個人的には今年のクリスマスも前年通り静かに流れ去っていきました。ユダヤ人の友人たちからは「ベツレヘムへ巡礼に行くのか」とか「クリスマスツリーは家に飾っているのか」などと聞かれました。が、今年も私の返答は「行きません」「飾りません」とあっけなく終わります。別にクリスマスをボイコットしているわけではありませんが。休日のないイスラエルでクリスマスに外出するのも、どこにも売っていない“ツリー”を探すのも無理だと思いませんか?
年間を通じて観光客を呼び寄せるベツレヘム市の人口は、12月24日にピークを迎え、この日、3万2千人の住む同市の人口が観光客や巡礼者で1.5倍に膨らみました。今年はクリスマス・ロックコンサートまで開催され、実に物見高い群衆で賑わったようです。市民はこの時とばかりにクリスマスを売り物にして商売に大忙し。今年はベツレヘムのホテル業界も顔がほくほくだったとか。今年もミサやコンサート、建物と装飾品、光のイルミネーション、ミサ参列者の顔ぶれ(アッバス議長とか)、そしてサンタクロースまでも宣伝材料にして、ベツレヘムの観光業界は集客率を上げるために躍起になっていました。業界としては成功したようですが、国民の多くはベツレヘムのクリスマス・フィーバーぶりにはそんなに関心がないようでした。
エルサレムは更にベツレヘムの空気とは異なります。この街ではキリスト教関係施設以外の公の場でクリスマス祭を体験することはありません。一部のユダヤ人のみがキリスト教徒たちに気を配り「ハグ・サメアフ(良い祭日を!)」と声をかけ、キリスト教徒たちもユダヤ人たちに気を配って「メリークリスマス!」とはあえて挨拶をせず、その場の空気を読みながら臨機応変に対応している感じです。イスラエル特有の宗教的断絶感を味わうには、クリスマスの時期にベツレヘムではなくエルサレムを訪れるのがベストかもしれません。
ただ例外として、今月25日に開催されたYMCAのクリスマス集会や旧市街内のルーテル教会の礼拝には多くのユダヤ人達が出席した様です。ユダヤ人女性のあるブロガーが写真付きで記事にしています。私もこうした市内の集会の一つに出席してきましたが、そこも会衆の四隅からヘブル語を話す声が聞こえてきて、エルサレムには不似合いな雰囲気に驚きました。これらのユダヤ人達はメシアニック・ジューでも正統派ユダヤ教徒でもなく、世俗派で無宗教のユダヤ人だと思います。もしくは平和主義者の左派だと思いますが。「メリークリスマス」の挨拶一つで政治的宗教的ニュアンスを帯びやすいエルサレムにも、好奇心旺盛な変わり者のユダヤ人たちがいるということです。
実際、彼等の中からキリスト教への理解を示すユダヤ人が増えれば、又その逆も増えれば、エルサレム住民とベツレヘム住民は(つまりは世界のユダヤ教徒とキリスト教徒が。またはパレスチナ市民が)お互いに行き来しやすくなるでしょう。そう考えた1人にシモン・ペレス大統領を挙げておきましょう。去る12月23日に、世界平和を願うペレス大統領はクリスマス祭を祝う世界のキリスト教徒たちに祝賀挨拶を述べました。国内テレビでではなくインターネットででしたが、その挨拶はエルサレムから世界へ向けて配信されました(視聴したければココをクリックして下さい)。挨拶の言葉は「皆様にクリスマスのお喜びを申し上げます。来る年は平和の年、兄弟愛を分かち合う年、寛い心で受け入れる年、繁栄の年になりますように。そう共に祈ろうではありませんか。」という内容で述べられていました。ガザ戦争から一年を経て2010年に向うイスラエルとしては、当然あるべき祈りでしょうが、大統領はこの祈りを世界のキリスト教徒たちと分かち合いたいということでしょうか。
祈り)雰囲気のみで「メリークリスマス」と口にする世界に、大統領が祝賀挨拶に込めた思いなどあっさり聞き流されてしまうのではないでしょうか。又エルサレムのような、気心知れた者同士だけで隠れてクリスマスを祝う世界では、政治家たちの挨拶などリップサービス程度に聞こえるのではないでしょうか。“それでも”多くの者がクリスマスに平和と希望を願ったのなら、その願いが来年も保たれていきますように。それを願った者たちが主体的に平和をつくっていけますように。
にほんブログ村
0 コメント:
コメントを投稿