2009年6月28日日曜日

ホロコースト生存者の心の痛みと支え


ゴラン高原のある高校から心暖まるニュースが入ってきました。メヒナット・ケシェット・エフダ校という兵役前の学生達が通う宗教校が、今回の話の舞台です。この学校は将来のリーダーを育成するために、若い青年達にホロコースト生存者との交流と介護を勧めています。生存者をお世話するレハイム慈善団体との連携で、この教育プログラムに参加する学生たちは、毎週定期的にホロコースト生存者を訪問します。そして心身の不自由を覚える老いた生存者たちの家を掃除し、必要に応じて、食料や医薬品、お金を渡しに行きます。若い学生たちに任されているなによりも大事な役割は、孤独に悩む生存者たちの「話相手」となることです。


レハイム慈善団体の設立者、ダニエル・ブラウン氏は語ります。「我々は生存者たちが信じられない状況に直面しているのを見ました。身体的に不自由がある彼等の何人かは、お小水や汚物にまみれたまま(誰にも介護されないまま)過ごします。彼等の部屋は住めた環境ではありません。それに加えて彼等にとり堪え難いことは、(こうした環境下での)孤独感です。彼等は忘れられた存在にされています。これは本当に我々(若き世代のユダヤ人社会)にとって恥ずべき実態です。」
最近天に召された生存者はブラウン氏に次の言葉を残していきました。「私は実を結んで死ぬのではありません。私は痛みと孤独感と、特に怒りを抱いて死ぬのです。その怒りは、何十年もまるで私が存在しなかったかのごとくに私という存在を認知してくれなかった全ての者に向けられているのよ。ダニエルさん、あなたとあなたが送ってくれた学生さんだけです。そして暖かい心で献金してくれた方々だけです。最後の数ヶ月のみ、私の人生に光が灯りました。そして生きることを前向きに考えました。」
このプログラムに参加した学生たちの言葉も紹介しましょう。
「僕は生存者たちへの訪問が、彼等を助けるためだけでなく、自分たちのためでもあったと信じています。人生の中で本当の苦しみを経験し、なおかつ生きる望みを捨てなかった人たちと接するとき、僕たちも将来への望みとインスピレーションをもらいます。」
「彼等(生存者たち)が僕たちの存在だけで喜んでくれたときの、その笑顔を通して僕たちが感じ取った気持ちなんて言葉にとても表わせません。兵役を一年前に控えた僕たちのような感受性の高い学生にとって、この経験は(イスラエルが)なんのために闘っているかを教えてくれます。」
アリヤー(イスラエルへの帰還)を考えている学生はインタビューにこう答えました。「僕が訪問しているこのおばあちゃんは、僕の人生を変えました。僕がおばあちゃんの所に行く度に、彼女はイスラエルの将来はあなた達若い者にかかっているのよ、あなた達が変えていくのよ、と言います。だから僕がアリヤーするのは、つまりその大きな理由の一つがこのおばあちゃんのためになんです。」

先週、レハイム慈善団体の企画で、50名の生存者たちが、メヒナット・ケシェット・エフダ校に集合しました。そこには近所の幼稚園児たちも集められ、ホロコーストの話を聞いた後、園児たちによる寸劇と歌が披露されました。その時間、生存者たちの顔も学生たちも園児たちも共に笑い、生きている喜びを共有し合いました。
記事:[6月24日付けYnet新聞

参考までに:現在イスラエルには、およそ24万人のホロコースト生存者がおり、その過半数が80才前後かそれ以上の高齢者たちです。また生存者の多くは貧困層に分類され、独り暮らしです。専門家の見方では、生存者の数は2015年には14万人になるだろうと言われています。

祈り)イスラエル国内、国外のホロコースト生存者たちへの支援が増えますように。レハイム慈善団体やゴラン高原の高校生たちの実際的な働きが全国に広がり、祝福されますように。そして全ての生存者たちが「自分は誰からも認知されていない」と感じてしまうことがありませんように。
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2009年6月27日土曜日

イスラエルを支援するアラブ人


以前
ジーザス系シオニストの記事をとりあげました。今回はアラブ系シオニストを代表するアラブ人女性、ブリジット・ガブリエル(Brigitte Gabriel)氏をご紹介しましょう。


プロフィール:レバノン出身。中東記事のコラムニスト、アラブ系ジャーナリスト。後に米国に渡り、米国籍を取得。非営利団体「American Congress for Truth」を設立し、中東の和平とイスラエル支援を訴えるため世界各地で講演してまわる活動家。幾つか著書も出している。現在二人の子供を持つ母。クリスチャン。44才。

イスラエル支援のきっかけ:レバノンで生まれ育ったガブリエル氏は、アラブ人の両親や学校の先生達から口々にユダヤ人は邪悪な民族で、彼等を憎むよう教えられたといいます。「もし中東に平和をもたらすなら、そのために私達は全てのユダヤ人を殺さねばならない。と、こう教えられてきたのよ。」こう語る彼女は、南レバノンの全ての子供達はこうした教育を受けていると言います。

しかし子供心に植え付けられた反ユダヤ思想は、彼女の中で次第に変わっていきました。その大きな転機となったのが、1975年に起きた、イスラム教徒とレバノン系パレスチナ人たちによるレバノン系キリスト教徒への迫害です。この迫害はジハードという宗教的に正統化された戦いに転じていき、これにより何千というキリスト教徒が殺害されたといいます。この時まだ10才だった彼女は家屋をはじめ全てを失いました。そして家族と共にその後7年間のシェルター暮らしを強いられたのです。終いにそのシェルターもムスリム部隊により1982年に破壊され、この時に(抵抗した)彼女の母が負傷しました。しかし母はその後イスラエル病院へ搬送され、ユダヤ人の手当を受けました。彼女はこれがきっかけでユダヤ人への印象が全く反対に変わったと証言しています。

ガブリエル氏は家族以外の環境で、お互いの人権を尊重したり、思いやる関係が存在する等ということを知りませんでした。しかしユダヤ人病院での負傷したレバノン人達に対するケアを見て驚き、ユダヤ人の中にもそれが存在することを知りました。もし、治療を施す側と受ける側との立場が逆転していたら、——ガブリエル氏は語ります——レバノン病院では負傷したユダヤ人は施しを受けられないばかりか、暴行を受けて外に放り出されるでしょう。少女時代のこの経験を通して、彼女は反ユダヤ主義と闘う現在の活動家へと転身していきました。

彼女の中東情勢へのコメント:(6月25日のエルサレム・ポスト紙とのインタビューにて)中東に和平を築くには、イスラエルは周辺アラブ諸国に妥協してはだめ。”強いイスラエル”をもっと全面に出すべきです。‥‥イスラエルにパレスチナ人国家を認めさせ、二国家共存を受け入れさせてもなんの解決にもならない。まずはパレスチナ人の[子供たちが使う」教科書からイスラエルへの“ヘイト[=嫌悪]教育”を取り除き、イスラエルを国家として認めさせるのが先決だわ。(米大統領に対しての質問には)オバマ大統領がイスラム世界に譲歩しようとやっきになっているけど、あれはむしろイスラエルを苦しめていくだけよ。
参考[エルサレム・ポスト紙:6月25日付け:リポーターはDEENA YELLIN

祈り)彼女へは反対意見やイスラム教側からの脅迫もあるようなので、こうした活動家の発言の自由が守られますように。
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2009年6月19日金曜日

カーター氏、ハマスをテロ組織リストから外すよう訴える

オバマ氏と並行してイスラエルの今週の記事に顔を出しているのが、ジミー・カーター元米大統領。

去る16日(火)、カーター氏はガザ地区を訪れ、ハマス指導者たちと会談をしました。その際、イスラエルのガザ封鎖を非難し、ハマス[イスラム原理主義のテロ組織]を米国のテロ組織リストから外すように訴えました。ハマス側の外相、アーメド・ユーセフ氏はカーター氏はガザ市民に歓迎されていると報道陣に語り、彼の発言に対しては「(パレスチナ)市民は、これが歴史的な訪問だと喜んでいる。」と加えました。


イスラエルはオバマ政権への不安を募らせつつ、裏方で活動しているカーター氏の国際世論に与える影響にさらに苦しんでいます。このカーター氏は2007年にイスラエル政権はアパルトヘイトだと非難した人物として知られています。今後のネタニヤフ政権次第ではカーター氏の”パレスチナ国建国運動”と”イスラエルたたき”は勢いを増していきそうです。



祈り)パレスチナ側とイスラエル側のどちらの地域がより民主的で、多民族に開かれ、多言語による報道の自由があるのか。アパルトヘイト、差別、第2のホロコースト加害者などとユダヤ人にレッテルを貼る政治家や一般市民が多数いますが、彼等の声が当然かのように世間に響き渡ることがないようにお祈り下さい。彼等に正しい判断力と他者への思いやりが加わることをひたすらに願います。
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2009年6月18日木曜日

ネタニヤフ首相、パレスチナ国家容認

14日のイスラエル首相の外交演説に関するロイター通信の記事全文を以下に添付します:

ネタニヤフ首相のパレスチナ国家容認、注目される米政権の出方

【ワシントン 14日 ロイター】 イスラエルのネタニヤフ首相は14日、非武装化など条件付きでパレスチナ国家の樹立を認めると表明した。しかし、中東和平プロセス再開を目指すオバマ米大統領にとっては、解決すべき問題も多く前途は厳しい。

ネタニヤフ首相は演説で、パレスチナ国家容認の条件として、パレスチナ側の非武装化とイスラエルがエルサレムを首都としたユダヤ人国家と認めることを求めた。

 オバマ大統領は、ネタニヤフ首相の発言を「重要な一歩」と歓迎し、2国共存という中東和平の解決につながるものと評価した。

 今回の演説でネタニヤフ首相は、ほとんどの争点について従来の姿勢を繰り返したが、オバマ大統領が和平実現に取り組む余地は提供したと言える。

 「2国共存を推進したいオバマ大統領の懸念という観点からすれば、ネタニヤフ氏は大統領が和平作業に取り組めるような発言をした」と言うのは、米ブルッキングズ研究所のマーティン・インダイク氏。

 同氏は、非武装化されたパレスチナ国家という考えは、クリントン元米大統領が政権後期の和平交渉で推し進めた非軍事国家に非常に近いと話す。

 また、主権を制限する条約も目新しくなく、例えば、イスラエルとエジプトの和平条約は、シナイ半島で展開できるのは警察部隊のみとしており、軍は認められていないという。

 元駐イスラエル米大使の同氏は、「つまり、非武装化国家を最初の条件とすることで、米国も全く話が始まらないということにはならない」と分析する。

 <アッバス議長の弱体化>

 外交問題評議会の中東専門家、スティーブン・クック氏は、イスラム原理主義組織ハマスと身内で争うアッバス・パレスチナ自治政府議長の弱体化につながる言葉を用いて、ネタニヤフ首相がパレスチナ国家承認を表明したとみる。

 同氏は、「首相は(右派政党の)リクード党首としては画期的なパレスチナ国家という言葉を使った。ところが、その言葉に条件を付けて何度も繰り返した言葉が非武装化だ。領空権もなく、国境は基本的にイスラエルが管理する」と話す。

 ネタニヤフ首相はまた、現在のイスラエル領土内にパレスチナ難民が帰還し、定住することを断念するよう求めた。

 この点について、クック氏は「それは、誰もがよく分かっていることだと思う。ただ、それを言葉にされると、パレスチナ難民はどうしようもない状況に追いやられる」とした上で、「ハマスと争うアブー・マーゼン(アッバス議長)には本当に何の助けにもならない」と語った。

 さらにネタニヤフ首相は、オバマ大統領が求める入植地建設の全面中止については表明せず、新しい入植地の建設とパレスチナ領土の収用については今後行わないとだけ述べた。

 しかし、ワシントン近東政策研究所のデビッド・マコフスキー氏は、意見の相違はあったとしても、ネタニヤフ氏がオバマ大統領に対し、ともに取り組むべき課題を提示したとする。

 「ネタニヤフ氏は、問題はもはやパレスチナ国家承認を拒否することでなく、国家の形であることをはっきりさせた」と指摘。「このことは重要だ。なぜなら、ネタニヤフ氏は和平プロセスには常に慎重で、プロセスがテロを助長するわなだと信じる中道右派政党のリーダーだからだ」と言う。

 一方で同氏は、ネタニヤフ首相が和平プロセスを前進させたいオバマ大統領に難しい課題を残したともみる。

 「ネタニヤフ氏はパレスチナ国家を承認したが、その分ほかに多くの条件を提示した。これでオバマ大統領がさじを投げるとは思わないが、明らかに協調できる部分は多くない」と話している。(ロイター日本語サービス 原文:David Alexander、翻訳:橋本俊樹)

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オバマ政権、支持率低下、6%に

エルサレムポスト紙の世論調査機関「スミス・リサーチ・ポール」によると、イスラエル国内でのオバマ政権への支持率は、先月の31%から6%へ急降下したと発表しました。このイスラエル市民の世論統計は、去る14日(日)のネタニヤフ首相の外交方針演説後を反映したものです。これはサンプル統計なので、国民全体の統計ではありませんが、それによると50%がオバマ氏はパレスチナ寄りであると回答しました。ちなみに36%が「彼は公平である」8%が「回答できない」としました。オバマ氏とブッシュ前米大統領を対照させた質問へは、88%が「ブッシュ氏はイスラエルを支持した」と答えました。

参考)エルサレム・ポスト紙['6% see US administration as pro-Israel'

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2009年6月13日土曜日

テルアビブ市で5組の同性婚!

2009年の今年、テルアビブは熱い! というのも先月イスラエルが建国61周年を祝っていた同じ頃、テルアビブは、町が誕生して100年を迎えた記念イベントで盛り上がっていたからです。(*) この祝賀ムードは夏一杯続きそう‥‥。(もしイベント情報が欲しい方は、ここからご覧下さい。)そして、それに加えて6月12日(金)にゲイバレードがありました。この町でのゲイパレードはもう11年も続いているそうで、今回は、テルアビブ市の後援で、パレード後には3組のレズビアンと2組のゲイ達の同性婚が華やかに施行されました。国会議員で同性愛者であることを公表しているニザン・ホロビッツ氏は、ハアレツ紙からのインタビューに「今後このような同性婚がテルアビブ市だけに限らずイスラエル各地で施行されることを願う。結婚[の定義や対象]が、男女間に加え、男性同士や女性同士にも広がっていくなら、その時こそがイスラエルにとり超正統派による独占社会からの解放だ。」と語りました。


今回の第11回目のゲイパレードは、テルアビブ市の海岸沿いでもたれ、およそ2万人がこれに参加しました。そこには、すでに公表しているゲイの著名人も集い、賑わったようです。テルアビブ市は宗教的なユダヤ人からは相当の非難を受けたようですが、市長は「自由な町テルアビブ」というスローガンを貫き、反対派を退けました。
[参考記事:ハアレツ紙:http://www.haaretz.com/hasen/spages/1092351.html

祈り)テルアビブが熱い、とはいえ個人的には、冷や汗がでる熱さです。この町は「自由」というコンセプトを同性婚へまで広げてしまいました。世界からは聖書の民として写るユダヤ人でも、この町には異邦人と全く変わらない姿があります。シャブオット祭を終えたばかりですが、聖書の教えそのものが一部の市民には足かせなのでしょうか。それとも超正統派の冠婚葬祭に関する管理体制が重荷なのでしょうか。聖書の神が定めた男女間の愛と結婚を、聖書の民であるからこそもっと満喫できますように。

*テルアビブは、近代ユダヤ史のなかでは、最初のユダヤ人によるユダヤ人のための都市として記されています。テルアビブ市は今から100年前の1909年4月11日(この地にイスラエル国が建国される40年程前)、66組のユダヤ人家族がヤッフォ海岸に集まり、定住し始めたことが起源となっています。1920年代、30年代には大量に移民が押し寄せ、現代デザインの源流ともいわれるバウハウス様式を取り入れた近代都市に変貌をとげていきました。現在この町には40万人が住み、テルアビブ郊外の周辺地域を含めればその数は3倍に増し、都市別人口一位のエルサレムをしのいでトップに立ちます。今日テルアビブは、宗教、歴史、政治の中心であるエルサレムとは対象的に、国内の近代アート、ファッション、文化、音楽の中心地です。

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2009年6月6日土曜日

カイロ大学でのオバマ氏の演説

6月4日、オバマ米大統領は、エジプトのカイロ大学でイスラム世界に向けた演説をしました。その演説の中で、イスラエル・パレスチナ問題に言及し「2国家共存以外に解決策はない」と述べ、パレスチナ国家樹立を目指す姿勢を明確にしました。

演説の中でオバマ氏は、パレスチナのイスラム原理主義組織ハマスの武装闘争を非難しましたが、イスラエル政府への要求も含まれており、ヨルダン川西岸へのユダヤ人入植地建設の凍結を強く求めました。


今回、イスラエルのニュース記事の中で気になる点がありました。それはオバマ氏がイスラム教圏との関係回復を目指し、演説の中で、自身の幼少時代(彼はインドネシアでイスラム教の宗教学校に通っていた)の経験を生かしコーランを3度引用していた点です。日本語では世界日報がこの点を取り上げていました。


以下は、3日付けの世界日報の記事「米大統領、イスラム世界に向け政策演説」の内容一部:


「盛大な拍手に迎えられたオバマ大統領はまず、自身の青少年時代を振り返りながら、イスラム教との関係の深さを述べ、米国とイスラム世界は、イスラム教が教義原則として強調する『公正と正義』による関係性を築くべきだと強調、多大な拍手を受けた。その後、イスラム教の聖典コーランの言葉を引用しながら、米国とイスラム教との緊密な関係性に言及、『イスラム教は米国の一部』とまで断言した。『米国はイスラム世界と戦争することはない』と言明、『無辜の人1人を殺害することは全人類を殺害することと同様だ』とのイスラムの教えを引用、会場からは「アイ・ラブ・ユー」の掛け声が飛んだ。」【カイロ3日鈴木眞吉】

ちょっと長いですが、オバマ氏の英語の演説はアルジャジーラのネット新聞で読むことができます。

本筋からそれてしまいますが、オバマ米大統領の宗教に関しては、白熱した議論が大統領就任時から米国メディアや個人ブロガー達の間でかわされており、政治面と同時並行に今後さらに注目を集めてゆくと見られています。


今回のコーランを引用した演説で、オバマ氏はイスラム諸国からの支持を得るためなのか「当然イスラムはアメリカの一部です」と言いきりました。演説中に引用する「God」(神)が、はたしてどの宗教の神を意識した表現なのか。あいまいにされた「God」は、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教の宗教間の対立緩和につながるか否かは微妙なところです。もしそれぞれの宗教の神観が特性を失えば、政治家としては中東の政治をしやすくなるにちがいありません。それを計算にいれてなのか、オバマ氏の長い演説の最後は、コーラン、タナフ、新約聖書とそれぞれから抜粋した一句を読み上げて閉じられていました。


祈り)イスラエル・パレスチナ問題は、政治と宗教の双方に深く根ざしています。政治を優先にして宗教が骨抜きにされたり、それとは逆に宗教を理由に戦争が正統化されてしまうことがありませんように。


写真)エジプトでオバマ大統領の演説を聞く様子


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2009年6月5日金曜日

エフライム・カツィール


去る5月30日(日)、イスラエルの第4代大統領エフライム・カツィール氏(Ephraim Katzir: 5.16.1916 - 5.30.2009)が93歳でお亡くなりになりました。カツィール氏はイスラエル建国前にパレスチナへ移民した、キエフ出身のロシア系ユダヤ人で、政治活動以前は世界的な生物物理学者でした。1985年の日本国際賞の受賞者でもあります。イスラエル大統領としては ヨム・キプール戦争を含む1973-78年に在職しました。


報道された翌日は、国内のテレビ・ニュースではカツィール氏の功績をたたえるドキュメンタリー番組が組まれていました。日本との関係でいえば、実兄のアーロン・カツィール氏が1972年5月30日にテルアビブ空港乱射事件*で犠牲になったことをあげることができます。カツィール氏は、日本人テロリストによって殺害された兄の痛みが癒えぬまま、ちょうど1年後の5月に大統領に就任しました。この時から37年後、運命のいたずらなのかエフライム・カツィール氏は、兄が殺された同日の5月30日に天に召されていきました。


*これは1972年5月30日にテルアビブ空港で起きた、日本赤軍メンバーによる無差別銃乱射事件です。この事件では、カツィール氏の実兄を含む25人が殺され、78人の負傷者を出しました。主犯の1人、岡本公三(当時25才)はイスラエルで終身刑を言い渡されました。その後1985年、イスラエル政府は、レバノンに本部を置くテロ組織(パレスチナ解放人民戦線総司令部)との捕虜交換で彼を釈放しました。現在、岡本公三はレバノンに政治亡命中です。


参考)ウィキペディア: Ephraim Katzir、Aharon Katzir、岡本公三

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