2010年2月9日火曜日

アウシュビッツから65年:ペレス大統領の心痛と心底(その2)

前回の続きです。アウシュビッツ収容所解放65周年記念日における、シモン・ペレス大統領の演説です。
(翻訳: sunny+k)
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ドイツ各地の選ばれた閣僚と代表者の皆様を前に、今私は、ユダヤ人の国、ホロコーストを生き延びた者の安住の地、イスラエル国を代表してここに立っています。

私は自身が高踏的で逆に落とされやすい微妙な立場に立たされた者であるが故に、身を低くして申し上げます。(同様の重要な役職につく)皆様も今私の云わんとしている事を理解し、私の立場を考慮して下さることをひたすらにお願いします。

私の目に今でも映し出される心の光景があります。それは私が深く尊敬する人物ラビ・ツビィ・メルツァー、ハンサムで威厳に満ちた私の祖父の姿です。この私が祖父の最愛の孫とされていたことは、本当に幸せでした。

祖父は私の人生の導き手であり助言者でした。そしてこの者にトーラーを教えてくれた人物でした。彼は白い髭と黒い眉毛が印象的で、私の故郷ベラルーシのヴィシェンニェフ市のシナゴーグ(ユダヤ教会堂)でラビをしていました。私の目には、祈る会衆に紛れ込み、タリート(祈祷用のショール:写真)で顔を覆う祖父の姿が常に映ります。その祖父のタリートの中に私も入り込み、彼の落ち着いた深みのある声に耳を傾けると、それだけで心気充実してくるのです。あのヨムキップールに吟唱する祖父のコル・ニドレイ*)は私の耳に今もこだましています。我々の信仰では天地万物の創造主が人の生死の一瞬一瞬を定めている、と私は(祖父の声を聴きながら)そこで信じとるのです。(*ユダヤ教の信仰に回帰する際にヨムキップールで捧げる詩で、その内容は、今まで果たせなかった人間的誓いを神に許して頂くというもの。

祖父は、当時11歳で駅のホームに立つ私を見送ってくれました。あの時の光景は忘れられません。あの日あの場所で私はイスラエルの地へ旅立ったのですから。祖父は私を強く抱きしめ、こう言いました。「我が子よ、常にユダヤ人として生きるんだぞ。」それが祖父の口から聞く最後の言葉となりました。そして汽笛は鳴り、列車は動き出したのです。私は祖父の姿が視界から消え去るその間、ただ彼だけを見つめていました。あれが最後の別れとなりました。

間もなくナチス党がヴィシェンニェフの街に押し寄せ、祖父のシナゴーグの会衆全員が強制連行されました。祖父と彼の家族は行列の先頭に立たされ、私がよく入り込んだあのタリートで祖父は自身の体を覆いました。シナゴーグは完全に閉ざされ、木造建だったそこには火がつけられると、ほどなくして街の全ユダヤ人地区は灰と化していきました。この街で生き延びたユダヤ人はゼロです。

痛みをもってホロコーストと向き合うということは、人間の魂の最も深い部分に問い続けることです:
内在する悪は人間のどの部分の深みに横たわっているのか。
高度の文明と知恵を授かった民族(ゲルマン人のこと)はなにゆえに見過ごしたのか。 
あの残虐性をいかに分類したらよいのか。
「モラルの羅針盤」(カトリックのこと?)はいつまで「沈黙」を指し続けるのか。 
何故、人は理性的な熟慮を欠いてしまうのか。 
何故、ある民族が他の民族より優秀だったり劣等だったりするのか。
又、未解決の最終問題といえば「なぜナチスはユダヤ人の存在を最大に恐れ、危険視したのか?」でしょう。

なにが彼等を、あらゆる資源と巨財を投じてまで「ユダヤ人殺し」へと駆り立てていったのですか? 自分達の敗北が地上線に見えてきても、彼等の(ユダヤ人殺しという)ねらいが挫かれず続いたのは何故ですか?

“ユダヤパワー”なるものが(新聖ローマ帝国から)千年も続くドイツ帝国の繁栄に歯止めをかける危険性があったというのですか? 受難の民が、圧制者の革長靴で蹴られながら、殺人マシーンと化したナチス党にどうして逆らえるのですか。 ヨーロッパ・ユダヤ人社会に、いくつの軍事組織が在って、処分されたたというのですか? 戦車や戦闘機や銃は見つかりましたか?

まるで狂犬病にかかったようにむき出した嫌悪を、「反セム主義」という言葉で単純に表現することなどできません。良く使われる表現ですが。この一言では、ナチス政権のあの燃えるような感情と残忍性を含んだ動物的欲求、そしてユダヤ人撲滅への病的に執拗な行動を到底説明することはできません。

戦争の目的はヨーロッパの征服で、ユダヤ人の歴史(記録)を一掃するためではなかったはずです。ところがヒットラー政権にとり「我々ユダヤ人」は、軍事的ではなかったにせよ道徳的脅威と見なされたのです。全ての人間は神の御姿(かたち)に似せて創られ、万人は神の前に等しい、という我々の信仰は反対勢力に否定されたのです。

もし、ひとりのユダヤ人が自分自身を守りきれなかったとしても、その男が、それでも神の名を聖別し、神の要求を満たして人生を全うすることは可能です。なぜならユダヤ民族が誕生したその日以来、我々は如何なる時にも如何なる場所でも「汝、殺すなかれ! 汝、愛せよ、その隣人はあなたのようだ! 汝、平和を追い求めよ!」と神の戒めを受けてきたからです。これらの戒めを疑わずに実践したこの単純な男というのは、実は私が愛し尊敬してやまない私の祖父のことです。
ナチスは祖父を地獄へ送ろうとしました。祖父とその兄弟たちは生きたまま火で焼かれ、真っ黒い塊にされたからです。けれども彼等の魂まではそうはなりません。

ナチス党は我が民族を悪魔に見立てた宣伝映画を作りました。又、彼等の雑誌「Der Stürmer(“あらし者”の意味:写真)」を通して、我々に「寄生虫、ドブネズミ、伝染病」等とレッテルを貼り回しました。彼等は大衆が持っていた正義や慈悲という良心を取り去ろうとしたのです。

(その3に続く)
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