カディッシュ(和訳:sunny+k)
注)カディッシュは聖書のエゼキエル書38章23節をモチーフに祈られています。
このブログは、エルサレム在住のあるクリスチャンからのイスラエル情報と「祈りの要請」です。
まずは1月18日付けAFP通信の日本語記事から。
_______________
【1月18日 AFP】イスラエル警察は14日までに、女性や子ども数十人を監禁して奴隷化し、性的に虐待していた容疑で宗教グループのリーダーの男を逮捕した。
ヨルダン側は、イスラエルが1967年に東エルサレムを占領した際、当時ヨルダンが管理していたパレスチナ博物館(Palestinian Museum)から死海文書などの文化財を持ち去ったと主張。死海文書の所有者がヨルダンであることを証明する法的文書を所持しているという。
1949年以降、東エルサレムはヨルダンの統治下にあったが、1967年の6日間戦争でイスラエルが占領。国際社会の承認がないまま、東エルサレム併合を宣言した。その後、ヨルダンとイスラエルは1994年に平和条約を締結している。(c)AFP
これに対しイスラエル外務省代表のイガル・パルマー(Yigal Palmor)は、ヨルダン国の要求は「実に馬鹿げている」と一蹴しました。その理由として、死海写本はユダヤ教の宗教と文化と歴史とに関する文書で、ヨルダンの国民とは全く無関係の文書だからというもの。全くごもっともです。
お正月から初夏にかけて、日本から多くの観光客がイスラエルへやってきます。観光シーズンが到来しました! イスラエル国内には現役の日本人ガイドさんたちが約20名ほどいると、某ベテランガイドさんから聞いています。日本人観光客の大半は、ツアーを通してイスラエルを訪問するようですが、近年、若者たちの個人旅行も増えてきました。その際は外務省の海外安全ホームページを要チェック!
さて、個人的にはプロのガイドさんに案内してもらった方が安心だと思うのですが、中には小さなお子様を連れてイスラエル旅行をしたい方、ツアー・シーズン以外の旅行を考えている方、またはゆっくり時間をかけてるるぶ(見る食べる遊ぶ)したい方々もいるでしょう。そういう方々には必ずしもプロの案内は要らないのかも。それも良し。しかし場所が場所だけに、イスラエル情報は得られるだけ得ておいた方が、旅行は安全で楽しいものになること間違なし。そこでこのブログにも、イスラエルの情報サイトを貼付けておくことにしましょう。ブログ画面の一番下に「サイト情報」をリストしておきますので、必要に応じてご利用下さい。個人ブロガーの「そんなテルアビブ」さんのリンク集はとても充実していてオススメです。観光以外でも、イスラエルの植物、野鳥、昆虫、料理、音楽、又ヘブル語等に関するサイトも貼付けておきます。これで「ガイド要らず」になるかどうかはあなた次第デス。
この花をヘブル語で「ラケフェット」と呼びます。また「ネゼル・シュロモー【ソロモンの冠】」という名誉あるニックネームを持っています。ところで、和名を「豚の饅頭」と聞いて笑ってしまいました。丸パンのようなカタチをした球根をみて植物学者がこの花を「Sow Bread」と命名したところ、日本でも和訳のブタノマンジュウでこの花が当初紹介されていったそうな(ウィキピディア参照)。さて「根っこ」ではなく「花」に着眼して付けられたのが「ネゼル・シュロモー【ソロモンの冠】」という名前。以下はこの名前にまつわるユダヤ的伝承です。
ーーーーーーーー
その昔、ソロモンがイスラエルの王様だった頃、彼は自分の好きな冠のかたちを探し求め、国中の冠職人を宮殿に呼び寄せました。そこで職人たちは、こがねやしろがねをつかい、それぞれの目に麗しいカタチに仕上げて、王様に見せました。ところがそれらの冠は、王様の目にはどれも似たように写りました。王様の浮かない表情を見て冠職人たちは肩をがっくりと落としました。これにつられてため息をついたのが、イスラエル中の平野と山々だったといいます。
しばらくして、大地の花々が花冠にしてはと提案してきました。「わたしは赤い花。わたしを用いた花冠は素敵よ。」「黄色の花のわたしの方が最適だわ」花達はしきりに王様の前で自分達を売り込みました。王様は花達が好きでしたが「私にふさわしいものはなかった」と沈んだ声で花達に告げました。王様はうつむき、ごろごろした大地をぼんやりと眺めるのでした。そんな王様を周囲の者たちは見守りました。
彼等は王様が岩のある一点をじっと見つめているのに気づきました。間もなくして王様は目を見開いたかと思うと、さっと身を岩に寄せました。なにか宝を見つけたかのように。見れば、その岩陰には桃色のシクラメンがちょこんと座ってお辞儀をしているではありませんか。
けなげに咲くその花は王様の目になんとも麗しく写るのでした。王様は喜び「これぞ私の王冠にふさわしい。シクラメンよ、おまえのけなげさを王の品性にひとつ加えさせてくれ。」と声をかけました。
こうして王冠はシクラメンのかたちに象ることになりました。その後、新しい王冠を頭にのせたソロモン王は正しい裁きを下す王として国内に知れ渡り、イスラエルの都エルサレムに荘厳な神殿を建てた王としてその名を国外にまで轟かせるようになりました。それでも王様は高慢になることなく、謙虚で凛としていたといいます。シクラメンのおかげでしょうか。こうして王様は全ての者から愛されて亡くなりました。その時ソロモン王の死を一番悲しんだのがシクラメンだといいます。
参考)この伝承にはいくつかバリエーションがある様です。イスラエル人のヨハイ・コレム氏の草花サイト、と著書「All About Jewish Holidays And Customs」By Morris Epstein(page 45)を参考にしました。