2009年11月27日金曜日

服部モーシェ氏:ユダヤ教のラビになった元キリスト教牧師

エルサレムの超正統派ユダヤ教徒たちで知らない人はいないこの人、服部モーシェさん。本名は服部信孝。以前はキリスト教の牧師だったという彼が、ユダヤ教に改宗し、その後ユダヤ教を若きユダヤ人達に教えるラビ(教師)にまでなったということでへレディーム(超正統派の呼称)の世界では有名人です。イスラエルにはユダヤ人男性と国際結婚し、ユダヤ教徒になった日本人女性は結構います。ところが結婚を介してではなく、1人の異邦人男性があくまで自主的に改宗した例は—それも奥様と同伴でという例は、服部ご夫妻を除いて他に例はないと思います。ちなみにモーシェ氏の奥様はチッポラという改宗名をお持ちで、聖書的で素敵なお名前です。服部氏の人生劇は御自身のブログ記事「ユダヤ教に真理を求めて」で紹介されています。というわけで、服部氏のブログ記事を読んだ私の感想を以下に記してみました。




  • ブログ内で服部氏は「改宗は宗教変えだけではなく民族変えも意味する」とおっしゃっています。その「民族変え」という表現と、そのために同氏が払った犠牲の大きさに私はユダヤ教への疑問と驚きとを抱いてしまいました。
  • もちろん服部氏が14歳の時に「神に会いたい」と願望したその熱いエネルギーは、キリスト教を経てユダヤ教の中で今日の彼を動かしているのだと察します。その探究心と決断力の大きさには圧倒されます。
  • しかし偶像礼拝者だからとお父様のご葬儀に出席するのを拒みつつ、その一方で、ご長男としてお父様の残された遺産を相続したというのでは「民族変えの法則」は全うされなかったことになるのではないでしょうか。
  • またお父様の残された財産の恩恵を受けて、数百万円もするトーラーの巻物をお買い求めになったのなら、たとえ「宗教がえ」をしても、日本のご家族(たとえ彼等から「あなたは他人です」と跳ね返されても‥。)と縁を切るのは残酷だったような気がします。
  • ユダヤ教は異邦人との結婚は禁じていますが、異邦人との接触や対話までをも禁じるのでしょうか。そうは思いませんが。
  • もし超正統派のラビでさえ(服部氏のように)インターネットを使用する時代になったのであれば、スカイプ電話やEメールによる交流は可能なはずです。
  • 私が心配してもしょうがないのでしょうが。お子様のいらっしゃらない服部ご夫妻のこれからや、ご親族や他の日本人との関わりについて考える時、私は「民族変え」という言葉を聞き流すことはできず、服部氏はとても重たい現実と戻ることのできない人生の狭間の中で日々を過ごしておられるのだろうと切に感じました。


祈り)服部氏と奥様が、又それぞれが日本に残してきたご親族が、人生の最後に「これで良かった。」と心から自分自身とお互いに告げることができたら。そんなことを心にとめつつ彼等の人生の祝福をお祈りします。


経歴)服部信孝。昭和35年、愛知県名古屋市生まれ。未熟児網膜症を持って生まれたため、現在左目は失明し、右目は強度の弱視である。東京神学大学卒。27歳で日本キリスト教団須崎教会(高知県須崎市)の牧師になり、その後日本キリスト教団名古屋桜山教会副牧師となる。任職の間悩み、イスラエルに渡る。即改宗手続きを始めた平成6年、一年以内で改宗のための勉強を終え、妻と共にユダヤ教徒になる。以降ユダヤ教の研鑽を積み、日本人初の超正統派ユダヤ教のラビとなる。エルサレム市在住。


参考)2007年5月31日付け:Ynet紙:ここにはラビ・ハットリ(服部氏)がトーラーを学んでいる様子が動画で紹介されています。2009年7月2日付け:www.vosizneias.com:これはニューヨークの正統派コミュニティー・ブログ。服部氏の写真をここから借用しました。服部氏のブログ「ユダヤ教に真理を求めて」。
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6 コメント:

匿名 さんのコメント...

シャローム

私も婚姻に関係なく自分の選択でユダヤ人になりましたが、モシェさん方や私以外にもいらっしゃいます。

『神とユダヤ人』『ユダヤ人とその同胞たち』にハラハを大まかに分けるとすると、不自然な決断ではないと思います。個々の接し方があるので、モシェさんとわたしのハラハの守り方は異なりますが。

「異邦人との接触や対話までも禁じる」というハラハはありません。

前々記事での、Jacob Teitel がメシアニック・ジューの家族を襲った件。彼は、メシアニック・ジューを、ユダヤ民族同胞と見ているのではなく、クリスチャンと見ているでしょう。
ユダヤ教内の各派でも、宗教にこだわっていない一般のユダヤ人の間でも、メシアニック・ジューをクリスチャンだと見ているのと同じように。
勿論、Teitel の行為、襲撃しようなどと考えるのは、凶悪な犯罪であり狂気だとおもいます。

sunny+K さんのコメント...

Sarahさんのおっしゃる通りで他にも自主的にユダヤ教徒になった日本人がいましたね。小辻節三氏(1899~1973)は神道、キリスト教を経て正統派ユダヤ教徒になった、WWII中のユダヤ人救済においては忘れてはいけない人物ですよね。服部氏のようにラビにまでなった人物ではありませんでしたが。
今回は「民族がえ」という視点で1人の人物の改宗記事を取り上げてみました。ユダヤ教の世界で生きるために、民族替えを決意する異邦人がいたり、決して自ら「民族がえ」をしたつもりではないのに(Sarahさんが指摘された様に)同胞から異邦人扱いを受けてしまうユダヤ人もいます。聖書時代も今日もその部分がユダヤ社会の複雑でユニークな一面をつくっているのではないでしょうか。

yuki さんのコメント...

シャローム
宗教とはスピリチュアルなことで、健康なスピリチュアリティというのは、自分が何処から来てどこに帰属しているのかが自分でわかっていて、それを受け入れていることだと思いますが、(WHOの健康の定義にも、スピリチュアリティという項目がありますね)
日本人としての自分の民族性、家族を「捨てる」というのは、もっともスピリチュアリティに反することで、現実逃避か狂信としか思えませんね。違う問題が根底にあるような気が致します。

日本人が自主的にユダヤ人になった事例は、
「日本人の知らないユダヤ人」の著者石角完爾(いしずみかんじ)さんがいらっしゃいますね。奥様も改宗されました。
石角さんの場合は、国際弁護士としての立場からとても現代的で多く共感できるものがあります。
健康なスピリチュアリティに基づかない宗教は危険だと感じました。

sunny+K さんのコメント...

Yukiさん、コメントをありがとうございます。
石角完爾さんの「日本人の知らないユダヤ人」は面白そうですね。まだ読んだことがないので、取り寄せて読んでみることにします。石角氏は改革派ユダヤ教徒だと聞いています。なのでハラハー(ユダヤ法)の解釈は正統派とは違い、現代的で応用が効くようです。異邦人には理解されやすい方の解釈だと思います。しかしユダヤ教徒のスピリチュアリティを、ハラハーの解釈だけで論じて良いものか(たとえその解釈が非現実的だったとしてもです)。また1人の人間の帰属意識についても、何をもってそれが正統で健全かとするのか。そこは難しい点です。「誰がユダヤ人か」という問いよりも「何をもってユダヤ人とするか」という問いを扱っているので。例えば、どこに帰属しているのか分からなかったユダヤ人としては心理学者のフロイト、社会学者のマルクス、哲学者のスピノザや詩人のハイネなどがいました。その彼等が本当に民族性を捨てたのか、そのゆえに非スピリチュアルとされてよいものか。また聖書中のルツというモアブ人がユダヤ教徒になる物語(ルツ記)は「民族がえ」をテーマにしていたものか。もしそこに焦点を当てて読むなら、ルツの改宗が“現実逃避”だったのか、等等。スピリチュアリティの健全性を考える上でこうした問いに、どのように応えたら良いのでしょうか。

服部モシェ さんのコメント...

私のブログにご反応をいただきありがとうございます。 久しぶりにブログを更新しましたので、おしらせします。 私の近況報告にもなっています。 お立ち寄りください。

sunny+K さんのコメント...

服部モーシェさん(先生)、私の記事にコメントを頂き、恐縮しております。早速モーシェ氏の12月20付けのブログ記事を拝読しました。去る11月15日にお母様が焼身自殺をされた事、お姉様家族だけでご葬儀を済ませた事、その後モーシェ氏が日本へ“絶縁手続き”のために一時帰国された事など、その記事の内容に衝撃を受けました。私がモーシェ氏のご家族を思いつつ上の記事を書いていた丁度その頃、モーシェ氏は日本だったのですね。ブログを通してモーシェ氏と出会えて光栄です。
お母様が「以前から自殺未遂を繰り返していた」というのは、10年前にお父様が他界されてからのことでしょうか。お母様はよほど自信喪失感、絶望感、または自己嫌悪感のような感情を溜め込んで生きてこられたのでしょうね。これまで未遂で留まっていたのは「私を見て」というお母様流の訴えとも取れますが。ところが今回に限りお母様は、母として女性として、又ひとりの人間として生きることを止めてしまわれたーー灯油をかぶり自身に火をつけられたお母様を、私は深く悼み、表現しきれない深い闇を今見ています。ところでお姉様は大丈夫でしょうか。日本に残したお姉様家族とモーシェ氏のどちらがより孤独なのかは分かりませんが、私は「遣る瀬なさ」や「空虚感」みたいな感情が、モーシェ氏の甥と姪にまで連鎖しないようにとひたすら願う者です。モーシェ氏が「喪に服さず、お姉様家族と絶縁した」ことがもしラビ達のお勧めとハラハーによるのだとしたら、私は「超正統派の神は異邦人を全く憐れまないのですか」とラビ達に問いたくなります。モーシェ氏が14の齢にして「神はどこにいるのか」と訴えた疑問が、今もしお姉様の心にも同居しているならーー例えば「弟抜きで父と母の葬儀に独りで立ち会い、弟と絶縁までした、その過程と時空のどこに神はいたのか」というたぐいのーー神がひとりの異邦人モーシェ氏を憐れんで導いて下さった様に、お姉様を深く憐れんで下さいますように。神が女奴隷ハガルを憐れんで下さった様に。そして離れていてもお二人がお母様の分まで生きていけますように。勝手ながらお祈りしています。


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