個人的には今年のクリスマスも前年通り静かに流れ去っていきました。ユダヤ人の友人たちからは「ベツレヘムへ巡礼に行くのか」とか「クリスマスツリーは家に飾っているのか」などと聞かれました。が、今年も私の返答は「行きません」「飾りません」とあっけなく終わります。別にクリスマスをボイコットしているわけではありませんが。休日のないイスラエルでクリスマスに外出するのも、どこにも売っていない“ツリー”を探すのも無理だと思いませんか?

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このブログは、エルサレム在住のあるクリスチャンからのイスラエル情報と「祈りの要請」です。
個人的には今年のクリスマスも前年通り静かに流れ去っていきました。ユダヤ人の友人たちからは「ベツレヘムへ巡礼に行くのか」とか「クリスマスツリーは家に飾っているのか」などと聞かれました。が、今年も私の返答は「行きません」「飾りません」とあっけなく終わります。別にクリスマスをボイコットしているわけではありませんが。休日のないイスラエルでクリスマスに外出するのも、どこにも売っていない“ツリー”を探すのも無理だと思いませんか?
今週は世界中あちこちの街角でクリスマスソングが流れていることでしょうね。エルサレムの街角までには流れてきませんが。。。エルサレム在住のキリスト教徒たち(*)は「マッチ売りの少女」のように、マッチ一本の小さな光で想像力をかき立てながらクリスマス気分を味っているよう見えます。(とそこまで言うと大げさでしょうか。)それでもこの時期のエルサレム在住のキリスト教徒は皆ホームシックにかかったような表情をしているんですよね。ホームはここなのにアット・ホームな場所を探しているようで‥‥。この空気は、エルサレムの外にいるキリスト教徒には分からないでしょうね。そんなマッチ売りの少女達を励ますためにクリスマスソングをお届けしましょう。ただ曲を並べるだけじゃ面白くないので、せっかくだからユダヤ人の間では話題にされない「ユダヤ人が書いたクリスマスソング」をあえて選んでお届けすることにします。曲名をクリックするとユーチューブで視聴できるようにしました。曲を聴きながら「作詞作曲したユダヤ人たちはどんな感情をこれらの曲に込めたか」などと想像してみるのも面白いかもしれません。良きクリスマスをお送り下さい。
1)真っ赤なお鼻のトナカイさん [Rudolph the Red Nosed Reindeer]:作曲家ジョニー・マークス(1909−89)は米国NY市出身のユダヤ人。彼が作曲したクリスマスソングは他にもRochin’ Around the Christmas Tree、Holly Jolly Christmas、I Heard the Bells on Christmas Day等がある。
2)ホワイトクリスマス[White Christmas]:作曲家アーヴィング・バーリン(1988−1989)はベラルーシ生まれで米国へ移民したユダヤ人。彼はアメリカ第二の国歌として知られる「God Bless America」の作詞・作曲家でもある。
3)サンタが町にやって来る[Santa Claus is Coming to Town]:作曲家ジョン・フレドリック・コーツ(1897−1985)は米国NY出身のユダヤ人。この曲はヘブン・ギルスピーとの共作。
4)シルバーベルズ[Silver Bells]:作詞家レイ・エバンズ(2015−2007)は米国NY市出身のユダヤ人。作曲家ジェイ・リビングストン(1915−2001)は米国ペンシルバニア市出身のユダヤ人。
5)クリスマスを我が家で[I’ll Be Home for Christmas]:作曲家ウォルター・ケント(1911−1994)は米国のユダヤ人。
6)レット・イット・スノー[Let It Snow! Let It Snow! Let It Snow!]:作詞家サミー・カーン(1913−93)は米国NY市出身のユダヤ人。作曲家ジュール・スタイン(1905−1994)は英国生まれ、米国育ちのユダヤ人。
7)スレイライド[Sleigh Ride]:作詞家ミッチェル・パリシュ(1900−93)はリトアニア生まれで米国へ移民したユダヤ人。
8)ザ・クリスマスソング[The Christmas Song (Chestnuts Roasting on an Open Fire)]:作曲家メル・トーメ(1925−1999)は米国シカゴ市出身のロシア系ユダヤ人。共同作曲家ロバート・ウェルズ(1922−98)も米国のユダヤ人。
9)ドゥ・ゼイ・ノー・イッツ・クリスマス[Do They Know It’s Christmas? (Feed the World)]:作曲家ミッジ・ユーロ(1953ー )はスコットランド出身のユダヤ人。共同作曲家ボブ・ゲルドフ(1951− )はアイルランド出身で、ユダヤ人の祖父母を持つ。
10)サンタ・ベイビー[Santa Baby]:作曲家ジョアン・ジャビッツ(1928− )は米国のユダヤ人。米国の政治家ヤコブ・ジャビッツ(1904−86)の姪にあたる。
11)[It’s the Most Wonderful Time of the Year]:作曲家ジョージ・ワイル(1916−2003)は米国NY市出身のユダヤ人。
12)[There’s No Place Like Home for the Holidays]:作詞家アル・スティルマン(1906−79)は米国NY市出身のユダヤ人。
13)[Hark The Harold The Angels Sing]:作曲家フェリックス・メンデルスゾーン(1809−47)はドイツ出身のユダヤ人。後にキリスト教徒になった。この曲にまつわる歴史はココを。日本語では教会賛美歌98番、聖歌123番の「天には栄え」などの邦題で知られている。
以上です。他にもあればどなたか教えて下さい。後でここに貼付けますので。
写真)米国NY市在住のイラストレーター、ラヘル・イサドラ(Rachel Isadora)が描いた「マッチ売りの少女』
*)ここで言うキリスト教徒はごくごく普通の信者たちです。教会に仕える修道士や修道女たち、もしくはメシアニック・ジューたちはそれぞれ異なる次元でこの時期を迎えていると思うので‥‥。
参考)InterfaithFamily.com: The Jews Who Wrote Christmas Songs
左の写真はハヌカ祭の駒遊びにつかう駒です。四つのそれぞれの面にヘブル語の「פ」「ה」「ג」「נ」と記されています。これは「 ネス・ガドール・ ハヤー・ ポ」[意味: ここに以前大きな奇跡があった]というフレーズの頭文字です。「ここ」とは今私が住むエルサレムです。エルサレム以外に住むユダヤ人は「פ」の一文字を「ש」と置き換え「“あそこ”で以前大きな奇跡があった」というフレーズで駒遊びをします。ところで、”ここ”エルサレムでかつてどのような奇跡が起きたのでしょうか? 今日はこの駒遊びのフレーズが物語るハヌカ祭の歴史に焦点を当ててみることにします。
ハヌカ祭を祝う冬期、キリスト教徒は「処女マリヤが神の霊を受けてその母胎に生命を宿した」ことを記憶します。これは偉大な奇跡です。しかしその奇跡はエルサレムで起きたものではありませんでした。ハヌカ祭の奇跡は、聖書の外典とされるマカバイ記1〜4章に詳しく記されており、時代的には中間時代(紀元前4世紀からイエス誕生の年までを指す)の出来事です。死海写本を残したとされる共同体とも時代的背景が重なります。
そこで簡単に中間時代のパレスチナ地方の政治の説明をしておきましょう。
タナク(旧約聖書)の歴史はペルシャ時代をもって終了します。その後(紀元前332年)ペルシャ軍を倒したアレキサンダー大王はパレスチナを含む西アジア全域に勢力を延ばし、それにより時代はペルシャ時代からヘレニズム時代へ移行しました。パレスチナ地方のギリシャ化は、エジプトに拠点を置くプトレマイオス朝によって紀元前198年まで、それ以降はシリアに拠点を置くセレウコス朝によって推進されました。こうして西アジア全域は言葉も文化も宗教もギリシャ化されていき、ローマ軍が紀元前70年にエルサレムを攻め落とした後も続きました。
こうして近隣諸国が代わる代わるエルサレムを支配した中間時代、ある一時期、つまりマカベヤの反乱からの約百年間だけは、ユダヤ人たちはユダヤ教徒として自由に振る舞える時期がありました。この「ハスモニア王朝」と呼ばれる百年は、すでにギリシャ化したユダヤ人が、神殿礼拝を重んじ、ヘブル語を学び直してトーラーを読み、聖書の祭り事を回復させた意義深い時代だったのです。ハヌカは、この時代を築いた「マカベヤの反乱」と関係しています。
その反乱前のパレスチナ地方に話を戻しましょう。時のセレウコス朝皇帝アンティオコスはユダヤ人が宗教的にならぬよう数々の政策を打ち出しました。当時の宗教弾圧の様子はマカバイ記に記されています。「その内容は、他国人(異邦人)の慣習に従い、聖所での焼き尽くす捧げ物、いけにえ、ぶどう酒の献げ物を中止し、安息日や祝祭日を犯し、聖所と聖なる人々を汚し、異教の祭壇、神域、像を造り、豚や不浄な動物をいけにえとして献げ、息子たちは無割礼のままにしておき、あらゆる不浄で身を汚し、自らを忌むべきものとすること、要するに律法(トーラー)を忘れ、掟をすべて変えてしまうということであった。そして王のこの命令に従わない者は死刑に処せられることになった(1章44〜50節)」。続いて「キスレブの月の25日」には、神殿内に偶像が設置され、その後2年間は艱難時代でした。多くの信者が弾圧を受け、処刑され、彼等の聖文書は燃やされていったからです。ギリシャ的自由主義に基づいた反ユダヤ政策が激化していく中、ついに、民衆の中から祭司マタテアとその息子たちハスモン一族が立ち上がりました。息子の一人、ユダ・マカベウスが軍事蜂起を行い、ユダヤ人とギリシャ人との間に戦いが始まったのです。
この戦いでユダヤ民衆は見事にシリア系ギリシャ軍を倒し、神殿を奪回しました。そして彼等は神殿をもう一度潔めるために、ゼウス神が据えられた2年前の「キスレブの月の25日」を奉献日と定め、紀元前164年の同日、聖書の神ヤハウェに神殿を再奉献しました。奇跡はこの時に起こりました。当時、神殿内の燭台用オリーブ油は一日分しか確保できなかったといいます。それでも祭司らは一日分の油で薄暗い神殿内を照らすことにしたところ、燭台の灯火は8日間も点し続けたというのです。 これが「ネス・ガドール・ハイヤー・ポ」です。
興味深いことに、死海文書の「戦いの書」には闇の民と闘う"光の民"についての物語が記されています。マカベヤの反乱と直接結びついているかは分かりませんが、「戦いの書」はこの中間時代の宗教弾圧と戦いを土台として描かれています。
祈り)今日神の宮を再建し暗闇に光を点す者は誰なのでしょうか。光が見えない状態で、光の存在を信じ、光を点すために「闇」と闘う者たち全てに勇気が与えられますように。
年々派手になる世界各地のクリスマス商戦で、特に米国のクリスマス宣伝が功を奏したのか、同時期に祝うハヌカ祭も一般に知れ渡るようになりました。米国では大衆向けにハヌカを売り物にしているのか、アメリカンジューの家庭にはハヌカブッシュなるものまでが存在します(写真)。それが「ユダヤ版クリスマス」の謂れにもなっているようですが。ハヌカはクリスマスと時期的に重なる点と史実に基づいているという点では類似しています。ところが祭りの起源とされる出来事が全く違うので、とてもユダヤ版クリスマスとは言えません。ちなみに冬が到来する度に熱狂的キリスト教徒は、世界がクリスマスを中心に回っているかのように宣伝しお祝いします。けれども祝日の12月25日、クリスマスツリー、サンタクロースやトナカイ、クリスマス色の緑と赤は史実に基づいているとはいえず、こうした伝統を基にするならクリスマスは「異教の香り」を放つだけになってしまうでしょう。クリスマスの時期になるとベツレヘムにまでサンタクロースが出没する(!)時代ですから、エルサレムの住民の目にはクリスマスは不可思議なお祭りです。そんなクリスマスと同一視されるのはユダヤ教徒としては嬉しいものではないはずです。実際エルサレムで「メリークリスマス」と挨拶を交わすものなら、冷ややかな視線を浴びるだけです。そこでハヌカとクリスマスをごっちゃにしてしまう方に、ハヌカがどのようなお祭りなのか以下に記してみたいと思います
時期:キスレブ(ユダヤ暦の冬期にあたる)の25日から8日間(外典マカバイ記4章59節)。これは「キスレブ月25日」であって12月25日ではありませんよ。起源とされる出来事はナザレ人イエスの誕生より160年以上前のもの。今年は12月12日からの8日間です。その起源とされた出来事については次ぎの回で紹介することにしましょう。
名称:ハヌカ祭。別称、光の祭典(ハヌカ期間中ろうそくに火を灯すお祭りなので)。宮清めの祭り(または神殿奉献記念祭)。ちなみにクリスマスの主人公のナザレ人イエスもユダヤ人だったのでハヌカ祭をお祝いしています(新約聖書のヨハネ伝10章22節から数節)。
伝統: ハヌカ祭にも、後代に付加されて今日の伝統になったもの、例えば「駒あそび」や油揚げのお菓子や料理などもあります。ハヌカ・ドーナツ(“スフガニヤー”)は私の好物なので、作り方サイトを紹介しましょう→クックパット「よみ魔女さんのレシピー」。異邦人に最も知られている伝統は、ハヌキヤ(8本の燭台)を使うことです。ハヌカ祭が始まった日の日没に、この8本ある燭台の一本目にろうそくを灯します。ハヌキヤは毎晩一本ずつ8日連続で灯されていきます。エルサレムの住宅街(特に旧市街のユダヤ人地区)を夜に歩けば、窓際に置かれたハヌキヤが、冬の寒さと暗闇を忘れさせてくれます。
聖書から考えるハヌカ:「神への奉献」を意味するハヌカ(חנוכה)という言葉は、ネヘミヤ記12章27節に使用されています。後のハヌカ祭を指す用語になる以前、この言葉には異教徒に侵されたエルサレムを再び取り戻し、神殿を神様へ奉献するという意味がありました。ハヌカ祭は「マカベア戦争に勝利し、神殿を取り戻した記念祭」ですから、この言葉の意味と合致します。同時にハヌカという名詞の語根(ח,נ,כ)を動詞に変えると「子供に教える」という意味になります。ハヌカ祭の「神の宮は常に聖書の民の中心に置かれる」というメッセージは将来を担う子供たちへ教え伝えたい内容です。エルサレムからだいぶ離れた欧米ユダヤ社会でも、クリスマスツリーを真似るだけじゃなく同じハヌカ・メッセージが語られているといいですよね。このかわいい写真はYnet紙から借用。