以下はイスラエル国のペレス大統領が、去る1月27日にアウシュビッツ強制収容所解放65周年記念日に、ドイツ連邦議会(下院)で演説したスピーチです。ペレス大統領の齢(86歳)を考えると、渾身の力を振り絞った、歴史的スピーチだったのでは。そこで私自身の理解のためにも和訳してみることにしました。長いので数回に分けてアップします。訳文を通して彼の心痛を理解し、心底にあるものを少しでも汲み取れたらと願います。
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私の心は、ぞっとするような過去の記憶で今も痛み、同時に私の目は、新しい未来を、憎しみから解かれた世界をはるかに見ています。
そこは「戦争」や「反ユダヤ主義」がすでに死語とされた世界です。
何千年も我々と共にあったユダヤ教の伝統に、死者を悼(いた)む時にささげるアラム語の祈りがあります。死者とは先立って逝った我々の父たちであり、母たちであり、兄姉たちです。
憶えば、優しい腕に抱かれた幼子らはそれぞれ母達の腕からもぎ取られ、ガス室へ押し込まれていきました。そのガス室からは煙が上がり、父たちは我が子のおぞましい最後をそこに見、恐れおののきました。この追悼の祈りを誰も捧げることさえできませんでした。
ですからここに列席された皆様、この機会に、私はこの祈りをささげることにします。600万人の灰となったユダヤ人ひとり一人を心にとめながら。
私の友、ドイツを代表する皆様、指導者の皆様、聴いて下さい。今、ホロコースの生存者たちはイスラエル国で、世界の各地で、自分たちの最後を迎え、次々にこの世を旅立っています。その生存者数は日に日に減少しています。
時を同じくし、(ユダヤ人)撲滅という地上で最も憎むべき業に関与した者たちが、未だドイツとヨーロッパをはじめとする世界各地に(なんの裁きをうけないまま)生存しているのです。
私の願いは、こうした人間が正しい裁きを受けるために、皆様が義なる労を惜しまないで欲しいということです。
これは我々の目に「復讐」として写るものではありません。これは戒めとされるべきです。今日の世代の若者はどこに住んでいても「ゆるされた環境」の中にいます。だからこそ、彼等にとりこれは絶対に忘れてならないものにしなければなりません。つまり過去に何が起きたかを知り、平和と和解と愛以外にとって代わる手段がないように、つまり如何なる手段を用いてもその同じ過去が繰り返されないように、そのための戒めとなるべきです。
この日、アウシュビッツービルケナウ強制収容所(写真)の大地に、大量の血が流され(遺)灰がまかれたことを覚え、この焼却炉跡地からは(追悼の)煙が今後も昇り続けることでしょう。
1945年1月27日、世界はこの事実に目覚めました。遅すぎましたが。つまり600万人のユダヤ人が消滅した事実にです。
ただ我々だけが、凍結した地面の下に深く押し込まれた細き声に、耳をとめています。その声は耳をつんざく(死者たちの)悲鳴でしたが、今は受動的で静かな天国へとあげられていきました。
今日は死者を追悼するだけの日ではありません。想像を絶する残虐行為に直面し、人間が自らの良心を痛める日です。また人類が(正義の)行動を先延ばししたことによって生じた悲劇を心に刻む日です。
それは、世界で燃え上がる炎にあまりにも不注意だった点、殺人マシーンと化した化け物を何日も何年も野放しにしてしまった点から学ぶ、そういう日です。
(解放日からちょうど)三年前の1942年1月20日、ここからそう遠くない美しい湖畔にあるヴァンゼーの別荘(写真)で、ラインハルト・ハイドリヒ(ユダヤ人大量殺害を工業的に行うことを推進した男)率いるナチス高官と幹部の集団はヴァンゼー会議を開き、「ユダヤ人問題における最終的解決」(=ユダヤ人虐殺政策)を決定しました。
全ヨーロッパのユダヤ人がです。ソビエト連邦、ウクライナ、ポーランド在住の300万人を初め、小国アルバニアに居たわずかユダヤ人200人までも狙われました。延べ1100万人のユダヤ人が(大量虐殺の)対象になったのです。
ナチス党は手抜きなき仕事(殺戮)をやりました。ヴァンゼーからアウシュビッツに至るまで、ガス室から焼却炉に至るまで、実に効果的にやったのです。
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