2009年4月28日火曜日

戦没者追悼記念日「ヨム・ハジカロン」


今日はイスラエルの独立のために戦い、命を失った兵士達、戦没者たちを追悼する日です。













下記は駐日イスラエル大使館の説明と東京で持たれる式典のアナウンスです。


イスラエル独立記念日(本年度は4月29日)は、毎年ヘブライ暦イヤール月5日に祝われ、イスラエル国の建国を記念するものです。また、独立記念日を祝う前日は、イスラエルの独立と存続のために命を捧げた多くの人々を思い出し、建国のために支払われた代償の大きさを国民全体が思い起こす「戦没者記念日」と定められています。イスラエル本国では、27日夜8時より全国で1分間のサイレンと共に一斉に黙祷を行い、この時間から追悼のためのさまざまな行事が始まります。

東京では、戦没者記念日式典を2009年4月27日(月)にイスラエル大使館に於いて執り行う予定です。詳細についてご関心をお持ちの方は、大使館広報室までメールでお問い合わせください。」


聖書の言葉:

「見よ。彼らの勇士はちまたで叫び、平和の使者たちは激しく泣く。」(イザヤ書33章7節)


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2009年4月24日金曜日

「ハティクバ:希望」






来週火曜日は、同胞のために戦




い、戦死したユダヤ人兵士たち




を偲ぶ戦没者記念日。そして翌




日の水曜日は、イスラエル独立




記念日です



先週のホロコースト記念日から




来る独立記念日にかけて、イス




ラエル国内のあちこちの式典で




必ず流れるのが国歌です。この




国歌は曲調はしんみりとしてい




ますが、数々の迫害を乗り越え




たユダヤ人には希望を与える歌




で、曲名も文字通り「ハティク




バ:希望」となっています。



この「ハティクバ」は国歌とし




て指定される前は、つまりイス






ラエル国家建国(1948年)の半世紀前は、この地への帰還を夢見るユダヤ人




(シオニストたち)の間で歌われていた彼等の愛唱歌でした。日本では学校など




での国歌斉唱は個人個人の歌詞解釈で堂々と歌えなかったり、歌わなかったりも




する様ですが、イスラエルでは、日本がオリンピックやサッカー等のスポーツ・




イベントで国歌を斉唱するように堂々と、それもいつでもいかなる場所でも心か




ら「ハティクバ」を歌います。ユダヤ史と建国後の近代イスラエル史を知る者に




は、心にジーンと来る歌です。



YOUTUBE視聴はここをクリック

以下が「ハティクバ」の私訳です。

ーーーーーーーーー

いつでも我々の心の深いところに、




ユダヤ民族のネフェシュの渇きがある。*




そして遠い遠い東方の岸へ、 **





シオンへ、我々の目は向いている。



我々の希望はまだ失われていないー




この2千年間の希望は。




それは我々がこの土地で自由の民となること。




このシオンの土地、エルサレムにおいて!
ーーーーーーーーー
※ネフェシュの聖書的原意は、のどの渇き。今日のヘブル語では魂や生命を指します。ユダヤ人の心の深いところにあるネフェシュ(のどの渇き)は、単に水を欲する渇きではなく、聖書の神に向けられた彼等の訴え、叫び、願望、祈りなどを含んだ心の渇きをも意味します。

※※東は聖なる方角です。エルサレムにある神殿の正門(通称、黄金の門)は東側に開かれています。ユダヤ人の間では昔から、メシアが到来した際、この門から神殿に入ると信じられています。メシアが神の神殿に入られた時から、メシアの平和な統治時代が始まるとも信じられています。
祈り)「ネフェシュの渇き」は、ユダヤ人以外にも、可視的世界(現実社会)に




限界を感じる者、自己のアイデンティティーを探求する者、非可視的世界(私た




ちの心、精神世界、神との時間や空間など)になんらかの希望や平和を求める者




になら、誰にでもある、共通の渇きなのでは。その一人一人の心身の渇きを潤す




ために、ハティクバ(希望)の水が注がれますように。
聖書の詩篇125篇1〜2節:「主に信頼する人々はシオンの山[神殿の丘。モ




リヤの丘]のようだ。ゆるぐことなく、永久にながらえる。山々[神殿を囲む




山々にはオリーブ山(東側)、天望山(北東側)、今日シオン山と呼ばれる西丘




がある。]を取り囲むように、主は御民[神の言葉を守り信頼する者]を今より




とこしえまでも囲まれる。」
おまけ)エルアル航空のコーマーシャルで流れた現代版国歌(←をクリックする






とYOUTUBEで視聴できます。なかなかいいですよ!)

2009年4月21日火曜日

「ベルリン38」ホロコーストの歌

昨晩から今夜にかけてもたれたホロコースト記念日は、エルサレムに厳かな空気を運びました。ジュネーブでは、現在開催中の第2回ダーバン会議においてイランの大統領がホロコーストを否定したために、エルサレムとはまったく異なる空気に覆われています。さて今日のエルサレム市民は、ホロコーストで亡くなった600万人の同胞を心に留めて黙祷をささげました。ですから、このブログを閲覧して下さる方々も、エルサレムとホロコーストを心に留めて600万人の犠牲者のためにしばし黙祷して頂けるでしょうか。とお願いしても難しいかもしれませんから、こういうホロコーストの曲をご紹介します。YOUTUBEで曲と映像を通してホロコーストを考えるだけでも、人として生かされている理由を思いめぐらす時間がもてるのでは‥‥。



曲のタイトルは「Berlin 38: Next Year In Jerusalem(ベルリン38:来年はエルサレムで会おう)
」です。英語の歌詞にメッセージが込められているので、下記に訳してみました。


YOUTUBE(ここをクリックして視聴)
——————————
Berlin 38: Next Year In Jerusalem [訳:sunny]


当時俺は25歳だった——1935年のベルリンでだ。
そこに俺は小さな店を構えていた。
あの戦争がもう間近に迫っている頃だった。
ちょうどその頃、俺はレベカに出会った。
彼女の笑顔は最高だった。
俺は彼女を愛した。
そして彼女も俺を愛した。
未来は俺たちのためにあった。


そうさ俺たちは結婚して、間もなくヨセフとサラが生まれたんだ。
授かった子供たちを、俺たちは心から愛した。
そう、俺たちの夢は叶った。


だが日ならずして暗雲が立ち込めた。
俺にはその現実が分からなかった。
単純に何も見えていなかった。もっと見えていたらよかったのに。
しかしあの時の俺には見えなかったんだ。


*ダビデの星の下で、俺の心臓がふるえ動く。
 あの星は俺を見ているんだ。
 来年はエルサレムで会おうじゃないか。
「来年こそ」はエルサレムで会おうじゃないか。


真夜中に、俺は町の騒音で目が覚めた。
なにやら外で人が叫(わめ)いている。
奴らは騒々しく階段を駆け上がってきた。そして家の扉を殴り叩いた。
扉を開けたとたん、銃を突きつけてきた。
情け容赦も無かった。
奴らは大声で「直ちに出て来い」と命令した。


家族でスーツケース一つ。それだけだった。


「今すぐ行くぞ!」

俺たちは階段を下りた。
ヨセフがぐずった。間髪入れずに奴らは息子を蹴った。
幼子は倒れた。
息子はまだ三歳だった。
俺は息子の体を起こし、俺の腕に抱いた。


奴らは俺たちを汽車に乗せた。
家畜のように汽車につめ込んだんだ。
レベカは俺の手を固く握って、告げた。

「わたしたちは一緒よ。
 何が何でも一緒よ。」


〜間奏〜


俺はこれからのことをどう語ればいいんだ?
だって俺たちがそこに到着(つ)いたとたん、
奴らはレベカと子供たちを、俺から切り離したんだぜ。


俺たちは皆泣き崩れた。
レベカは俺の目を見詰めた。俺は彼女のあの目を生涯忘れまい。


彼女は叫んだ、
叫び続けた「子供たちはわたしがまもるわ。」って。
そして俺の愛する家族は皆、俺の前から消えた。
消えていなくなったんだ。


*来年はエルサレムで会おうじゃないか。
「来年こそ」はエルサレムで会おうじゃないか。


〜俺たちは決して忘れてはならない。
 忘れることなどできない。
 ダビデの星の栄光のため。
 俺たちは決して忘れてはならない。

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2009年4月19日日曜日

ヒットラーの誕生日、ホロコースト記念日、第2回ダーバン会議

日本の学校や企業で新年度が始まり、新しい風が吹き始めた頃、イスラエルでは宗教暦のお正月やペサフを迎えて春を楽しんでいます。又イスラエル政権は4月から新しくなり、首相もオルメルト氏からネタニヤフ氏に移行し、イスラエルには新しい風が吹き始めました。国内の政治経済においても、草花に笑顔を運ぶ春風が吹くことを願います。しかし明日4月20日の日没から21日だけは、春風が一瞬止まるのかも‥‥。イスラエルではこの日がホロコースト記念日だからです。この日は例年、ラジオの音楽番組は悲しい曲のみを流し、テレビではホロコースト関連の特集が組まれ、一日中シンミリとしています。この日は、日中のメランコリックな音楽やテレビ番組のせいで、鬱になったり、その晩に悪夢を見てうなされる子供たちが毎年いると聞きます。(写真:エルサレムの神殿の城壁にけなげに咲く野花)


今年はスイスのジュネーブで開催される世界会議の内容によりますが、大人にとっても暗い日になりそうです。明日からスイス国ジュネーブ市において4日間にわたり、第二回ダーバン会議[反人種主義・差別撤廃会議: 第一回目は2001年に南アフリカ共和国のダーバン市で開かれたことからこう呼ばれる。]が開催されるからです。

この会議は国連を軸にして、国際社会が人種差別の予防策や教育、被害者保護、救済、補償などを話し合うための会議です。2001年の同会議では世界150カ国から政府、NGO 関係者らが集まりました。この会議は「差別をなくそう」という南アフリカ共和国をはじめとする“世界各地の声”が国連を動かしてようやく形になったものです。しかし第一回会議の内容がこの呼びかけとは裏腹に差別的内容(特にイスラエル国に対して)だったため、当時の米国務長官のコーリン・パウエルが憤怒したことでニュースになりました。あの時は米国代表団とイスラエル代表団が会議の途中で引き揚げるという騒ぎになりましたが、今回は開催前にすでに、イスラエル、カナダ、イタリアがそれぞれボイコットを表明しています。アメリカも土壇場で昨日欠席届けを出しました。さて、この会議のどこに問題点があるのでしょうか。

一つは、議長国がリビア国、副議長国がイラン国であること。これに対しては世界ユダヤ人会議(WJC)のミカエル・シュナイダー書記長は「この会議は、主旨とは反対に人間の基本的人権を軽蔑する国々によって運営されている。」と批判しています。又エルサレム・ポスト紙は同会議への資金援助国に人権問題を軽視する国々を挙げています。同会議は例えば、サウジアラビア国から15万ドル、中国から2万ドル、イランから4万ドル、そしてロシアから60万ドルを受け取っており、同会議における差別に対する定義内容や声明に対して何らかの影響を与えていると考えられています。

もう一つは、同会議は、世界の様々な関連問題を取り上げるべき会議ですが、その主要問題としてパレスチナ問題のみが取り上げられているという点です。また指摘されている点はイスラエル批判を前提とした政治色の濃い内容です。同会議で大きな発言力を持つアラブ諸国は、世界に蔓延してきた反アラブ主義や反イスラム主義はイスラエルとシオニズムの仕業だと主張し、彼等こそ差別的、非人道的存在として認定すべきだと訴えています。(左図:これは今回のダーバン会議で「ダビデの星排除(=イスラエル排斥運動)」を勧める反ユダヤ的ポスターです。)

ちなみに4月20日は同時にアドルフ・ヒットラーの誕生日でもあります。第2回ダーバン会議を意図的にこの日と重ねているかについては議論できません。しかしイスラエル外務省で働くアビブ・ラズ・シェフター氏は背後にそのような意図があるのではと警戒しています。

祈り)明日から始まる第2回ダーバン会議では、人種差別の代表的な例としてホロコーストが覚えられますように。そして世界で最も人種差別の被害を受けた民族が、国際会議の中で「差別的で非人道的だ」というレッテルが貼られてしまうことがありませんように。またこの日がホロコーストを追体験する子供達に失望と恐怖をもたらす日ではなく、明日への希望を約束できる日となりますように。もしくは神自らの御守りを確認できる日となりますように。

風刺画と関連記事)この風刺画は今年3月にニューヨークタイムス紙に掲載されたガザ戦争の風刺画で、パット・オリファント氏[Pat Oliphant] が描きました。オリファント氏の風刺画は現在世界で活躍するイラストレーターの風刺画の中で、最も影響力があると言われています。その彼のガザ戦争の風刺画は、イスラエル国防軍を「頭と心の無いナチス」に、ダビデの星を「モンスター」に見立てており、米国ロサンゼルス市にあるサイモン・ヴィーゼンタール・センター(イスラエル・ロビー団体)から批判され注目を浴びました。
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