに関する報道では、史実とは異なるセンセーショナルな集団的主観で「差別」が好んで使われます)。

2008年6月、国防軍とハマスは半年間、停戦をしました。その期間中もテロは止まず、停戦後も続きました。去る12月24日には1日のロケット弾の数が80発以上にもなり、このままエスカレートするハマスの独裁と無差別テロに対してイスラエル政府は「攻撃を止めなければ流血の事態になるだろう」と警告。しかしそれでもガザ地区からのロケット攻撃は止まず、とうとうイスラエル軍はガザ地区のハマス関連施設への攻撃に踏み切ることになったのです。今月起きた戦争への責任と多くの死傷者に対して、イスラエルは悔い、痛み、悩み抜き、イスラエル側の「一方的停戦」に踏み切りました。しかし、テロ活動は今日も続いています。

世界はイスラエルに何を要求してきたのでしょうか?
パレスチナ難民に土地を返せと叫び、パレスチナ人による自主的民主的政治を請求しました。
もちろんパレスチナ人と世界がそのように叫び、それが本当に真実な叫びならと、イスラエルは民主化と土地、また「ロードマップ」に対しても、理解を深める努力を惜しまず、だいぶ譲歩してきました。しかし世界の目はイスラエルにとても厳しいのです。

祈り)人間の義で歴史を正しく測ることができますか。だから神の義が一日も早く成るようにと祈ります。ガザを含むイスラエル問題が正しく測られ、不正者が裁かれ、この地に本当の平和が訪れますように。
 
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