2009年4月11日土曜日

メシアニック・ハガダーの解釈と非難

ペサフの月見はいかがでしたか? 

今年のペサフは15日まで続きます。

さてこのペサフに欠かせないのが、ペサフ入りした初日の晩餐です。これは世界中のユダヤ人の各家庭で持つ特別な夜の食事会で、食事をしながら家長(主に父親)がその家の女、子供たちに聖書の出エジプトの記述をつたえるというユダヤ人の伝統行事です。
その際、各家庭にばらつきがでないように、ペサフの晩餐にはハガダーという次第があります。これは若干バリエーションがあるようですが基本的には同じで、世界中のユダヤ人が共有し、この次第からユダヤ人の共通の歴史認識を読み取ることができます。

ペサフの晩餐はここ十数年でクリスチャンの間にも広まってきました。広めているのがナザレ人イエスをメシアとして受け入れたユダヤ人たち(自称メシアニック・ジュー)です。彼等はこのハガダーに独自の解釈を取り入れたメシアニック・ハガダーを使用しており、今日正統派ユダヤ教徒からは非難を浴びています。特に、政治力を持つ正統派とのつながりがある「反宣教団体」は今年も大胆な反メシアニック・ジュー運動をこの時期に行いました。[参考:
http://www.haaretz.com/hasen/spages/1074689.html

ところで、そもそもメシアニック・ハガダーのどこに問題点があるのでしょうか。今年問題にされているハガダーは "Passover Family Pack: Everything You Need To Enjoy a Passover Seder Dinner"という題の、米国で販売されているハガダーで、反宣教団体は「このハガダーはイエスを売り込む戦略だ」として非難しています。
そこで反宣教団体が問題にしたハガダーの主要点を抜粋して取り上げてみましょう。

4つのカップに注がれた赤ワイン:ナザレ人イエスの血 *1 
3枚のマッツォ(四角いクラッカー):イスラエルの神、 メシアなるイエス 、神の霊 *2

ハガダーの解釈にまつわるもめ事は、非ユダヤ教徒の目から見ると茶番劇かもしれません。しかしユダヤ教徒にとりキリスト教徒との境界線がこれでなくなるとしたら、ハガダーの解釈一つで今日の民族性維持の危機につながります。
けれどもキリスト教が生まれた2千年前は今日のような境界線があったのでしょうか? 新約聖書にはペサフの記述があり、ナザレ人イエスはこのペサフの時期に「ペサフ時にほふられる小羊の象徴として」死刑にされています。その死刑にされる前夜のペサフの晩餐において彼は種いれぬパンとぶどう酒を指して「わたしを覚えて、これ(ペサフ)を行いなさい」と命じています[第一コリント人への手紙11章23〜25節]。こういう訳でイエスの死後数世紀まではキリスト教の中でペサフは守られていた様です。やがてローマ帝国のキリスト教国教化にともない異教的な要素を含むイースターが入りこみ[http://www.religioustolerance.org/easter1.htm]、過ぎ越し祭などのユダヤ教的伝統はキリスト教内から排除されていきました。
ハガダーはイエスの時代よりさらに後代の産物と考えられていますが、メシアニック・ハガダーの新しい解釈は、ユダヤ教徒にもキリスト教徒にも聖書(タナフと新約聖書)をもう一度読み直す機会をもたらしてくれそうです。

キリスト教がローマ帝国の国教化で変化してしまったこと、十字軍や後の宗教改革時代のキリスト教徒たちの偽善的で反ユダヤ的な言動だけをみると、今日のユダヤ教徒のキリスト教に対する反感や恐怖心は分からないでもありません。けれども、ハガダーの解釈に関してのみ考えるならば、これはメシアニック側のユダヤ教に対する信仰上の歩みよりであって、反宣教団体が政治的に圧力をかけたとしてもメシアニック・ジューから彼等の「新しい解釈と信仰」を切り離すことは難しいでしょう。

祈り:「ですから一人一人が自分を吟味して、そのうえでパン(マッツォ)を食べ、杯(4杯のぶどう酒)を飲みなさい」(第一コリント11章28節)この言葉をペサフの時期に心に留めています。伝統としてペサフを祝っているユダヤ人にとっても、ユダヤ教との関連をまったく知らないキリスト教徒にとっても、非難し合うよりも前に、聖書を読み直す時になりますように。

*1:ペサフの晩餐では4杯ワインを飲みます。 一杯目は、羊の血を通してイスラエル人をエジプト人から選り分けた神の聖別、2杯目は、イスラエル人の解放を拒んだエジプト人への神の裁き、3杯目は、イスラエル人を奴隷から解放させた神の救い(あがない)、そして4杯目は、預言者エリヤへの敬意とメシア待望、そして神への賛美を意味します。ワインは「命の実」と考えられた葡萄を原材料にしており、ペサフの晩餐で用いる赤ワインは小羊の赤い血を象徴します。しかしメシアニック・ジューは、小羊の血に加えて、罪の家からあがなったメシア・イエスの血も象徴されていると主張します。

*2:晩餐のテーブルには、3枚重ねのマッツォが白い麻布に包まれて置いてあります。食事の最中に3枚重ねの真ん中のマッツォは取り出され、二つに割かれます。割かれた片方は布に戻し、もう片方は家長によって隠され、後で家の者たち(主に子供たち)に探してもらいます。この伝統をアフィコマン[afikoman: もともとギリシャ語に由来するこの言葉には”後からやって来るもの”という意味があります]と呼び、長い晩餐の唯一の楽しみです。メシアニック・ジューはこのアフィコマンはナザレ人イエスの姿を表していると主張します。イエスは死刑に処せられ、その亡骸は白い麻布に包まれ、墓穴に3日の間葬られ、その後よみがえったと聖書に記されていますが、その姿をアフィコマンの言葉の意味と伝統に重ねています。

注)前回とりあげた「過ぎ越し」の意味はわかりましたか? 答えは出エジプト記12章12〜14節に記されています。

おまけの写真:
もし現代版出エジプトがあったらこんな感じですかね? 

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