2009年10月30日金曜日

外国人労働者の子供たち1200人の未来


10月から新学期が始まりました。イスラエルの学校年度は秋に始まり、来年の6月末に年度末を迎えます。小さな子供たちを持つ親達は、長い夏休みの後ようやく子供たちを幼稚園や小学校へ送り出すことができ、午前中の育児から解放されます。こうした時期に、今年はエチオピア系ユダヤ人の園児や小学生が、ある宗教学校から入園/入学を拒否されるというハプニングがありました。エチオピア系の親達は「人種差別だ」と市役所前で抗議し、その後受け入れ先の学校が見つかり、この件は落着しました。これに続いて問題視されているのが、外国人労働者の子供たちです。イスラエルで働く外国人労働者は、主にフィリピンから(他に中国やインドからも)です。彼等の多くは、1人暮らしの老人の家に住み込み、介護ヘルパーをして働いています。問題視されているのは、彼等ではなく、その子供たちです。外国人労働者の子供たちはイスラエル生まれのイスラエル育ちですが、中には無国籍で正規のビザを保有していない子供たちがいます。そういう子供たちが、イスラエル国内に1200人いると言われています。イスラエル内務省は、今年度末(つまり来年6月末)にこの子供たちをそれぞれの親の国籍保有国へ強制送還させると最近発表しました。


介護ヘルパーの恩恵を受けている老人たち、その多くはホロコーストの生存者たちですが、彼等はイスラエル内務省に抗議文を送りました。しかし内務省側は取り入ろうとはせず、子供たちへのビザ発行は、今の所ありません。この子供たちは来年の今頃には、親から離され、祖父母の国で人生をやり直すのでしょうか。もし子供たちの生活言語がすでにヘブル語だけなら、イスラエル外での生活は難しく、親と離れて生きることは子供たちの心に傷を与え、それが大きなトラウマとさえなります。年老いたホロコーストの生存者が、子供達に同情する気持ちが良くわかります。

祈り)内務省を動かしているシャス党は超正統派政党なので、外国人に寛大な処置が下される可能性は低いです。内務省の外国人労働者への扱いが再検討されますように。特に、イスラエルで生まれ育ったヘブル語を話す子供たちの未来を、たとえ外国人労働者の子供たちとはいえ、イスラエル政府が考慮してくれますように。
写真)外国人労働者の子供たち。手にするポスターに「Deported(追放された!)」との抗議文句が。しかし子供たちは自分たちの未来がどう転じていくか未だ知りません。
参考記事)10月12日付、Ynet 新聞
にほんブログ村 ニュースブログ 海外ニュースへにほんブログ村 海外生活ブログ イスラエル情報へ
にほんブログ村

2009年10月29日木曜日

中国系ユダヤ人7名、イスラエルに帰還

「僕の夢は正式なユダヤ教徒に立ち返り、正規のラビになることなんだ。」そう興奮気味に語るのは、先週念願の故国の地へ帰還した23歳のヤコブ・ワン君。彼を含む7人の青年達は、失われたイスラエル十部族の一族と考えられている中国・開封出身の中国系ユダヤ人です。写真はベングリオン国際空港に到着した時の写真です(撮影:Michael Freund)イスラエル到着後、一行が最初に訪れた場所はエルサレムの神殿でした。仲間の1人、ハング・シル君(24歳)は「信じられない!僕は何年間もずっと嘆きの壁を訪れたいと願って[エルサレムの]絵を描き続けてきたんだ。その夢が叶えられるなんて。」と万感の思いを語っています。


彼等はイスラエル内務省から一年間猶予の特別移民ビザを受け取り、今後一年間はユダヤ教とヘブル語を勉強し、正式な改宗へ向けての手続きを始めます。改宗手続きが済み次第、国籍を中国籍からイスラエル籍に移籍するそうです。

イスラエルへアリヤー(帰還)する人達は、世界各地からいますが、中国からのアリヤーは珍しいケースです。中国・開封に定住したユダヤ人の祖先は、古代ペルシャ王国時代の商人達で、彼等は10世紀から12世紀にかけ、シルクロードを経て中国へやって来たと考えられています。今日その子孫は中国に1000人はいると言われています。“開封ユダヤ人”の民族史は150年前で止まっており、その後彼等は完全に漢民族と同化したと思われてきました。彼等の歴史は今、150年のブランクを経て新しく塗り替えられています。 

祈り)アリヤーするユダヤ人の多くは、イスラエルの現状を見て良くも悪くも衝撃を受けます。イスラエル国民としての社会的アイデンティティーを確立するのは宗教的なそれより容易ではないからです。彼等の中にある「ユダヤ人として生きる(または生きたいという)使命」が唯一の励ましとなっていくと思われます。一度中国人と同化してしまった彼等にとり、イスラエル人と同化する(または民族性を取り戻す)このプロセスが喜びと祝福に転じていきますように。

参考記事)10月22日付、Ynet新聞
中国系ユダヤ人に興味のある方は:ウィキペディア:「開封のユダヤ人
にほんブログ村 ニュースブログ 海外ニュースへ
にほんブログ村

2009年10月13日火曜日

お正月明けの報告:社会面

イスラエルのお正月の前後からスコット週にかけて報道されたニュースをかいつまんでリストにしてみました。各記事は、ユダヤ人社会への影響度の大きさを考慮して私的視点で取り上げています。


9月14日:訓練飛行中のF16戦闘機が墜落し、アサフ・ラモン飛行士(21才)が死亡しました。アサフ君の父は、2003年、米スペースシャトルの事故で死亡したイラン・ラモン氏(イスラエル初の宇宙飛行士)の息子でした。アサフ君は父の死後、父を目標にパイロットの訓練を続け、トップの成績で卒業したばかりでした(写真)。アサフ君の母は「なぜ死んだの。私が先よ。私を葬るのはあなたの役目でしょ。何百人の孫達に見守られて、安らかに老いて死にたかったのに。」と泣き崩れました。ペレス大統領やネタニヤフ首相を含む、全国民がこの悲報に心を痛めました



9月16日:昨年末から3週間続いたガザ戦争に関する国連調査団のレポートが出されました。レポートの報告は、リチャード・ゴールドストーン団長(南アフリカ共和国出身のユダヤ人:写真の人物)によって書かれ、その内容は、ガザ戦争がハマス側の8年間におよぶ攻撃を封鎖するためだったというイスラエル側の主張を退け、一方的にイスラエルに戦争責任を問うものでした。又この内容は、世界各地で起きているイスラエル・バッシングを肯定するかたちになりました。このため、イスラエル国内の全ユダヤ人は衝撃を受け「ユダヤ人であるゴールドストーンに裏切られた」と口々に言いました。国民の声を代表し、ペレス大統領は「この報告は歴史を曲げ、あざけっている」とその内容を批判しました。数日後、米国務省も、この内容はハマスの違反行為には殆ど触れず、一方的に断罪していると非難しました。



9月16日:米国の俳優や監督らがイスラエル映画を上映したトロント映画祭をボイコットしました。ボイコットの理由:映画を通してイスラエル市民の暮らしを描き、イスラエルの国があたかも普通の国だと見せかけており、こうした映画作りが「イスラエル政府のプロパガンダ」だからだ、というもの。映画好きなイスラエル人は、この理由に憤怒しました。


9月17日:99歳で死去したエルサレム在住の超正統派の女性(ラヘル・クリシェフスキさん:写真の人物)が、約1400人の子孫を残して話題になりました。ラヘルさんには7人の息子と4人の娘がおり、それぞれが結婚し母に倣って10人以上もの子供を設け、次ぎの世代も祖母に倣って子沢山。ラヘルさんには孫の孫までおり、クリシェフスキ家では正確な子孫の数は不明とのことです。

9月22日:米国で、オバマ大統領、ネタニヤフ首相、アッバス議長の三者会談が開かれました。雰囲気は固く、写真撮影程度に終わりました。オバマ大統領は、イスラエルとパレスチナがどちらも和平交渉を渋っていると不満を示しました。


10月2日:ガザで誘拐されたシャリート兵士(23歳)の最近のビデオ映像と引き換えに、パレスチナ人女性の囚人20名(!)を釈放することで、ハマスとイスラエルが合意し実施されました。このビデオは9月14日に撮られた、シャリート兵士の生存を証明する3分間の映像です。写真は、この時の映像で流れたシャリート兵。この3分間の映像と引き換えに釈放された女性囚人たちとアラブ系コミュニティーは歓喜の声をあげました。シャリート兵士の父は、息子の生存に安堵したものの、高まるシャリート兵士解放への国民の期待には沈黙しました。閣僚の間では、シャリート兵士解放のために、何人のハマスのテロリストを引き換えにするかと議論が始っています。



10月6日:国連(UNRWA)が運営するパレスチナの学校では、これまでホロコーストを教えていませんでしたが、近日中にそれを見直すことになりました。現在、シリア、レバノン、ヨルダンの3国にある国連学校ではホロコーストの史実をアラブ人の子供たちに教えていません。エルサレム・ポスト紙


10月7日:イスラエルのアダ・ヨナス教授がノーベル化学賞を受賞しました(写真)。ネタニヤフ首相は「国の誇り」だとヨナス教授の功績をたたえました。イスラエル人のノーベル賞受賞者はこれで9人となりました。受賞式は、来る12月10日、ストックホルムで。エルサレム・ポスト紙。ノーベル文学賞にノミネートされていたイスラエル人作家のアモス・オズ氏は惜しくも受賞を逃しました。

にほんブログ村 海外生活ブログ イスラエル情報へにほんブログ村 ニュースブログ 海外ニュースへ

2009年10月12日月曜日

お正月明けの報告:宗教面

私のお正月は病と共に始まり、イスラエルの長いお正月を締めくくるスコット週が明けた今日この頃、体調が戻ってきました。神が、己を振り返りゆっくりと休むようにとユダヤ人に定めたこの時期、私自身も異邦人でありながら特別な体験をさせて頂きました。ユダヤ暦で5770年の最初のブログも今日から気持ちを改めて再開させていただきます。このブログの読者の皆さん、ご支援を今後も宜しくお願い致します。


さて、ユダヤ暦のお正月期間のご報告をさせていただきます。宗教面から。


ロシュ・ハシャナヨム・キップール

ユダヤ暦5770年目の今年は、西暦で9月19日に新年が明けました。元日と二日目はロシュ・ハシャナと呼び、世界中のユダヤ人の間では盛大に祝われます。ユダヤ教の伝承では ティシュレイ (ユダヤ民間暦の一月)の元日が人間アダムとエバが創造された日とされています。ですから5770という数字は最初の人類であるアダムとエバが創造されてからの年月ということになります。ティシュレイ の元日は、同時に終末(今の世界が終焉を迎える時)における神の審判の日とも考えられています。そのためユダヤ暦のお正月から10日間は、宗教的ユダヤ人たちの間では祝賀ムードはおあずけとなり、とても厳粛な空気の中で、神の前に罪を告白する時となります。敬虔なユダヤ教徒であれば、誰しもがシナゴーグ(会堂)に足を運び、自らの罪を悔い改めます。正統派の人達はタオル持参で会堂に入ります。何故タオルなの?と思いますが。神の前で流した涙をそれで拭くのでしょうかね? 彼等はまた水辺に行き「ああ神よ、私の罪を取り去り、水の深みへと沈めてください。」という伝統的なフレーズで、祈りを捧げます。


元日から10日後には、聖書(レビ記23章27節)に定められた贖罪日、ヨム・キップールを迎えます。伝承では、開かれた神の「命の書」はこの日に閉じられるので、ヨム・キップールのエルサレムは完全に静まりかえります。学校や公共施設はもちろんのこと、車(バスもタクシーも)も一切走りません。そして多くのユダヤ人はこの日に食を完全に断ち、習慣的に白い服(白=きよい色)を着て神を礼拝します。この静寂しきった厳かな空気は、イスラエルでもこの町エルサレムだけに覆う特別な空気です。けれども世俗派の若者や子供たちの間では、交通が完全停止するこの日が自転車を乗り回して遊ぶ「サイクリング日」になっています。私はこの10日間を計算していたかのようにある特殊なウィルスにかかり高熱を出して動けず、エルサレムの厳粛な10日間を(私なりに)体験することになりました。



スコット祭

新年に入り最初の満月の夜、つまりティシュレイ の13日から21日までの8日間は、聖書(レビ記23章、民数記29章、申命記16章)でいう仮庵の祭りです。こちらではスコット祭と呼びます。この週は厳かな10日間の後、神の赦しを受け取る感謝の週となります。神との時間は、特別に設置した手作りの小屋(テント、仮庵、ヘブル語ではスカ)で持つよう聖書で定められています。同時に秋の収穫の時期とも重なるため、小屋の中を収穫の産物(例えばナツメや果物)で飾ります。こうしてこの小屋にお客を招いて夕食会を開きます。聖書的には、新年の喜びが神を通してこの小屋の中に運ばれると解します。イスラエルのあちこちでは小屋を建設するのを面倒がり、“あえてしない”世俗派や、しても手作りではなく“出来合いのテント”を張るだけの伝統派の人たちが過半数のようです。または小屋では過ごさないが、“とにかく家を離れて旅に出る”というユダヤ人もいるようです。これはアメリカン・ジューから聞いた話。


聖書を掘り下げるなら、スコット週はこの小屋で7日間生活するよう定まっており、その週の中で自らの歴史を振り返り、特にエジプトから逃れて神とシナイ山やネゲブの荒野で過ごした40年間を振り返ります。8日目には神の前で集会を開き、約束の地に着いた感謝と喜びを証しします。8日目の集会をシムハット・トーラー[“聖書の喜び”という意味]と呼びます。正統派ユダヤ教徒はモーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)を一年を通じて通読し、スコット週にその通読が終了するように読むからです。彼等は、聖書通読の完了とまた再び聖書通読を開始する喜びをお祝いします。この8日目は正統派にとっては一年で最も喜ばしい日となります。厳格な正統派とはいえ、この日ははめを外して一日中歌って躍ります。ちなみに私達日本人に馴染みのあるイスラエル民謡「マイムマイム」は、そもそもこのシムハット・トーラーに歌って躍る歌のようです。



写真とおすすめ映画

上の写真は「ウシュピジン」という題の2005年のイスラエル映画のクリップ写真。この映画は、エルサレムで信仰生活を始めたあるユダヤ教徒の夫婦の物語りで、スコット祭を背景に描いています。物語の主人公は、もともと世俗派のユダヤ人男性で、宗教的に目覚めた後は超正統派となりました。男はまじめな女性と結婚して“ある事件が起きるまで” 幸せに暮らしていました。スコット週に起きた幾つかの事件は「神に立ち返り、全てをやり直したいと願う男」には、実に酷な事件となりました。ここで信仰が試されていくのです。子供に恵まれない妻に喜びは無く、それらの事件を通して二人の結婚生活に終わりがきます。そしてシムハット・トーラーは喜びの日に転じていくはずなのに、男には喜びも希望もありません。その時男は神に言いようの無いうめきをあげて訴えました。信仰を捨てたかのようにも見えました。しかし最後の最後に、男は神の奇跡を経験して歓喜の声をあげて涙するのです。映画の中で流れる、アディ・ランの歌は心を揺さぶります。 この時期のスコット祭やユダヤ教的祈りと信仰を知るには、この映画は最高のセレクションです。


にほんブログ村 海外生活ブログ イスラエル情報へ
にほんブログ村


               黄金ドームをクリックすると「エルサレムの写真集ブログ」へ移るよ!