私のお正月は病と共に始まり、イスラエルの長いお正月を締めくくるスコット週が明けた今日この頃、体調が戻ってきました。神が、己を振り返りゆっくりと休むようにとユダヤ人に定めたこの時期、私自身も異邦人でありながら特別な体験をさせて頂きました。ユダヤ暦で5770年の最初のブログも今日から気持ちを改めて再開させていただきます。このブログの読者の皆さん、ご支援を今後も宜しくお願い致します。
さて、ユダヤ暦のお正月期間のご報告をさせていただきます。宗教面から。
ロシュ・ハシャナ〜ヨム・キップール
ユダヤ暦5770年目の今年は、西暦で9月19日に新年が明けました。元日と二日目はロシュ・ハシャナと呼び、世界中のユダヤ人の間では盛大に祝われます。ユダヤ教の伝承では ティシュレイ (ユダヤ民間暦の一月)の元日が人間アダムとエバが創造された日とされています。ですから5770という数字は最初の人類であるアダムとエバが創造されてからの年月ということになります。ティシュレイ の元日は、同時に終末(今の世界が終焉を迎える時)における神の審判の日とも考えられています。そのためユダヤ暦のお正月から10日間は、宗教的ユダヤ人たちの間では祝賀ムードはおあずけとなり、とても厳粛な空気の中で、神の前に罪を告白する時となります。敬虔なユダヤ教徒であれば、誰しもがシナゴーグ(会堂)に足を運び、自らの罪を悔い改めます。正統派の人達はタオル持参で会堂に入ります。何故タオルなの?と思いますが。神の前で流した涙をそれで拭くのでしょうかね? 彼等はまた水辺に行き「ああ神よ、私の罪を取り去り、水の深みへと沈めてください。」という伝統的なフレーズで、祈りを捧げます。
元日から10日後には、聖書(レビ記23章27節)に定められた贖罪日、ヨム・キップールを迎えます。伝承では、開かれた神の「命の書」はこの日に閉じられるので、ヨム・キップールのエルサレムは完全に静まりかえります。学校や公共施設はもちろんのこと、車(バスもタクシーも)も一切走りません。そして多くのユダヤ人はこの日に食を完全に断ち、習慣的に白い服(白=きよい色)を着て神を礼拝します。この静寂しきった厳かな空気は、イスラエルでもこの町エルサレムだけに覆う特別な空気です。けれども世俗派の若者や子供たちの間では、交通が完全停止するこの日が自転車を乗り回して遊ぶ「サイクリング日」になっています。私はこの10日間を計算していたかのようにある特殊なウィルスにかかり高熱を出して動けず、エルサレムの厳粛な10日間を(私なりに)体験することになりました。
スコット祭
新年に入り最初の満月の夜、つまりティシュレイ の13日から21日までの8日間は、聖書(レビ記23章、民数記29章、申命記16章)でいう仮庵の祭りです。こちらではスコット祭と呼びます。この週は厳かな10日間の後、神の赦しを受け取る感謝の週となります。神との時間は、特別に設置した手作りの小屋(テント、仮庵、ヘブル語ではスカ)で持つよう聖書で定められています。同時に秋の収穫の時期とも重なるため、小屋の中を収穫の産物(例えばナツメや果物)で飾ります。こうしてこの小屋にお客を招いて夕食会を開きます。聖書的には、新年の喜びが神を通してこの小屋の中に運ばれると解します。イスラエルのあちこちでは小屋を建設するのを面倒がり、“あえてしない”世俗派や、しても手作りではなく“出来合いのテント”を張るだけの伝統派の人たちが過半数のようです。または小屋では過ごさないが、“とにかく家を離れて旅に出る”というユダヤ人もいるようです。これはアメリカン・ジューから聞いた話。
聖書を掘り下げるなら、スコット週はこの小屋で7日間生活するよう定まっており、その週の中で自らの歴史を振り返り、特にエジプトから逃れて神とシナイ山やネゲブの荒野で過ごした40年間を振り返ります。8日目には神の前で集会を開き、約束の地に着いた感謝と喜びを証しします。8日目の集会をシムハット・トーラー[“聖書の喜び”という意味]と呼びます。正統派ユダヤ教徒はモーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)を一年を通じて通読し、スコット週にその通読が終了するように読むからです。彼等は、聖書通読の完了とまた再び聖書通読を開始する喜びをお祝いします。この8日目は正統派にとっては一年で最も喜ばしい日となります。厳格な正統派とはいえ、この日ははめを外して一日中歌って躍ります。ちなみに私達日本人に馴染みのあるイスラエル民謡「マイムマイム」は、そもそもこのシムハット・トーラーに歌って躍る歌のようです。
写真とおすすめ映画)
上の写真は「ウシュピジン」という題の2005年のイスラエル映画のクリップ写真。この映画は、エルサレムで信仰生活を始めたあるユダヤ教徒の夫婦の物語りで、スコット祭を背景に描いています。物語の主人公は、もともと世俗派のユダヤ人男性で、宗教的に目覚めた後は超正統派となりました。男はまじめな女性と結婚して“ある事件が起きるまで” 幸せに暮らしていました。スコット週に起きた幾つかの事件は「神に立ち返り、全てをやり直したいと願う男」には、実に酷な事件となりました。ここで信仰が試されていくのです。子供に恵まれない妻に喜びは無く、それらの事件を通して二人の結婚生活に終わりがきます。そしてシムハット・トーラーは喜びの日に転じていくはずなのに、男には喜びも希望もありません。その時男は神に言いようの無いうめきをあげて訴えました。信仰を捨てたかのようにも見えました。しかし最後の最後に、男は神の奇跡を経験して歓喜の声をあげて涙するのです。映画の中で流れる、アディ・ランの歌は心を揺さぶります。 この時期のスコット祭やユダヤ教的祈りと信仰を知るには、この映画は最高のセレクションです。
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