2010年5月14日金曜日

エルサレムの呼称いろいろ

去る水曜日はユダヤ暦でイッヤル(Iyar、別称ジブ)の月の28日で、ヨム・イェルシャライム(エルサレム・デー:写真)という祝日でした。この祝日は宗教祭ではありません。1967年の六日間戦争(第三次中東戦争)後エルサレムが再統一されたことを憶える記念祭です。エルサレム旧市街 は1948年5月14日のイスラエル建国後間もなく(半日後)はじまった独立戦争(第一次中東戦争)を経て、ヨルダンに占領されてしまいました。新市街を含むエルサレム市は分離壁によっ て東西に分割されてしまいました。六日間戦争でイスラエルが勝利したことに よりそれらの分離壁は崩され、エルサレムは統一されました。建国日からユダヤ教徒が待望した聖域(神殿は崩壊したので現在は嘆きの壁が聖域とされている)での礼拝と祈祷は許されず、待つこと19年が過ぎていきました。

エルサレム・デーはユダヤ教徒ら(特にこの日は宗教的シオニスト達)には、嘆きの壁での礼拝を喜ぶ日です。今年も各地のイェシバーの学生たちがエルサレムに集結して派手にお祝いしました。宗教祭以外認めない超正統派でさえ、(聖書ではなく)国が定めたエルサレム・デーだけは例外的に認めている様ですが、世俗派と肩を並べて輪にになって踊る姿は今年も見られませんでした。「エル サレムは常に我々のものであり、二度と分割されることがあってはならない。」エルサレム・デーの挨拶をネタニヤフ首相が述べました。この演説内容は昨年同様でした。
ユーチューブで見る「エルサレム・デー」:ここをクリック

ナザレ人イエスの預言的ことばによると「異邦人の時の終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされる」(ルカによる福音書21章24節)ことのようです。その「異邦人の終わりの時」はいつどんな時かは判りませんが、エルサレムは歴史の上では確かに踏み荒らされてきた都でした。
その歴史を踏まえた、イェフダ・アミハイの詩をひとつ紹介しましょう。
訳:村田靖子
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この都市(まち)は名前でかくれんぼ。
イェルシャライム
アル=クドゥス
サラム
ジェル
イェル
闇のなかでささやく——イヴス イヴス イヴス。
切なる憧れをひめて泣く——エリア・カピトリーナ  エリア エリア
夜 ひとり 彼女の名を呼ぶ男なら
だれのもとへでもくる。
でも ぼくたちは知っている
だれが だれのところへくるのか。

訳者の注解:エルサレムには数多くの名前がつけられてきた。時代により、支配者により名称を変えられてきたエルサレムは、今も二つの名前を持つ。イェルシャライム(ヘブル語のエルサレム)とアル=クドゥス(アラブ語:聖なる都)。
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聖書に667回(タナクのみ。新約聖書811回)登場するエルサレムは、以下のようにも聖書で呼ばれています。

サレム[創世記14章18節]、
シオン[詩篇137篇1節はじめ、聖書に154回登場]、
モリヤ[創世記22章2節]、
アドナイ・イルエ[主は見られる:創世記22章14節]、
アリエル[神のライオン:イザヤ書29章1節]、
ベトゥラ[乙女:哀歌1章16節]、
キリヤ・ネエマナ[忠信な都:イザヤ1章25節]、
ガイ・ヒザヨン[幻の谷:イザヤ22章1節]、
キリヤ・アリザ[喜びの町:イザヤ22章2節]、
キリヤト・ハンナ・ダビド[ダビデが陣を敷いた都:イザヤ29章1節]、
ドゥルシャ[後追いされるもの:イザヤ62章12節]、
ギラ[喜び:イザヤ65章18節]、
ツル・ハミショル[平地の岩:エレミヤ21章13節]、
ネヴェ・ツェデク[正義の住みか:エレミヤ書31章22節]、
キリヤト・メレフ・ラヴ[偉大な王の町:詩篇48篇2節]、
イル・ハ・エロヒーム[神の都:詩篇87篇2節]、
イル・ハ・エメット[真実の町:ゼカリヤ書8章3節]、
イェブス[士師記19章10節]、
キル[町:エゼキエル13章14節]、
オホリバ[女に内在する私の幕屋:エゼキエル23章4節]

ざっと20程挙げてみましたが、こうしたエルサレムの詩的、描写的名称は聖書にまだまだあると言われています。ちなみにクルアーン(イスラム教の聖典)には「エルサレム」の名は一度も出てきません。

参考:Jewish Agency for Israel: Names of Jerusalem







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