2009年4月21日火曜日

「ベルリン38」ホロコーストの歌

昨晩から今夜にかけてもたれたホロコースト記念日は、エルサレムに厳かな空気を運びました。ジュネーブでは、現在開催中の第2回ダーバン会議においてイランの大統領がホロコーストを否定したために、エルサレムとはまったく異なる空気に覆われています。さて今日のエルサレム市民は、ホロコーストで亡くなった600万人の同胞を心に留めて黙祷をささげました。ですから、このブログを閲覧して下さる方々も、エルサレムとホロコーストを心に留めて600万人の犠牲者のためにしばし黙祷して頂けるでしょうか。とお願いしても難しいかもしれませんから、こういうホロコーストの曲をご紹介します。YOUTUBEで曲と映像を通してホロコーストを考えるだけでも、人として生かされている理由を思いめぐらす時間がもてるのでは‥‥。



曲のタイトルは「Berlin 38: Next Year In Jerusalem(ベルリン38:来年はエルサレムで会おう)
」です。英語の歌詞にメッセージが込められているので、下記に訳してみました。


YOUTUBE(ここをクリックして視聴)
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Berlin 38: Next Year In Jerusalem [訳:sunny]


当時俺は25歳だった——1935年のベルリンでだ。
そこに俺は小さな店を構えていた。
あの戦争がもう間近に迫っている頃だった。
ちょうどその頃、俺はレベカに出会った。
彼女の笑顔は最高だった。
俺は彼女を愛した。
そして彼女も俺を愛した。
未来は俺たちのためにあった。


そうさ俺たちは結婚して、間もなくヨセフとサラが生まれたんだ。
授かった子供たちを、俺たちは心から愛した。
そう、俺たちの夢は叶った。


だが日ならずして暗雲が立ち込めた。
俺にはその現実が分からなかった。
単純に何も見えていなかった。もっと見えていたらよかったのに。
しかしあの時の俺には見えなかったんだ。


*ダビデの星の下で、俺の心臓がふるえ動く。
 あの星は俺を見ているんだ。
 来年はエルサレムで会おうじゃないか。
「来年こそ」はエルサレムで会おうじゃないか。


真夜中に、俺は町の騒音で目が覚めた。
なにやら外で人が叫(わめ)いている。
奴らは騒々しく階段を駆け上がってきた。そして家の扉を殴り叩いた。
扉を開けたとたん、銃を突きつけてきた。
情け容赦も無かった。
奴らは大声で「直ちに出て来い」と命令した。


家族でスーツケース一つ。それだけだった。


「今すぐ行くぞ!」

俺たちは階段を下りた。
ヨセフがぐずった。間髪入れずに奴らは息子を蹴った。
幼子は倒れた。
息子はまだ三歳だった。
俺は息子の体を起こし、俺の腕に抱いた。


奴らは俺たちを汽車に乗せた。
家畜のように汽車につめ込んだんだ。
レベカは俺の手を固く握って、告げた。

「わたしたちは一緒よ。
 何が何でも一緒よ。」


〜間奏〜


俺はこれからのことをどう語ればいいんだ?
だって俺たちがそこに到着(つ)いたとたん、
奴らはレベカと子供たちを、俺から切り離したんだぜ。


俺たちは皆泣き崩れた。
レベカは俺の目を見詰めた。俺は彼女のあの目を生涯忘れまい。


彼女は叫んだ、
叫び続けた「子供たちはわたしがまもるわ。」って。
そして俺の愛する家族は皆、俺の前から消えた。
消えていなくなったんだ。


*来年はエルサレムで会おうじゃないか。
「来年こそ」はエルサレムで会おうじゃないか。


〜俺たちは決して忘れてはならない。
 忘れることなどできない。
 ダビデの星の栄光のため。
 俺たちは決して忘れてはならない。

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