アウシュビッツ収容所解放65周年記念日における、シモン・ペレス大統領の演説(その3)です。(翻訳: sunny+k)
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私は、我々ユダヤ人が邪悪なナチスの「第一の敵」とされたことを誇ります。
私は、イスラエルが復活したことを誇ります。(この国の存在そのものが)地上からユダヤ民族を抹消しようと企てたことに対する(我々の)歴史的倫理的応答なのですから。
そして私は、多くの民が、地上から狂暴性、悪、又は残忍性を根絶しようと立ち上がっていることを神に感謝しています。
ホロコーストは我々の記憶と人類の歴史から消されてはいけません。これは決してあいまいにされてはいけない、永久に残すべき教訓です。このことを通して、命の尊厳、人間の平等性、自由、そして平和が、これから先も法的に擁護されなければなりません。
ナチスドイツのユダヤ民族撲滅(勢力)を、人類の過去と未来を飲み込むブラックホールの様に考えてはいけません。健全な心と希望と命を持って立とうという時、その穴につまづいてはならないからです。
そこで私は自問自答します。ヨーロッパのユダヤ人社会はどの部分を優先して記憶に留めるべきかと。焼却炉で焼かれたあの部分の歴史の方か、それともホロコースト以前の古き良き時代の方かと。
ここに600万人の犠牲者の声を集めることができたら、それらの声は我々(残されたユダヤ人)にひたすら前を見て進むようにと言うはずです。それらの声は、
「我々の分まで生きて我々とは異なる終末を迎えてくれ。」
「我々が失ったものを取り戻し、新しい創造をしてくれ。」
とエールを送ってくれるにちがいありません。
戦前のドイツ・ユダヤ社会はドイツ国家を賢明に支えていました。文化、サイエンス、経済とドイツを代表するあらゆる面において役立つ働きをしてきました。況して、人口比率でいえば低い少数派のユダヤ人達が、全ドイツ社会に広く貢献していました。
ヨーロッパ全体を視野に入れるならば、ユダヤ人は、2千年に及ぶヨーロッパの前進を後
ユダヤ人の高い貢献度の背景には、民族迫害の歴史が考えられます。(ユダヤ人達は)迫害を逃れて国から国へと移り、寄留した先で新しい言語と学問を身につけました。そのお陰で、ユダヤ人のある者は医者に、ある者は文学者に、ある者は科学者に、ある者は芸術家になったのです。特に(黄金時代の)ドイツでは多くのユダヤ人がドイツを拠点に世界的に顕著な働きをしました。
ユダヤ人居住区やゲットー出身の人間が、人並み以上のビジョンを持ち、新しい発想で社会に貢献していった、そんな現実があったことを知るだけで私は身震いしてしまいます。中産階級の出身者であれば、ユダヤ人でも大学の門をくぐる事もできました。さてここで幾人かの著名人をあげてみることにします。
ヴァルター・ベンヤミン(文芸評論家:写真右6)。
この一様でない面々に共通するものはなんでしょうか。あるとすれば、思想界に影響を与えたという点とモダニズム(近代化)に貢献したという点でしょう。彼等はそろっておのおのの独自性を活かしてヨーロッパをはじめ世界中の人々を啓蒙してきました。
(古き良き時代が過ぎるたびに)我々に残る教訓が「ネバー・アゲイン!(二度と繰り返すな)」という決まり文句(=教訓のことば)です。いわば今日、民族差別思想に対してネバー・アゲイン! 民族優越主義に対してネバー・アゲイン! 神否定とホロコースト否定、人権法の無視、また虐殺に対してネバー・アゲイン! 冷血な独裁者、民族虐殺を推進する扇動政治家に対してネバー・アゲイン! そう我々は声を大にするのです。
特定の人種や民族を抹殺せんとして世界を脅かす動きは、正気とは思えない精神を持って不真実を語る、そういう者が大量殺人兵器を保有しはじめた時、疑いなく見えてきます。
第2のホロコーストを引き起こさないために、我々は子供たちにもっと教育しなければなりません。民族間の平和な関係づくりを目指して他者を敬うようにと教えていかねばなりません。お互いの文化と、人類共通の価値観を大切にしようではありませんか。常に新しい気持ちで十戒と向き合おうとする精神を大切にしようではありませんか。
特定の人種や民族を抹殺せんとして世界を脅かす動きは、正気とは思えない精神を持って不真実を語る、そういう者が大量殺人兵器を保有しはじめた時、疑いなく見えてきます。
第2のホロコーストを引き起こさないために、我々は子供たちにもっと教育しなければなりません。民族間の平和な関係づくりを目指して他者を敬うようにと教えていかねばなりません。お互いの文化と、人類共通の価値観を大切にしようではありませんか。常に新しい気持ちで十戒と向き合おうとする精神を大切にしようではありませんか。
2 コメント:
先月拝読後に感じたこと、sunny&kさんの意図から外れるかも知れませんが、を少しお伝えしたくて。
私達が生まれ育つ国、地域の空気(気体という意味ではなく精神的な体質?みたいな?うまく言えませんが)、意識、無意識にある傾向等が、どんなに私達に深く大きく影響するかということをしみじみ感じました。現代の世の、ネオナチの立場、主義を取る人たちは、自ら選んだ訳ではなくてもそのように影響されて成長して来たかも知れない。そう考えると哀しみを覚えます。神さまは、決して人を人種その他のために憎んだり、迫害したりすることを望んではいらっしゃらないのに。「互いに愛し合いなさい」というイエス・キリストの命令が時には、場合によってはどんなにか困難で、不可能に見えることか。
ペレス大統領の言葉に、深い痛みと悲しみと、背後の怒りを感じます。私には、祈りの手を挙げることならできるから、この手を挙げ続けることができるよう、愛に満たし、信仰を強めていてくださいと祈ります。
RUTH
Ruthさん、
コメントをありがとうございます。
私もキリストの「互いに愛しなさい」という勧めの難しさを、イスラエル、中東、日本、又世界の現状を見る度に感じます。特にイスラエルではキリストの時代から今日までこの勧めを行動に移したいところでしょうが。愛の実践は何人にも言うは易し行うは難し、なんですかね。ペレス大統領の心痛と人間の愛の狭さを知らされた上で、私達はどのように行動すべきなのでしょうか。Ruthさんと同様の「祈りの手」がユダヤ人に対し、また自らにも対し、あちこちで挙げられていくといいですね。
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