2009年8月23日日曜日

ヨルダン国のパレスチナ系市民への冷遇措置

去る7月20日、ヨルダン政府とパレスチナ暫定自治区双方から意外な公式発表がありました。それは国王(アブドゥッラー2世)の判断で、ヨルダンに住む数千人のパレスチナ系市民の国籍が無効になるというものです。つまり市民権の剥奪です。彼等は国からの公的援助が得られなくなり、今後外人同様の扱いを受けるというのです。人口630万の約7割がパレスチナ人(親がパレスチナ人の場合、ヨルダン生まれの子供もパレスチナ人と考える)というヨルダン国にとって、これは随分と思い切った同胞への対応です。

ヨルダン国(左図の死海東側に位置。黄緑色の国)は立憲君主国家のため、民主的にパレスチナ人を政府高官には入れておらず、国民の意見は繁栄されません。政権は1921年にアラビヤ半島からやってきたアラビヤの王族(アブドゥッラー1世とその家族)が建国から今日まで実権を握っています。そのため国王の考えが政治と直結しています。そのヨルダン政府の発表では、中東戦争期間(1948〜1973年)に流入してきたパレスチナ人はパレスチナ暫定自治区へ帰るべきだというのです。この中東戦争ですが、これは1948年5月14日のイスラエル建国宣言の数時間後に、ヨルダンをはじめとするアラブ諸国が奇襲攻撃をして始った戦争です。この時パレスチナ人たちが戦争による被害を受けて難民となっているのです。難民を作ったのはイスラエルのせいではなく、戦争のせいなのです。その難民に対しての責任をヨルダンが取るというかたちになり、流浪のパレスチナ人達へはヨルダン国籍が与えらました。しかし今になって彼等に「難民帰還権」(1948年のイスラエル建国でヨルダンに避難した難民が家に戻る権利)という権利が押し付けられ、せっかくヨルダン国に落ち着いたのに彼等は国外に出るように言われているのです。国王の考えでは、ヨルダンが英国統治下にあった期間(1921年〜1948年)に流入したパレスチナ人は正式な国民なのだそうです。けれども、それ以降にヨルダンに移民したパレスチナ人を非国民と認定しまっていいのでしょうか。当然パレスチナ側は納得できません。

なぜイスラエル建国年以降のパレスチナ人はヨルダンに定住できないのでしょうか。パレスチナ人のヨルダン移住/定住に何か問題があるのでしょうか。今ヨルダン国は、ガザ在住のパレスチナ人がヨルダン国へ流入するのを恐れています。又こうした動きの水面下で、「パレスチアナ人達のヨルダン移民をイスラエル政府が歓迎している」又「ネタニヤフ首相はヨルダン国をパレスチナ国家に見立てている」等の噂も流れ始めました。こういう噂を誰が立てるのかはわかりません。勝手に噂を立てられてイスラエル側も困っている様子です。しかしヨルダン国としてはこれらの噂を認めるわけにはいかず今回の処置を取ったようです。

当然ながらこの処置は、ヨルダン人とパレスチナ人の関係を気まずくしています。ヨルダン国では、地元の青年達が「パレスチナ人はイスラエルと手を組む裏切り者だ」となじるようになり、同じアラブ人同士なのに内部分裂の兆候がでています。

またどういうわけか、このニュースはアラブ諸国では問題にはされていません。国際世論や人権団体もガザ戦争の時はパレスチナ人達への人権をあれ程叫んだのに、ヨルダン国内のパレスチナ人達が基本的人権や市民権を失い始めている現状には黙っています。黙認しているのでしょうか。もしイスラエルがヨルダン政府に倣ってイスラエル国内のパレスチナ系市民を追放でもしようものなら、アラブ諸国も欧米諸国も黙ってはいないでしょうに。世界中の人権団体もイスラエル・バッシングの大合唱を始めるでしょうに。

さらに不審な点は、ヨルダン国王のアブドゥッラー2世の妃ラーニア夫人(写真)はパレスチナ人なので彼女の立場がどうなるかです。もちろん他のパレスチナ人のように追放されることは決してありません。ラーニア夫人は、世界で最も美しい王妃といわれ、パレスチナ人の誇りでもありますから。しかし王妃としていかに同胞のもどかしい気持ちを汲み取るのでしょうか。

祈り)ヨルダン国建国の背景を考えるなら、パレスチナ人を守り、自立させるのがヨルダン国の使命だと思うのですが。。。しかし現状はそうではないようです。政治上矛盾だらけで不安定な世界にいるパレスチナ人たちのためにも、アラブ諸国のパレスチナ人に対する政策が統一されていきますように。ヨルダンを含むアラブ社会が安定しますように。

参考)7月21日付け エルサレム・ポスト紙[記者:Khaled Abu Toameh]

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